第12話 ずっと好きだった
俺の発言により、教室の空気がより一層重いものとなっていた。
「お前にも、そんな顔ができるのだな」
ラルディオスは、俺の緊迫した表情を物珍し気に眺めている。
「え? こ、殺すって・・・・・・?」
混乱しているエリーナに目を合わせて、俺はゆっくりと話す。
「エリーナ、剣術祭に出る必要なんかない。もし仮にエリーナ自身が心の底から剣術祭に出たかったとしても、北帝国の上位幹部が相手なら俺は絶対に出場を認めない」
「な、なんで? あたしも悪い噂くらいなら聞いたことあるけど・・・・・・」
無理もない、普通なら北帝国軍の事情など知っている方がおかしいのだから。
「いいか、落ち着いて聞いてほしい。剣術祭で相手を死に至らしめた場合、殺人罪に問われることはない。その行動がどんなに意図的であったとしても、あくまで事故死として処理される。これは、剣術祭を緊張感のある試合にするための伝統的な取り決めとして扱われていたけど、戦時中でもない現代では問題視されているルールであることはエリーナも知っているよな」
「う、うん」
「・・・・・・そういうことか」
エリーナの後方でそう呟くギンジが、俺を睨めつけるような視線で見てきた。
ここまで話すと、感のいい者は気づいてもおかしくはない。
「剣術大学校の学生である以上、剣術祭でそんなことをする奴はいないと可能性を切り捨てていた。公衆の面前で殺人を犯した時点で、信用も信頼も失うからな。だが、相手が北帝国の軍人であるなら話は別だ。あいつらはそういうことを息を吐くかのように平然とやる・・・・・・人間の皮を被った化け物だ。降参も許さない状況に追い詰めて、いたぶりながら平気で人を殺す」
「・・・・・・っ」
エリーナが俺の話を聞き、息を飲む。
少し過剰表現かもしれないが、このくらい言っておかないと奴らの恐ろしさが伝わらない。
ラルディオスは、まるでこのときを待っていたとでも言うかのように俺に尋ねてきた。
「ほう・・・・・・ならばどうする?」
俺はエリーナからペンを奪い取り、名簿に登録名、登録剣を書き終えたあと、最後に拇印を押した。
「俺が出るよ」
「ふざけんじゃねぇ!」
俺のその一言に誰よりも早く反応したのはラルディオスでもエリーナでもなく、ギンジだった。
大きな足音を立てて俺に近づくギンジは怒りを抑えきれていないように見える。
「ふざけてなんかいない、俺は大真面目だ」
「はっ、お前が剣術祭に出ることのどこがふざけてないって言えんだよ。お前みたいなカスが出たところで死体が増えるだけだ、エリーナが出た方が幾分かマシだぜ!」
「ギンジ、お前はエリーナが死んでもいいのか」
「死ぬ可能性なんか誰が出ようと大して変わるわけじゃねえ! それならより強い奴が戦ったほうがいいに決まってんだろが! お前が出たって犬死にするだけなんだよ!」
「たとえそうだとしても、エリーナが死ぬよりはいい」
ギンジは俺の返答が気に食わなかったのか、両手で胸ぐらを掴み上げる。
「勘違いしてんじゃねえぞ! 俺がエリーナに手を挙げなかったのは、別にお前を推してるからじゃねえ! どうせエリーナに決まると思ってたから挙げなかっただけだ!」
「お、おいギンジ、その辺にしとけって・・・・・・」
「うっせえ! お前らは黙ってろ!」
何人かがギンジの暴走を止めようとしたが、ギンジに振り払われる。
「ユウガ・・・・・・どうしてもお前が剣術祭に出るっていうならよぉ」
ギンジは俺の胸ぐらから片手を離すと、俺の腰にかけていた修練剣に手を伸ばし、鞘から引き抜くと俺の手に握らせようとしてきた。
「や、やめろギンジ・・・・・・」
「ちょっと、いい加減にしなさいよあんたッ!」
「てめえは引っ込んでろ!」
ギンジは間に入ってきたエリーナに向かって左脚から回し蹴りの構えをとるのが見えた。
「エリーナ!」
俺は咄嗟に、ほとんど反射的にエリーナを守るために俺の胸ぐらに掴んでいたギンジの手を振りほどき、エリーナとギンジの間に割り込む。
「そうくると思ったぜ!」
ほんの一瞬だけエリーナに向けられた攻撃に俺の意識が集中するのをギンジは見逃さなかった。
隙を突いたギンジは俺の手に中に修練剣の柄を滑り込ませ、掴ませる。
「さあ、てめえの剣術を見せてみろ! それができたなら、お前の出場を認めてやるよ!」
ギンジは瞬時に俺と間合いをとり、制服を脱ぎ捨て、自ら着ていたシャツを破った。
ギンジの鍛え抜かれた上半身の肉体が露出する。まるでここに打ち込んでみろと言わんばかりに。
だが、俺は既にそれどころではなかった。
「・・・・・・・はぁ・・・・・・はぁ・・・・・・」
まずい。まずいまずいまずい。
剣を〝握ってしまった〟事実だけが頭の中で何度も駆け巡り、俺に焦りを生む。
大丈夫だ、落ち着け。左後ろのポケットに鎮静剤が入っている。
慌てずゆっくり取り出して、それから・・・・・・。
「ユ、ユウガ・・・・・・顔色悪いけど大丈夫?」
「・・・・・・ッ!」
エリーナの声が耳に入り、俺は思わず鎮静剤を落としてしまう。
いや、まだ大丈夫だ。ゆっくり指を一本ずつ修練剣から離せば・・・・・・。
だが、剣を離してその後はどうする。俺が本当に剣を握れないことが知られれば間違いなく明日の剣術祭出場者はエリーナが選ばれる。
エリーナが死ぬ、それだけは絶対に駄目だ。彼女は何度も俺を助けてくれたじゃないか。
それなのに、俺は逃げるのか。
今度は俺が助けなければ。
今度は・・・・・・俺が・・・・・・。
体が思うように動かない。体中が熱い。
眼球が燃えるように熱い。
視界が、血の色に染まり始めた。。
そして・・・・・・声が聞こえた。
──助ケ・・・・・・テ・・・・・・。
──許ジデ・・・・・・グダザイ。許ジデェ。
体中に歪な形状をした無数の黒い手が巻き付いてくる感覚。
決して許されることのない罪が、俺の体を掴んで離そうとしない。
・・・・・・セ。
声が、聞こえる。
殺セ。殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ。
────ああ、そうだ。殺さなきゃ。もっと、殺さなきゃ。
ここにいる奴らを皆殺しにして、それから、それから・・・・・・。
「フ、ッ・・・・・・ククッ」
笑いをこらえるのも、もう限界だ。
どいつもこいつもボケボケと突っ立ちやがって、呆れて言葉もでない。
人を殺したい、殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい──。
「ね、ねえ・・・・・・・さっきからユウガの様子おかしくない? まさか、本気でギンジに斬りかかったりしないよね?」
「おいユウガ、どうしたんだ・・・・・・? さっき落とした注射器って・・・・・・鎮静剤か?」
「ラルディオス、ユウガを抑えて! やっぱりなんか様子が変よ!」
「・・・・・・」
「ちょっと、ラルディオス!? あんた聞いてんの!?」
「さあ、俺を斬ってみろユウガ!!」
目の前にイキのいい奴がいる。まずはこいつからだ。
銀髪男に剣の切っ先を向け、ゆっくりと構えをとる。
ああ、人を殺す直前のこの感覚、何年ぶりだろうか。懐か──
『────
俺の名を呼ぶ、懐かしい声が聞こえた。
「・・・・・・うっ・・・・・・ぷ・・・・・・おえっ」
喉の奥から込み上げてくる、不快な感覚。
床に液状の何かが飛び散る音がした。
力が抜けて両膝をつき、意識が混濁した状態から徐々に自我を取り戻していく。
教室中の視線が俺に集まっているのを肌で感じる。
なんだ・・・・・・俺は何をして・・・・・・ああ、そうか・・・・・・吐いたのか。
目の前に嘔吐物がぶちまけられているのを見て、自分が何をしてしまったのかを理解した。
周りの様子を察するに、負傷者が出ていないのは不幸中の幸いだ。
「ぞ、雑巾! それからバケツ!」
「えっと、た、確か廊下の用具入れにあったはず!」
エリーナとプルシェリカが教室を出ようと引き戸に手をかけようとしたのとほとんど同時に、外から戸が引かれた。
「あ・・・・・・」
プルシェリカの思わず出てしまったといったような声が、静かに教室に響いた。
俺は顔を伏せたままだったが、戸を開けたのが誰かは容易に想像がつく。
「何よ、二人してそんなに慌てて。遅れて悪かったわね。大体、会議が長すぎるのよ、なんでわたしがこんな・・・・・・ユウガ!?」
ユアが俺の情けない姿を視界に捉えたのか、慌てて駆け寄ってくる。
「だ、大丈夫・・・・・・? 吐いちゃったの? す、すごい汗・・・・・・なんでこんな・・・・・・ねぇ、誰か何があったのか教え・・・・・・」
ユアの言葉は不自然に途中で途切れた。まるで何が起こったのかを瞬時に理解したかのように。
「・・・・・・あんたが・・・・・・やったの・・・・・・?」
ユアの視線がある一点、ギンジに注がれている。
「だったらどうすんだ?」
ギンジはその言葉が自分に向けられていることに気づきながらも、煽るような発言をする。
「ユア・・・・・・違うんだ、全部俺が悪いんだ・・・・・・ギンジのせいじゃ・・・・・・」
俺の言葉を聞き終える前に、ユアは目にも止まらぬ速さでギンジに向かって一直線に駆け出した。
ギンジにユアの剣撃が襲い掛かる。
だが、修練剣がギンジに届くことなかった。
同じく、修練剣を引き抜いたラルディオスがギンジをかばうようにユアの攻撃を阻む。
ユアとラルディオスの修練剣が激しくぶつかり合い、火花を散らした。
「どきなさい、ラルディオス!! わたしは今からこいつを殺すッ!」
「落ち着けユア。ギンジ、お前は今すぐ寮に戻れ。頭を冷やしてこい」
「へっ、頭を冷やすのはどっちだよ。そこの赤」
「黙って出て行けと言っているんだ!!!」
ラルディオスの怒声が校舎中に響き渡る。
あのラルディオスが、ここまで感情を表に出しているのを見たのは初めてだった。
逆らう気も失せたのか、ギンジが小さく舌打ちをして教室から出ていく。
「他の皆も今日は帰ってくれ。後片付けは俺がやっておく」
ラルディオスの言う後片付けとは、俺の吐いてしまった嘔吐物の片付けのことだろう。
教室から一人、また一人と終始無言のまま出て行く。
「わたしが残るわよ。あんたこそ帰っていいわよ」
ユアはギンジを黙って帰したことが不服だったのか、ラルディオスに強く当たる。
「俺はユウガと少し話がある。すまんが、今日は俺に譲ってくれ」
それでもユアは不満そうな顔をしたままその場を動こうとしない。
「ユア、先に帰っててくれ。俺もすぐに帰るから」
一瞬、どうするか迷ったようだったが、ユアは膝をついて俺と目線を合わすと少し心配そうな顔で、俺の汚れた口元を自分のハンカチで拭った。
「・・・・・・帰ってきたら、全部ちゃんと話してね」
「ああ、約束する」
ユアは少しだけ安堵した顔を俺に見せると、すぐにまた鋭い目つきに戻り、ラルディオスに忠告した。
「ラルディオス・・・・・・わかってると思うけど、ユウガに何かしたら許さないから」
「そんなに怖い顔をするな。少し話があるだけだ」
ユアはそれでも不安そうだったが、俺たちに背を向けて教室を去っていった。
「ちょっと待ってろ」
「ああ、いや、俺もついでに口の中をゆすぎたい」
「ふむ、それもそうだな」
俺が口内の洗浄を終えると、廊下にある用具入れからバケツと雑巾を持って来た。
俺たちは細菌感染を防ぐためのゴム手袋をしてから、掃除を開始する。
「悪いな、こんなこと手伝わせて」
「別にこのくらい構わん。俺とお前の仲だろう、遠慮なんかするな」
嘔吐物を全て処理し終えた俺たちは、教室を出て廊下の流し台に向かった。
「じゃあな」
汚れてしまった用具を綺麗に洗い流し終えたラルディオスはそのまま立ち去ろうとするのを俺は引き止めた。
「待ってくれ、ラルディオス・・・・・・話があるんじゃなかったのか?」
ラルディオスは俺に向き直り、少しの沈黙後、閉ざしていた口を開き始めた。
「本当のことを言うと、俺はエリーナではなく最初からお前に剣術祭に出てもらうつもりだった。お前は実力を隠しているだけで、本当は強いのだろうと・・・・・・俺の勝手な願望だ」
ラルディオスはそう言い終えると、最後に一言だけ付け足した。
「・・・・・・明日の剣術祭の出場者は、お前ということで済ませておく」
ラルディオスはもう言い残したことはないといったように、再び俺に背を向けて下へと続く階段に向かい始めた。
「な、なんでだよ・・・・・・お前も見ただろ。俺は修練剣すら持つことができな」
「俺はお前を信じている。それだけだ」
ラルディオスの言葉に俺は何も言い返すことができなかった。
しばらくの間、俺はその場に立ちすくんでいた。
「・・・・・・なんだよ、それ」
俺の口からポツリと、無意識にそんな言葉がこぼれた。
日が沈みかけ、学校の敷地内にいる学生が寮へと帰っているのがちらほら見える。
昇降口を出ると、出入口前にエリーナがいた。
七号館内にほかの生徒はもういない。俺を待っていてくれたのだろうか。
「・・・・・・エリーナ」
「あっ、ユウガ・・・・・・」
俺が声をかけると、エリーナは申し訳なさそうに謝り始めた。
「ごめんね、ユウガ。あたしのせいで、あんな・・・・・・」
「なんでエリーナが謝るんだよ。頼むからそんな顔しないでくれ」
責任でも感じているのか。エリーナは酷く落ち込んでいる様子だった。
「明日、どうするつもりなの? まさか、剣術祭に本気で出るつもりじゃ」
「あんな状態の俺じゃ、不安か?」
「・・・・・・」
無言のまま、エリーナは俺を心配そうな目で見つめる。
「そうだな。確かに、俺には荷が重いかもしれない。もしかしたら、明日、何も出来ずに無様に殺されるかもしれない」
「嫌だっ、嫌だ、そんなの!」
「でも、出場枠をエリーナに譲る気はないよ」
「なんで!? あたしが戦うわよ! あたしが・・・・・・」
「・・・・・・エリーナには、大事なものをたくさん貰ったから」
「え?」
エリーナは、気づいていないかもしれない。
でも、これは本当のことだ。
「嬉しかったんだ。俺みたいな暗い奴に、いつも明るく話しかけてくれて。・・・・・・エリーナにはいつも力を貰ってた、勇気を貰ってたんだ」
「ユウガ・・・・・・」
辛いことがあったとき。
嫌なことがあったとき。
エリーナを見てると元気が湧いてきた。
明日もまた、頑張ろうって思えた。
そのおかげで、こうして今の自分がいる。
ほんの少しだけ、明るく振る舞えるようになれた気がしたんだ。
「だから、これはそのお返しだ」
それは、エリーナからしたら『代わりに自分が死ぬ』とでも言われたような気分だろうか。
それ以上、エリーナは何も言ってこなかった。
俺はエリーナに軽く手を振り、自分の家に帰るために重い足を動かした。
夕焼けに照らされた、ユウガの遠くなる背中を見えなくなるまで眺めていた。
分かってる。
あたしの片思いは、これで終わりだ。
ユウガはユアのことが好きで、ユアだって・・・・・・。
あたしの入る余地なんて、最初からない。
そんなこと、初めから分かってる。
「・・・・・・なのに・・・・・・っ、なのに、なんでっ」
涙が頬を伝った。
いつもみたいに明るく振る舞えなかった自分に嫌気がさす。
そっか・・・・・・あたし、本気でユウガのことが好きだったんだ。
それでも、二人の邪魔をするつもりはない。
だって、あたしはユウガのことが好きだけど、同じくらいのユアのことも好きだから。
あの二人には、幸せになってほしいから。
だから、あたしのこの想いは秘密だ。
だって、ユウガを救ってあげられるのは──ユアだけだから。
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