剣術の極意

左狐 宇景

序章

第0話 少女の願い

 少女は、母の優しい声音を聞くことが何よりも好きだった。

 

「あなたには、まだ早かったかしら」


 無垢な少女は思った。

 悲しいお話だから、あんまり好きになれそうになれそうにない、と。


 そこで、一つの疑問が少女の頭をよぎる。


 少女は母に、この話が好きなのかと聞いてみた。


「そうねぇ。ママも、好きってわけではないわ」


 なんだ、と。

 母が好きでないのなら、自分も好きになる必要などない。

 そう、少女は思った。


 なら、なぜ自分にそんな話を聞かせたのか。

 少女は、わからないことだらけだった。


 退屈そうな顔をする娘の頭を、母親はそっと、優しく撫でる。


「でも、これだけは覚えておいて。いつかあなたが困ったとき、このお話に出てくるような、その時代の"英雄"と呼ばれる誰かが、きっと助けに来てくれるわ」


 少女は瞼をこすりながら、母に尋ねる。


「本当よ。いい子にしてたらね」


 少女は大きなあくびをしつつ、瞼をゆっくりと閉じた。

 まだ見ぬ、おとぎ話に期待を膨らませながら。


 淡く光る小さな願いを込めて────






 ──三百年前、東西南北に渡る四大国は大戦乱の真っ只中にあった。

 夥しい程の死と戦火の中、敵を殺める為に人々は剣を振り続けた。


 復讐の憎悪に魂を売り、平和を願うことすら忘れてしまった哀れな人々は、まるで何かにすがりつくかのように、ただひたすら己の悲願の達成だけを信じて・・・・・・。


 数十年にも及ぶ国家間同士の争いは苛烈を極め、熟練した剣術を使う者たちによって戦況は大きく左右された。その者たちは剣術の起源として後世に語り継がれることとなる。

 しかし、その中でも一際異彩を放つ者たちが存在した。

 体内の魔力を剣に宿し、異常なまでの強さを誇るその者たちはいつしか恐れられ、畏怖の念を込め魔剣術使まけんじゅつしと呼ばれた。



 終わりなき争いに身を投じることが日常と化して数十年後、突如として現れた悪魔により世界中が大混乱に陥る。後世に残る史上最悪の戦争【人魔じんま終滅決戦しゅうめつけっせん】が火蓋を切ったことにより、四大国は人類史上初の同盟を結び、かつて憎みあっていた人々は協力して戦った。


 だが、それでも悪魔の力の前には遠く及ばなかった。人外の力を使う悪魔に対し、人類は為す術なく多くの死者を出し、魔剣術使を含めた多くの者はその圧倒的な力の前に次々と命を落とした。


 しかし、その戦争は一人の男の自らの命と引き換えに終結された。

 彼は死後も、多くの民に称えられることとなる。


 その者の名を、英雄アーガスと、ここに記す。

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