第30話 航路

 大鷲はすぐに篠崎の部屋へと文字通りの様子で駆けつける。

 最後のゲームという以上は、直接対決ということが想定された。

 まだルールが明らかになっていない状況で、誰かが先走る可能性は低いものの、万が一のことを考えて行動する。

 不安そうな顔をする篠崎を励まして支度を急かすと、エレベータに向かった。

 しかし、ボタンを押しても反応がない。どうも電源が落ちているようだ。

 少し引き返し周囲を警戒しながらうら寂しい階段を使ってロビーへと下りた。

 すでにそこには坂巻が居て、テーブルの上に置いてある図面とにらめっこをしている。

「一体どういう状況だ?」

 顔を上げずに坂巻が端的に説明した。

「この船は一番近くの島から約十キロの位置にあり、島とは反対方向に時速約三十キロで航行している。そして、船腹に損傷があり、最悪の場合早ければ二時間後には沈没の可能性があるそうだ。船には我々以外おらず、正規の救命ボートはなくて、右舷船尾にオールで漕ぐ小さなボートだけを曳航している。そのボートの耐荷重は二百キロ弱で、金の入ったアタッシェケースを積載済みだそうだ」

 素早く大鷲が思考を巡らせる。

「なるほどな。金を持って全員でボートで逃げるのは無理だから、殺しあえというわけか。それで、こんなところで何をしている?」

「ボートに乗るのは罠だ。手漕ぎボートの速度じゃ、海流に逆らうことはできない。大金を抱えたまま、大洋の中で飢え渇いて死ぬ。正解は船の進路を変えるだ。操舵室へのルートを検討している。ルートは分かった。スタッフ専用の通路を通って船首に向かい、十数階分の階段を上る。問題は、この船のどこかには狂犬病に罹患した二人が徘徊していることだ」

 大鷲は頷き間髪入れずに協力を申し出た。

「それで、俺たちは何をすればいい?」

「俺についてきてくれ。たぶん、途中に一人ではどうしようもない仕掛けがあると睨んでいる」

「分かった。それで、Fはどうした?」

「ボートの確保に向かっている。この船が沈んだときにボートが巻き込まれないよう、そのタイミングで曳航するロープを備品の斧でぶった切ることになっている」

「信用できるのか?」

「持ち逃げか? 大金を抱えて死ぬだけだ。そこまで馬鹿じゃないことを祈っているよ。さあ、時間がない。行こう」

 大鷲は篠崎を振り返る。

 篠崎は覚悟を決めたような表情をすると大鷲の手を握ってこくりと首を縦に動かした。

 坂巻は船体の図面を大鷲に渡すと半分駆け足でロビーを船首方向に進みだす。

 その後ろを二人が続いた。

 立入禁止の札のかかっている金属製の扉のところで立ち止まる。

 坂巻がハンドルを回し始めると大鷲も手を貸した。

 扉を向こう側に押し開ける。

 狭い通路が現れた。

 古ぼけており、ディーゼルオイルの臭いが微かにする。

 通路をしばらく進むと鉄階段が現れた。

 大鷲は通路を振り返り、図面と照らし合わせて首を横に振る。

 さらに同じような距離を進むと似たような造りの鉄階段が見えた。

「あれだ」

 坂巻はカンカンと音をさせながら軽快に階段を登っていく。

 すぐに大鷲と篠崎は離されてしまった。

 荒い息を吐く篠崎は自分を置いて先に行くようにと大鷲に言う。

「駄目だ。あの二人に出くわす危険がある。さあ、つかまって」

 大鷲は片方の手で篠崎を引き、もう片方の手で手すりを掴んで階段を上がっていった。

 バックヤードということで、手すりや階段は塗りが禿げ、錆も浮いている。

 大鷲の手はすぐに錆びだらけになった。

 数回折り返したところで坂巻が待っている。

 そこにはぽっかりと口が空いていて船員の居住区か何かになっているようだった。

「さあ、あともう少しだ。がんばれ」

 また坂巻は先行し、ぐるぐると階段を再び上っていく。

 大鷲と篠崎が階段を上がりきってみるとそこに坂巻の姿はない。

 そこから伸びる通路に首を突っ込むと先の方から坂巻の声がした。

「こっちだ。早く来てくれ。やはり人手がないと操舵室には入れないようになっている」

 痛みを感じる脚の筋肉をかばいながら、二人は通路の先に向かう。

 曲がり角からぬっと人影が現れた。

 びくっとする二人を急かすようにして坂巻が二人を引っ張っていく。

 壁沿いに設置してあるボタンの前に篠崎を立たせた。

 ボタンは真新しい金属製の管に繋がっていて、その管は壁沿いを張って少しはなれたところまで続いている。

「このボタンを押し続けてくれ」

 篠崎が言われた通りにすると、坂巻は少し離れた場所まで大鷲を連れていく。

 そこにある引き戸をスライドさせた。

 ボタンを押している間だけロックが外れるようになっているらしい。

 中にあった金属製の泥落としマットを掴むと引き戸と壁の間に挟んで扉が閉まり切らないようにする。

「もうボタンを離してもいいぞ」

 坂巻は中に入っていった。

 前方の窓からは海原が一望できる。

 しかし、その景色を楽しんでいる余裕はない。

 操舵輪がロープでしっかりと固定されていた。

 坂巻は壁に固定されていた斧を持ってくるとそのロープを切断する。

 大鷲が指示を出した。

「ボートは右舷だな。なら、取り舵だ。反時計回りに回せ」

 坂巻は操舵輪を言われた通りに回す。

 ゆっくりと船は向きを変え始めた。

 しばらくモニターを眺めていた大鷲が操舵輪を元に戻すように言い、カローン号は元来た航跡をたどるように進む。

 ガクンと衝撃が走り船の傾きが酷くなった。

「よし。それじゃあ、先に船尾に避難してくれ。俺はここで進路を維持する」

 坂巻の発言に大鷲は眉を上げる。

「ロープを切ってしまったから、誰かがここで保持しないとまた進路が変わるかもしれない。一方でこのまま進めば船は島に乗り上げることになるだろう。船尾の方が安全だ。俺もぎりぎりまで待って向かう」

「しかし……」

「二人ともここまで来るのに消耗してして速く走れないだろう? そうだ。これを持っていけ」

 坂巻は先ほどロープを切った斧を片手で渡した。

「KかMかどちらか、又はその両方が襲ってくるかもしれない。これで、彼女を守るんだ」

 大鷲はずしりと重い斧を両手で抱きかかえるようにして持つ。

「あんたはそれでいいのか?」

 坂巻は操舵輪を握りながら首だけ振り返った。

「ああ。誰かがやらなきゃいけないからな。それに十億円が気になる。あのFが出来心を起こさないように見張っててくれ」

「分かった。そういうことなら任せてくれ」

 大鷲は篠崎を促して操舵室を出ていく。

 今度は長い階段を下りなくてはならない。

 膝への負担は下りの方が大きく、膝を震わせながら船尾へと向かっていった。

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