第4話 最後に来た男

 少し時は遡り、指定された埠頭に到着したがっしりとした体躯の男、坂巻は、タラップをチラリと見やるとすぐには乗船せずに先端まで歩く。

 短く刈り込んだ頭を潮風が撫でていった。

 坂巻は大きなスーツケースをキャスターで転がすことなく手に提げている。

 筋骨隆々とまでいうほどの外見ではないが、かなり腕力があると見て取れた。

 船首が見える位置まで到着すると、白い船体に描かれた文字を視線でひと撫でする。

 別にこの行為に意味は無い。

 これから自分が競うことになる会場の名を知っておきたいというだけだった。

 坂巻の目線の先には白い船体に真新しい名前が記されている。

 カローン。地獄の河の渡し守。

 まったく……。悪趣味な名前をつけてやがる。

 坂巻は沸き起こる苦い感情を唾と共に海面に向かって吐き捨てた。

 アンダードッグ・ゲームへ参加を申し込んでいながら、その実、坂巻はあまり甘い夢を抱いてはいない。

 十億円もの大金を争う以上はろくでもない内容だろうと推測するだけの知性は持ち合わせていた。

 しかし、捜査情報を漏らす見返りに金品を得ていたことが露見しそうになっており、この危機から抜け出すためには手段を選んでいられなかった。

 仕事柄、刑務所に収監されて一番ヤバい職業は何かということは知悉している。もちろん、元警察官だ。

 警察内部での内偵が進んでいるという情報をキャッチして、すぐにゲームへの参加を申し込んでいる。

 体は鍛えているし、柔道と剣道合わせて七段の腕前は有していた。それに闇ルートで手に入れた模造トカレフも隠し持っている。

 どんな内容のゲームになるかは分からないが、腕っぷしを競うものならば負けない自信はあった。

 ゲームの主催者に対して、十億円の報酬に加えて、犯人引き渡し協定を結んでいない外国への逃亡も条件として追加し認められている。

 勝てば天国、負ければ地獄。

 まあ、それもいいだろう。

 坂巻は桟橋を歩いて戻り、タラップを踏みしめて上っていく。

 船上には二名のスタッフが待ち構えていた。

 どちらもピエロの仮面を被っている。

 制止されたのでスーツの内ポケットからスマートフォンを取り出し、アプリを起動して二次元コードを表示させた。

 二人のうちの一人がリーダーでそのコードを読み込む。

 参加者なのかどうかのチェックを受けながら、坂巻は密かにスタッフの値踏みをした。

 どちらも体を鍛えている。片方は耳が変形しておりボクシングをやっていることをうかがわせた。

 もう一方は手に竹刀だこがある。

 スタッフも坂巻の手に一瞬だけ視線を固着させていた。

 考えることは一緒か。

 認証が完了したのか、スタッフの一人が金属探知機を通るように指示する。

 スマートフォンやキーフォルダなどをトレイに出し、坂巻はゲートを通った。

 背中のホルスターに入っている模造トカレフは炭素繊維強化プラスチック製なので反応はしない。

 その間にスーツケースをX線検査機にかけている。

 問題はなかったようだ。

 耳が変形したスタッフが先導して歩き始める。

 もう一人はジェスチャーで先にどうぞと示した。

 前後を挟まれるような形で坂巻は歩みを進める。

 三層吹き抜けとなったロビーを通り抜けてエレベーターに乗せられた。

「どこに行くんだ? 他の参加者は?」

 あまり期待せずに質問してみるが案の定どちらからも返事はない。

 扉が開くと廊下を進み、一二〇四号室の部屋の前で止まる。

 スタッフはスマートフォンを部屋の入口の読み取り部にかざした。ロックが解除される音がする。

 ドアを押し開けると腕で中に入るように促され、坂巻は中に入った。

 背後でドアが閉まる。

 取っ手を回してみたがドアは開かなかった。

 フンと鼻を鳴らすと坂巻は部屋の中の様子を改める。

 ツインのベッドとデスクと椅子、キャビネットがあった。

 横手のドアを開けるとユニット式のバスルームになっている。

 調度品が明るい感じでまとめられているシティホテルの一室という風情だった。

 ただ、それほど広いわけではないことから、どうやらあまりグレードの高い部屋ではないらしいと坂巻は判断する。

 もっとも、クルーズ船に縁など無かったので実際のところはよく分からなかった。

 手にしていたトランクを部屋の片隅に置く。

 すぐにでもゲームが始まると勝手に思い込んでいただけに肩透かしを食らった気分だった。

 椅子に座って考えをまとめようとする。

 そのとき、スマートフォンが鳴動した。

 画面を確認するとヨッターのメッセージが表示される。

 ゲーム参加者へとあり、リンク先を確認するように指示があった。

 タップするとブラウザが立ち上がり、表示されたサイトには諸注意が記載されている。

 まず初めに専用のWi-Fiに接続するようにとあった。外洋を航行するようになると携帯電話キャリアの電波が届かなくなるからということらしい。

 ゲームの会場が船という時点で、このことは想定していた。

 怖気づいてゲームを投降し警察に助けを求めて連絡しようとしても、Wi-Fiルータの設置者なら通信をブロックできる。

 まあ、この俺には端からそんな選択肢はないわけだが。

 坂巻は苦笑しながら、スマートフォンの設定機能を選び、指定されたSSIDを選択し、パスワードを入力して接続が完了させる。

 元の画面に戻りリロードすると新たなリンクが表示された。

 先に進むと挑戦者として歓迎するとあり、これからの日程等についての案内される。

 ゲームの開始は約一日後であり、それまでは船室に留まってもらうこと、船室のロックは外部から制御されており中からは開けられないこと、食事は十九時、翌七時と十二時に提供されることなどが記載されていた。

 翌日の昼食後にロビーで他の挑戦者と顔合わせをして、ゲームが始まるらしい。

 次いで、食べ物のアレルギーや要配慮事項の質問をされる。

 無駄に配慮が行き届いていることにおかしみがあった。

 坂巻には特に申告する事項はないのですぐに終わる。

 回答し終わり表示される画面には、明日まではゆっくりと英気を養ってくれたまえと結ばれていた。

 気が付けば丸い窓から見える景色が動いている。

 東京湾内ということもあり全く揺れていないようだった。

 三食昼寝付きとは豪勢なもんだ。さて、どこへ連れて行ってくれるのやら?

 坂巻は肩をすくめると荷物の中からクロスワードパズルを取り出し解き始めた。

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