（完結）ノイエラント ～バイオリン無双。音色が領土をつくるまで～

第5話 出発したけど前途多難

　とにかく、ピルネの場所を確認しないことには始まらない。

　道の遠くにお婆さんの姿を見つけると、レオンシュタインはそこに急いで走っていく。

　いきなり巨漢の男が近づいて来たことに、お婆さんはびっくりしつつも、人の良さそうな顔で何か用かと尋ねてきた。

「実はピルネの町へ行きたいのです。南でいいのでしょうか？」

　お婆さんは確かに南だと指差し、５時間くらい歩けば着くことも教えてくれた。

「ありがとう、お婆さん」

　二人は礼を言い、街道を南に向かって歩き始めた。

　お婆さんは、二人をずっと眺めながら手を振っていた。

　しばらく進むと市場の喧噪が収まり、街の外れになると店もほとんどなくなってしまう。

　美味しそうな焼き鳥の匂いや、熟した林檎や梨の匂いは消えていき、土の匂いが強くなってくる。

　灰黒色の城門が見え始めると、二人は自然に小走りになり、門まで走り寄っていった。

　レオンシュタインは門番に通行料を支払い、通り抜けようとして城門にさわると、さすがに寂しさを感じたのだろう。

「この街ともお別れか」

　しんみりとつぶやき、城門を見上げる。

　ティアナは黙ったまま、レオンシュタインに寄り添うと、次の瞬間、ドンと背中を押す。

　門の外へ足を踏み出した瞬間、太陽の光が眩しく、期せずして二人は歓声を上げる。

　まっすぐな黄白色の道が目の前にずっと続いていた。

　道の両側に広がっている草原や牧場も緑が鮮やかで、空気が澄んでいるように感じられる。

　道の両側には、セイヨウシナノキ（リンデンバウム）の木立ちが並んでおり、小さな日陰を作っては旅人に涼を提供しているのだった。

「これは、美しいね」

　視線を左右に動かしながら、レオンシュタインはゆっくりと歩みを進める。

「はい、私も見たことが無かったです」

　遙か遠くの山並も薄い深緑で稜線がくっきりと見える。

　空の上から聞こえるヒバリの声がとても涼やかだ。

　近くの山の上には白い雲が立ち上り、その白さが青空に映えている。

　それらを賞賛しつつ、二人は南の方へ向かって話をしながら歩いて行く。

「でも、行き先を決めないまま１年間の修行って、何をしたらいいんだろう？」

　当然の疑問にティアナも答えに窮する。

「アバウト過ぎますね。伯爵家の皆様は」

　９月の日差しは容赦なく二人に降り注ぐ。

　気持ちが良かったのは最初だけで、２人の額には少しずつ汗がにじみ出していた。

　３０分ほど歩いただろうか。レオンシュタインが弱々しい声をあげた。

「ティア、足が痛い」

「まだ、歩いて３０分ですよ。もう少し歩きましょうか」

　巨漢のレオンシュタインには堪えるようだった。

　確かに城にいても、あまり運動はしていなかったなとティアナは回想する。

　しばらく歩くと、レオンシュタインが弱々しく話しかけてきた。

「ティア。やっぱり不安にならない？」

「……レオン様。それよりも、向こうの畑をご覧になってください。とても美しいですよ」

　弱音を誤魔化すのにティアナは全力を傾ける。

　この分では、１年はおろか１週間でリタイアしそうな雰囲気である。

　太陽は容赦なく、西の方へ移動しつつあるけれども、行けども行けどもピルネの街は見えてこなかった。

　時間が経つにつれ、二人は景色の美しさよりも、次の街のことが気になり始めた。　

　レオンシュタインは何度も汗をぬぐい、飲み物を口にする。

　短い小休止が終わる頃、突然、レオンシュタインがバイオリンの練習をすると言い出した。

　背負っているケースをそそくさと開き、バイオリンの調弦を済ませる。

　毎日、練習をしなくてはならないんだとティアナに理由を話す。　

「今日ぐらい休んでもいいんじゃない？」

　ティアナはレオンシュタインの体調を心配するものの、レオンシュタインはその提案をきっぱりと拒絶する。

「じゃあ、これから４時間。頑張ります！」

「はあ？　４時間？　何で？」

　なぜそんなに長いのか、ティアナには理解できない。

　レオンシュタインはそれに答えず、すぐに音を鳴らし始めた。

　美しいバイオリンの調べが、草原の上に響き渡る。　

　諦めたティアはすぐ側の切り株に座り、レオンシュタインの方を見つめている。

　レオンシュタインは心の中でティアナに謝罪しながら、練習を続けていく。

　汗がレオンシュタインの額から流れ落ちるけれども、全く手を止めない。

　見ているティアナは心配になってくる。

（どうして、こんなに練習を？）

　その視線をレオンシュタインは痛いほど感じる。

　いつかはティアナに本当のことを伝えないといけないなと思いつつ、弾き続ける。

　レオンシュタインは、この練習を始めるきっかけを思い出しながら指を動かし続けていた。

　練習が終わり、片付けも終わると、二人はまた南へ向かって歩き出した。

　もはやリンデンバウムの木立は消え、ただうっそうとした木々が道の両側に広がっていた。

　道は整備されて続いているけれども、住宅や牧場はいつの間にか見当たらなくなっていた。