第一章 2 村の廟

 日が暮れかける頃、ようやく六嘉村に辿り浮いたものの、噂に聞いていた通り人の気配もない。粗末な家が並んでいて、屋根に止まったカラスが濁った雲の広がる空を見上げ、雨を告げるように鳴いている。


 初夏だというのに寒気を覚えて、雲秀はブルッと身震いした。さすった腕には鳥肌が立っている。村人全員が亡くなっているなんて、どう考えても普通ではないだろう。しかも原因が分からないというのが余計に不気味なことだった。


「と、とりあえず……寝られるところを探した方がよさそうだ」

 ポツポツと空から雨粒が落ちてくる。そのうえ、風も強まり始めていた。今夜は荒れそうだ。「よし、雲秀。あそこにしよう!」と、師匠が指さしたのは村の真ん中に建つ古びた廟だった。よりにもよって一番、『何か出そうな場所』をと、雲秀はがっくりする。


「他にしませんか? ほら、竈もなさそうだ」

 一応提案してみたものの、玉蘭はさらっと無視して歩き出す。雲秀は「仕方ない」と、諦めてため息を吐くしかなかった。すこぶる楽しそうに廟に向かって歩いて行く師匠の後を、雲秀は足取りも重くついていく。


 廟は色あせ、灰色の乾いた木の肌が風雨にさらされていた。屋根瓦も所々崩れていて、草が伸びている。額の文字は、かろうじて『廟』と読めるが、他の文字は薄れて消えてしまっていて、何を祀っていたのかもわからなくなっていた。


 この六嘉村が廃村になったのは半年ほど前だ。けれど、もう何年も人が住んでいなかった荒れ方だ。それとも、人が住まなくなると、こんなにも早く朽ちていくものなのか――。


 玉蘭が傾いている扉を開くと、木のきしむ音がシンッとした廟の中に響いた。中から這い出してきたのは淀んで溜まっていた陰気を含む空気だった。雨宿りのためとはいえ、ここで一晩過ごさねばならないのかと思うと、気が滅入る。


 敷居を跨いで足を踏み入れた雲秀は、廟の中を見回した。もっと荒れているかと思ったが、以外にも綺麗だ。正面に神像が祀られていて、祭壇が設けてある。その上も、埃が積もっている様子はなく、燭台にはロウソクが残っていた。


 懐を探ってお札を一枚取り出し、ボッと火を灯す。お札が燃え尽きる前に、その炎をロウソクに移すと、廟内がわずかばかり明るくなった。

「少しは術が使えるようになったじゃないか」


 祭壇の前で神像を眺めていた玉蘭が、振り向いてニマーッと笑う。灯火術は仙術の初歩、それも弟子入りした者が最初に習う術である。ただの子どもでも、三月も修行すれば習得する。そんな簡単な術ができるようになるのに、半年もかかってしまった。

「どうせ、僕は不出来な弟子ですよ」

 拗ねたように言ってから、「しかし、何が祀られているんでしょうね」と玉蘭の隣に並ぶ。


 燭台を掲げ、虚ろな表情で見下ろしている像の顔を照らした。有名な神や仙はそれぞれ特徴があるからすぐに見分けが付く。けれど、この像はそのどれにも当てはまらない。女神であるのは確かだ。


「淫祠か……?」

「村の一番目立つ場所で、淫祠を祀るのか?」

 玉蘭は「随分と変わった村だ」と、皮肉っぽく言って祭壇の前を離れる。グルッと像の周りを回ってみるつもりなのだろう。「まったくだ」と、雲秀は独り言を漏らした。


 淫祠は人目につかない場所にこっそり祀る。村の真ん中に建てるようなものではないはずだ。だとすれば、ここは淫祠というわけではないのだろう。となれば、村の女性や子どもを守護する女神なのか。あるいは水や豊穣の神か。廟の名前が消えてしまっているため、わからわからない。


「待ってくださいよ」

 雲秀は燭台をつかんだまま、玉蘭の後を追いかける。

「雲秀、見てみろ」


 嬉しそうな玉蘭の声がして駆け寄ると、彼女は大きな衣を「どうだ!」とばかりに掲げていた。それは赤い刺繍の入った豪華な羽織り物だった。婚礼の衣装なのだろうか。それほど痛んでいない。


「……それを、どうするんです?」

 怪訝な顔できくと、「わからないやつだな」と玉蘭は唇を尖らせた。

「布団にちょうどいいだろう? 言っておくが、これが私が見つけたのだから、私のものだからな!」


 なるほど、その衣を被って寝るつもりらしい。しかも、独り占めする気のようだ。

「いいですけど、朝起きたら体中痒くなっているかもしれませんよ?」

 汚れてはいないようだが、いつからそこに放置されていたのか知れないのだ。玉蘭は「うっ……」と頬をヒクッとさせている。それから「これは、弟子に譲ってやろう」と、こちらに押しつけてきた。


「そのかわり、お前が来ている衣を私に貸してくれ」

「いやですよ。これしか持っていないんですから。師匠に衣を貸したら、私は何を着ていればいいんです?」

 素っ裸になるなんて、いくらなんでもご免だ。

「その衣があるだろう? 温かそうだ」

「じゃあ、師匠がどうぞ」


「いやいや、弟子に譲ってやったのだ。ありがたく受け取るがいい」

「師匠を差し置いて弟子の僕が温かそうな衣を布団にするなんて贅沢はできません。それに、これは師匠が見つけた師匠のものでしょう?」

「いいから、お前が使えっ!」

「あっ、そうですか。じゃあ、遠慮なく」

 雲秀はにんまりして、押し返された衣を敷物にして腰を下ろす。それを見た玉蘭が「ああっ!」と悔しそうな声を漏らした。

「ズルいぞ、雲秀!」


「何がです? 師匠が譲ってくれたんでしょう?」

 玉蘭をチラッと見ると、「ぐぬぬっ」と拳を握って頬を膨らませている。いつもの意趣返しとはいえ、少々イジワルをしすぎたかなと思っていると、玉蘭はそばによってきて、雲秀にひっつくようにして隣にストンと座った。

「半分ずつだっ!」


 そっぽを向いて不本意そうに言う彼女に、雲秀は笑いそうになるのを堪えて少しだけ横にずれてやる。最初から、半分譲ってくれていればいいものと思ったが、口に出せばガブリと噛みつかれそうだ。

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