タロット絵師の物語帳

九JACK

タロット絵師の見習い処

第1話 虹の子

 小さな小さなその村の大きな大きな存在は、小さな小さな女の子。鶯色の髪をした不思議な目を持つ女の子。

 目はどんな色にも煌めいて、あっちを向いたら赤い色、そっちを向いたら緑色、といった風に変わります。それを村の人々は[神様が与えてくださった特別な子]とし、やがて、七色に瞳の色を変えるその女の子は[虹の子]と呼ばれるようになりました。

 [虹の子]は両親の顔を知りません。物心ついたときから神様より賜った[虹の子]、[神の子]として教会で奉られていました。

 女の子は寂しくありませんでした。村のみんなが笑ってくれるなら、それでいい、と純真無垢な心で思っていたのです。嗚呼、神様はなんて優しい子を世にもたらしたのでしょう。

 けれど、女の子は徐々に気づきます。自分が閉じ込められていることに。[虹の子]と祭り上げられていても、何もできていないことに。

 人々は飾りが欲しいだけなのでした。自分たちが特別だと思いたいだけでした。神様からこんな美しいものを授かった、とアンティークの自慢みたいに、[虹の子]をアクセサリーにしていたのです。

 果たしてこの事実のどこが彼女を幸せにするでしょう。まあ、ただそこにいるだけで人を幸せにできるなら、それより楽で世のため人のためになることはないでしょう。けれど、それのどこに女の子の意志が介在するというのでしょう。

 ただのお飾りなんて扱い、誰が納得できるでしょう。もし納得できるとしたら、きっとそれは妥協しているだけなのです。諦めてしまっているのです。

 大人はみんな、ある程度のところで妥協します。妥協ができるから大人だ、と語る人も多いでしょう。

 しかし、女の子はまだ妥協できるほど大人ではなかったのです。


 教会にはきらびやかなステンドグラスがあり、それが日の光を透かして、教会の中を美しく彩ります。そこは小さな村の唯一の教会で、村で一番大きな建物でした。

 礼讚室で目を覚ました女の子。鶯色の前髪は少し伸びてきて、目にさらりと家かかっています。それを軽く分けて、その下から大きな目を覗かせます。今は憂いを帯びた藍色。ぼーっと自分の着ているいい仕立ての服を見下ろしました。日の光に似たオレンジ色です。それから胸元を触り、冷たい感触がそこにあることを確かめます。鈍く金色に光るそれはロザリオでした。いつも通り、女の子の胸元にあります。

 それを見るでもなく眺めていると、ロザリオに光が当たって、女の子の目に目映い光が射し込みました。するとどうでしょう。女の子の目からは藍色が一切消え、日の光に近い金色のような色が灯りました。これはロザリオの色が映り込んだとか、そういうことではありません。女の子の目の色そのもの違って見えるのです。

 ──そう、彼女こそが[虹の子]です。

「はあ……朝、か」

 憂鬱そうに[虹の子]は呟きます。今日もまた一日が始まる、と。

 朝の静けさに浸る間もなく、どたばたと騒々しい足音と声がしました。[虹の子]は音が近づいてきたことに、音のする回廊へ繋がる扉を見やります。

「ツェフェリさま! ツェフェリさま! どちらにおいでですか!?」

 五月蝿いなぁ、と思いながら、廊下に通じる扉へ向かいました。目は据わっていて、深い緑色をしています。

 がちゃり、と扉を開けると、「ツェフェリさま!!」と複数の声がユニゾンします。ユニゾンも相まって、いっそう五月蝿くなったシスターたちの声に[虹の子]──ツェフェリは顔を僅かに歪め、それからひょこっと顔を扉から覗かせます。むっとしたような紫の目が、シスターの一人の姿を捉えました。

「……おはようございます」

「ツェフェリさま、また礼讚室でお眠りになったのですか!?」

「いいじゃん」

「駄目ですよ! お風邪を召されてしまいます」

 むう、とツェフェリはむくれます。が、シスターの言っていることの方が正しいでしょう。礼讚室なんて広い部屋で毛布の一つもなく寝たら、そのうち風邪を引いてしまうのは火を見るより明らかです。

 けれど、ツェフェリは自分の部屋で眠ることを好みませんでした。あまりに大きな部屋に天幕のようなものが張られた豪奢なベッド。きっと寝心地がいいにちがいないそれをツェフェリは好ましく思いませんでした。

 小さく貧相な村が、自分にこんなに尽くしてくれることは有り難くもありましたが、ツェフェリには不気味にも感じました。一家が食べていくのに精一杯な村なのに、自分ばかり、という思いました。それなら、広くて誰もが訪れる礼讚室の方がよほど温かみがあるというものです。

 シスターたちが心配してくれるのは、有難いことなのですが……

「とりあえず、着替えて朝のお祈りだね」

「はい。お召し物は部屋にご用意してあります」

 ツェフェリはふう、と息を吐くと、礼讚室から出、自分の部屋に向かいました。


 お祈り。

 これが[虹の子]ツェフェリに課された唯一の仕事です。ただ、ロザリオを握りしめて祈りを捧げるだけなので、とても簡単でした。最初の頃は真面目にやっていたツェフェリですが、だんだん何故こんなことをしなければならないのかわからなくなってきたため、最近は祈りというより瞑想みたいな感じになっています。心頭滅却、といった感じです。

 それが効いているのかはわかりませんが、村は平常通りに動いていて、平和です。

 お祈りは一日四回。朝、目覚めてすぐと、昼の食事前と晩餐前、睡眠前の四回です。それぞれ祈る内容が違い、朝は今日も目覚めたことへの感謝と一日の平穏を、昼は食事を摂れること、夜は家族がいること、最後は一日の平穏への感謝と明日も平穏に暮らせるようにと祈ります。

 ツェフェリは怠けているわけではありませんが、このお祈りに意味があるのか、と疑問に思っていました。自分が[虹の子]であることも。

 お祈りを終えて教会の十字架をツェフェリは見上げます。その目はオレンジ色に染まっていました。

「……神様、ボクは本当にこれでいいのかな?」

 [虹の子]と崇め奉られ、教会でただ祈るだけの日々。[虹の子]が神様の子で特別な存在なら、もっと別なこともできるはずです。……祈るだけなら、誰にだってできるのですから。

 けれど、ツェフェリのその問いに答える人はいません。人間はそれだけが正しいのだと盲目し、いるかどうかもわからない神様を信じているのです。正気の沙汰ではないような気がします。

 それでも、本当にみんなのためになっているのなら、ツェフェリはやめることができません。ツェフェリの勝手な事情でみんなの平穏を壊すだなんて、とてもできません。

 さて、お祈りも終わったし、ごはんを食べたら何をしようかな、なんて、ツェフェリは考えました。

 今日はシスターが買い物に行くと言っていたから、ついて行こうかな。


 もさもさしたパンを咀嚼して、味の濃いスープで喉の奥に流し込む。とても健康的とは言えない食べ方です。けれど、乾いたパンはとても水分がないと飲み込めない代物です。

「申し訳ございません、ツェフェリさま。毎日このようなものしか用意できず……」

「いいよ。この村がそんなに裕福じゃないことはわかってるし、ボクがみんなと同じものを食べたいって言ってるんだからさ」

「恐れ入ります」

 食事はみんなと一緒に、同じものを。これが教会で生活するにあたって、ツェフェリが唯一つけた注文だ。……それでも村の一般の人よりはいい食事をしているのかもしれない。

「しかし、ツェフェリさま、その[ボク]というのは……」

「駄目?」

 ツェフェリは神様の子と言われたときに男の子っぽくしなきゃならないのかな、と思ったので、それからずっと[ボク]という一人称を使っています。

 ですが、シスターたちはそれがどうも引っ掛かるようで、何度も指摘してきます。

 ツェフェリの髪も、長く伸ばして肩口までありますし……神様の子だから男の子らしくしなければいけないというのは、ツェフェリの勝手な先入観で、性別なんて、実はどうでもいいのかもしれません。

 けれど、誰もツェフェリに駄目とは言いません。ツェフェリは神様の子。神様の子を否定するなど、神様に反目するのと同じ、と考えているのです。

 そんなに堅苦しくしなくていいのになぁ、とツェフェリは思いますが、口にはしません。何年も言ってきて、結局実にならなかったからです。

 それを深く考えてしまうと憂鬱になるので、ツェフェリは頭を振って、話題を切り替えます。

「そうだ。今日、買い物に出るんだよね? ついていってもいい?」

 ツェフェリの懇願に、シスターたちが顔を見合わせ、それから優しく微笑みました。

「わかりました。教会の中にこもりきりは息苦しいですもんね」

「やったぁ!」

 年相応の子どもらしく無邪気にはしゃぐツェフェリをシスターたちは温かい目で見守りました。

 何も、シスターたちとて、ツェフェリを神様の子だから、と大事に守りすぎるわけではないのです。やはり、人の子だな、と思う瞬間は共に過ごすうちに何度もありました。

 本当は、[虹の子]なんて役目を負わせて人身御供のような感じにさせるのはおかしい、と理解はしています。けれど、人は弱い。すがるものがなければ脆く崩れ去ってしまうようなものです。特に、この村の人々はそうでした。だから[虹の子]という存在を讃えなければならなかったのです。脆い人々に[神様からの授かり物]という勇気を与えなければ……

 ツェフェリが役目の重さを理解していなくても、シスターたちはそれでよかったのです。ツェフェリが笑っていてくれれば。

「では、お出かけ用のお召し物をご用意しておきますわ」

「うん、お願い」

 ツェフェリは笑うと、最後のパンに手をつけました。

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