十月九日

1

 『えんそく』と聞いた日からトラのそわそわがはじまった。


 「アオ!」

 毎晩オレの部屋に登山靴で侵入し、


 補給食を味見するだとか、

 ガイドブックを読めだとか、

 しおりをつくれだとか、

 熊鈴をやたらと鳴らしてみたりだとか、


 うるっさいぃぃぃいっ!

 パパはあしたもはやいんだねかせてくれっ!


 喉元まででかかって、


 「ハンバーグ、ハンバーグ、」


 遠慮なくオレのベッドに丸まり読めないガイドブックを必死に読もうと(山小屋の夕食メニューとか朝食メニューとか、)する背中に、


 「まったく…」

 それを呑み込むのだった。


 *


 そして、きょうだ。


 「なんだそれは、」


 あした尾瀬へ出立、とゆう十月九日。夜の八時。


 「なんだそれは、」


 巨大なカタツムリ…いや、背中の数倍に膨らんだバックパックを引きずった我が子(仮)が、満面の笑みで部屋の入り口に立っていた。

 (必要なものはすべてパッキングしたのに、なにを追加で詰めこんだらそんなに膨らむのか。チャムスのマスコット ブービーを模したバックパックの、もはや面影の片鱗もない。哀れブービー…)


 「あしたのやん!」

 「詰め込みすぎだ! 見ろ、ブービーが歪んでるじゃないか、かわいそうに」

 「ブービー、ごめんやで。ウサコのおかしやねん」


 お菓子か…


 「とゆうか、さっきおやすみなさいしただろ。きちんと眠らない子はお留守番だぞ」

 「だからねるやん!」


 ワクワクがとまらないぜ!


 トラの顔にはっきりそうかかれている。ねないだろ!


 抱き上げて部屋に連れていこうとするが、オレの手をかいくぐってベッド(オレの)にダイブする始末だ。


 「こら!」

 「あいべやのれんしゅうせなあかんやろ!」

 て、布団のなかから顔だけだしてくる。目をクリクリにして、クツクツ笑って、愉快そう。いたずらが楽しい仔猫みたいだ。


 「アオ、オレといっしょにねたことないやろ、れんしゅうせなあかん!」

 「れ、」

 うひひ、て、また顔を布団に引っ込めて笑う生き物を前に固まる。


 そうだ、トラに、オレは添い寝をしたことがなかった。添い寝など思いつきもしなかった。


 なぜか。


 オレが添い寝をしてもらったことがないからだ。


 くっつくと暑苦しい。

 オレの親はそういっていたから、


 あぁ、そうだな、でも、

 「もう、尾瀬は寒いからな」


 十月、夜の尾瀬はもう冬の気候だとゆう。それなら湯たんぽがわりに添い寝も悪くないだろう。


 「蹴とばしてくるなよ」


 ブービーに詰め込まれた大量のお菓子をだして整えると、ウサコを抱いてもごもごしている生き物のとなりに、オレも潜り込んだ。


 相部屋もたまにはいい。


 そう思った。


 *

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