第8話 一縷の望み

 舞踏会翌日のレイモンド伯爵邸では、招かれざる客の突然の訪問に激しく動揺させられていた。

 ゆえにサブリナの母親であるレイモンド伯爵夫人の自室では……


「は、母上っ。気を、気をしっかりお持ちくださいっ!」


「無理です。母の目はもう暗くなってまいりました……。ではご機嫌よう」


「母うえーッ! お、おのれアドニス。何とも恥知らずで図々しい奴めえっ!」


 つまり招かれざる客とはアドニスの事である。そのためサブリナの母親は失神寸前にまでなり、サブリナの次兄はカンカンになって怒っているのだ。

 また客間の前では……


「見て見て! あれがアドニス様よ!」


「やーん、なんてお美しいのかしら!」


「だって王国一番の遊び人だもの!」


「あの方がサブリナお姉様の元婚約者とか、ほんと信じらんなーい!」


 ドアの隙間から中を覗くサブリナの双子の妹たちがいた。

 すると二人に気付いたアドニスが美しい金色こんじきの髪を、いやそのズラをサラサラとかき上げながら、憂いのある笑顔を作ってキラリと微笑んで見せたのである。


「「キャーーッ!」」


 アドニスの甘やかに匂い立つ様なオーラを浴びた双子の姉妹は、同時に歓声をあげて興奮し互いの体を抱きしめ合った。

 そんな彼女たちの前にいつの間にか現れたサブリナは、咳払いをひとつすると無言で二人を軽く睨む。


「「あっ、お姉様……。テへッ」」


「テヘッ、ではありません!」と、キツい声で叱ったサブリナは、客間のドアを音を立ながら勢いよく閉めた。


「まったくもう、行儀がなってないわ」


 そう嘆息したサブリナはくるりと振り返ると、今度はアドニスを軽く睨む。


「アドニス様も、変なサービスはやめて下さいねっ!」


「ご、ごめんよサブリナ! 君以外の人に見つめられるとつい、遊び人の習慣が出てしまって……。すみません」


 ションボリしているアドニスが、今こうしてサブリナの実家に来ているのにはもちろん理由わけがあった。


 二人の計画の事など何も知らないサブリナの家族にとっては、残酷で無礼な婚約破棄をしたアドニスはまさに仇敵ともいえる存在であろう。

 いや、双子の姉妹にとってはアイドルかもしれないが……。ともかく生半可な覚悟で来られる場所ではないのだ。


 しかもご覧の通りレイモンド伯爵家は子沢山の大家族であり、家族の絆が強い。

 この日はたまたま父親と長兄、そして末弟は留守にしていたが、もし彼らが居たらもっと大事おおごとになっていたのは間違いない。


 むろん昨夜の舞踏会の後に行われた国王との密会、つまり二人の未来を懸けた計画実行の顛末をアドニスはサブリナに伝えねばならない。しかしそれはこんな乱暴なかたちである必要はないのだ。

 では何故アドニスはサブリナの迷惑を承知で、わざわざ会いに来たのか?


「そうですか、国王陛下が私をお召しになられているのですね……。それも本日中に」


「うん、急な事で時間の余裕がなくてね。だからサブリナの家族には申し訳ないとは思ったのだけれど、直接僕が伝えに来るしかなかったんだ」


「いいえ。むしろアドニス様に不快な思いをさせてしまって、私こそ申し訳ありませんでした」


 そう深々と頭を下げたサブリナに、アドニスは目を丸くして否定する。


「ち、違うよっ! そもそも僕が、僕が陛下との取引を上手くやれさえすれば、こんな事態になっていなかったのだから……」


「それこそ違います! 私が粗悪な計画を立てたのが悪いのです。そんなものに私たちの未来を懸けようとしただなんて……」


「冗談じゃない! 君の計画は良く出来たものだった。結局のところ悪いのはこの僕さ。そう、僕なんだ!」


 アドニスはサブリナの目を真っ直ぐに見てそう言ったが、長く見ている事は出来なかった。不意に俯くと唇を強く噛んで、吐き捨てる様に言葉を続ける。


「国王陛下にとって取引する価値が僕には無かったんだよ。遊び人ごときの情報なんか底が知れてると思われたんだ。興味をお示しになられなかったのがその証拠さ!」


「そんなっ! アドニス様に価値が無いなんて仰らないでっ。貴方は稀に見る天才なのですからッ!」


 サブリナは少し泣きそうになりながらそう訴えた。しかしその訴えに応えたのはアドニスの乾いた笑い声。


「はは。サブリナ、慰めてくれてありがとう。けどね、いくら世間で天才遊び人だと言われようと、国王陛下にとっては価値の無いゴミなんだよ……。そうゴミなんだっ!」


「えっ、遊び人!? ち、違います、そっちの天才じゃないんです!」


 サブリナはアドニスを勘違いさせてしまった事を直ぐに訂正しようとしたのだが、アドニスはすっかり自己嫌悪と自虐に夢中になっていて聞ける耳がない。

 例のごとく金髪のカツラを握りしめると、またいつもの様に引き剥がそうとした。


「我慢してこんなカツラを着けてまでやってきたというのにね。くそっ、遊び人なんか糞食らえだッ!」


「ちょーっ! アドニス様お待ちになって。これから二人で王宮へ参るのです、今カツラを取ってはなりませんわ!」


 カツラが半分剥がれ、アドニスの禿げ頭が片方だけ顔を出したところで危うくその手を止める。


「そ、そうだった。つい興奮してしまって。ごめんよサブリナ」


 サブリナは優しい手つきでアドニスのカツラを直してあげると、その優しい手つきのままアドニスの頭を撫でた。


「お互い落ち着きましょう? こうして国王陛下が私をお召しになられたからには、まだ計画に一縷の望みが残っているのかもしれませんし」


「そうだね。首の皮一枚繋がっただけとはいえ、僕がサブリナの存在と計画の内容を洗いざらい陛下にお話ししたら急に興味を持たれたのも事実だ。けどそれで君をお召しになられたのは何でなんだろう?」


「んー。計画の立案に私が関わっていたので興味をお持ちになられたとか?」


「サブリナに興味が?」


 途端、アドニスの顔色が真っ青になる。


「ま、まさかっ! 非凡な才のある君を側室にしようというお考えじゃッ!」


「それこそまさかですわ。側室に選ばれる女性はみな美しい方ばかりですもの。私なんて論外です」


「バカなっ! 君ほど美しい女性が他にいるものかっ。もしサブリナを側室に寄越よこせなどと言ったら、僕は陛下といえども許さないぞッ! 謀反するッ!」


「お、落ち着いて下さいアドニス様。それよりもっと現実的な話をしましょう」


 アドニスにとってはサブリナが側室に選ばれる事は、大いに現実的だと思っている。なので彼女の冷静な態度は不満であった。

 とはいえこれ以上続けたらサブリナに怒られそうだと、しぶしぶながら頷く。


「現実的というと、取引についての?」


「ええ。陛下が取引成立には足らないと仰った、その足りないものとは何でしょう? 情報の価値でしょうか?」


「うーん。はじめ陛下は僕の必死さが足りないと仰ったんだ。だから僕も情報の有用さを必死に売り込んだんだけど駄目だった」


「まあ……」


「多分だけど陛下は僕がどんな情報を集めていたのか、予測できているのかもしれない」


「なるほど。思った以上に情報の価値が安かったという訳ですのね」


 がっくりと肩を落として「ごめんね」と呟くアドニスに比べ、サブリナのその目には力強い光が宿ってみえた。


「それなら、情報以上に価値のあるものを取引に使えばいいのですわ」


「そうだけど……。そんなもの何処にあるのやら。はぁ」


 そう心細そうに溜め息をいたアドニスとは裏腹に、サブリナはやけに自信満々に言ったのである。


「あるじゃないですか!」


 おのが目に宿っていた光を一層輝かし、サブリナはアドニスの手を取って微笑んで見せたのだった。

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