第14話 我らの主人となられる方の危機は見過ごせない

「青い眼が真紅に……膨大な魔力量……。確かにセイリオス卿は特別ね」


 レオンの告白を聞いたティアナは、ぼそりと、独りごちた。

 これでまた、セイリオスが王族の血を色濃く引く人間である証拠が補強されたのだ。


「ティアナ、なにかわかったのか?」

「状況証拠だけだけれどね。……ジョシュは王族の特徴って、知ってる?」

「真紅の眼と膨大な魔力を持つこと、だろう? それがなに……もしかして、いや……セイリオス卿の魔力は恐れるほどのものではなかったはずだ」


 ジョシュの眉根がピクリと跳ねる。そのまま唸って考え込んでしまった。

 セイリオスに感じた魔力は、子爵位相当の弱い魔力だった。

 けれど。


「そんなもの、やり方によってはどうにでもなるものよ。知っているでしょう、ジョシュ。わたしがティンジェル公爵家で閉じ込められていたときのことを」

「……そうか、そのための虐待か」


「そうよ。生き延びることだけに注視させて、自由と思考と尊厳を奪う。あれだけ痩せていたのだもの、魔力をすべて生き延びるための生命力に変えていてもおかしくないわ」


 わたしがそうだったように、と言外に伝えると、ジョシュの表情が陰った。


 ——本当に過保護。今はもう、大丈夫なのに。


 ティアナはくすぐったさを感じながら、気付いていない素振りで話を続ける。


「ジョシュ、覚えてる? ファラー子爵邸でわたしが暴走したときのこと。子爵家の誰とも血縁関係がないと言ったとき、確かに彼の青眼の奥に真紅の光を見たの」

「なんだって? それは……妖精眼グラムサイトか?」


 驚愕するジョシュに、ティアナは神妙な面持ちで頷いてみせた。


 妖精眼グラムサイトは、真紅の眼だ。

 王室特有のこの眼は、見えないモノが見えるという。

 この妖精眼。常に真紅の光を放っているとは限らず、感情が昂ったり、明確な意思を持って妖精眼を使った場合に真紅に光る。


 ティアナはひとつ、深呼吸をした。深く吐いて、それから吸う。眼を閉じて、それから開く。

 開いた紫眼は、まっすぐレオンを射抜いていた。

 強い眼差しに見つめられてたじろぐレオンのことなど、ティアナは気にせず頷いた。


「レオン卿、よくわかりました。わたしがセイリオス卿を助けましょう」

「ティアナ、これは俺たちの仕事の範疇外だ。……総裁にも逆らうことになるんじゃないのか」


 すかさず口を挟むジョシュの言い分も、ティアナにはよくわかる。

 管轄で言えば、警察隊の範疇だ。紋章官の業務内容に誘拐事件を解決する業務など、どこにもない。

 紋章の鑑定審査権を一時的とはいえ封じられたティアナが勝手に動けば、更なる罰が下されるかもしれない。


 けれど、そうも言っていられない事情がある。

 ティアナは覚悟を決めた眼で、ジョシュとレオンとを交互に見つめた。


「知っているわ。けれど、将来、我らの主人あるじとなられる方の危機は見過ごせないの」



 ◇◆◇◆◇



 一方その頃、誘拐されたセイリオスは、自分が誘拐されたという自覚がないまま、黒塗りの馬車で運ばれていた。

 セイリオスが自覚を持つことができないまま運ばれているのは、そもそも意識を失っているからだ。


「……さま、……起きてください、セイリオス様!」

「っ! も、申し訳ありませんっ、旦那さ……あっ……、え?」


 強く名前を呼ばれてセイリオスが目を覚ます。飛び起きようともがくも、どこからともなくにゅっと伸びてきた腕によって阻まれた。


 ——よ、鎧っ!?


 磨かれて鈍く輝いているけれど、細かな傷がいくつもついている。使い込まれた輝きを放つ全身鎧フルアーマーに身を包んだ騎士が、セイリオスの青褪めた顔をジッと覗き込んでいた。

 騎士の奥にはフードを目深に被った男がひとり。フード男の顔は見えないけれど、騎士は全覆兜フルフェイスを外して素顔を晒している。


「……ッ?」


 貴族子息としてまともに扱われたことのないセイリオスは、自分か置かれている状況がまるで理解できなかった。


 手も足も、金属枷で拘束されている。けれど猿轡はされていなくて口は自由だ。

 気を失っていたセイリオスが寝ていたのは、床ではなく、柔らかな座席。紋章院を訪ねた際に乗せられた馬車では、座席に座ることを許されず、床に小さく丸まっていたというのに。


 セイリオスは、見知らぬ騎士に敬称付けで名前を呼ばれたことを疑問に思うよりも、これまで虐げられてきた記憶を優先させた。


 ——また新しい折檻なのかな。紋章と後継者のことで、苛立っていたからなあ、父上……。


 貴族子息として大切に扱われたこともなく、虐げられて一般常識が抜け落ちてしまったセイリオスは、現実逃避をするかのように呑気に思う。


 ——嫡男の座なんて……いつだってレオンに譲ったのに。父上も……なにもかも知る前に、すべて取り上げてくれればよかったのに。


 昨日の紋章鑑定は、セイリオスに福音をもたらすようなものではなかった。

 ずっと認められたい、優しくされたい、愛されたいと思って耐えてきたことが、ただの虐待であったとわかってしまったのだから。


 ——ぼくのためなんかじゃなかった。全然違った。誰の子ともわからないぼくが邪魔で、煩わしかっただけだった。


 窓にかけられたカーテンの隙間から洩れ差し込むオレンジ色の光をぼんやり眺めながら、セイリオスはひっそりとため息を吐く。

 馬車は急いでいるようで、魔術によって振動と騒音が軽減されているのにも関わらずガタゴト揺れている。


「セイリオス様、今しばらくご辛抱願います。王都を出まして、南方へ向かっておりますので。訳あって枷を外すことは叶いませんが、不快な点がございましたらお申し付けください」


 騎士はそう言うと甲斐甲斐しくセイリオスを抱き起こし、柔らかで腰が沈むような座席に座らせた。


「あ、ありがとう、ございま、す……」


 つっかえながらもセイリオスがお礼を述べていると、今度はフード男が話しかけてきた。目深に被ったフードを持ち上げ、素顔を晒しながら。


「セイリオス様、突然、不作法な真似をして申し訳ありません」

「あ、なたは……」


 フードの下から現れた顔は、ファラー子爵家に務める仕事熱心な従僕フットマンのもの。

 彼はニコニコと笑いながら、枷が嵌められたセイリオスの両手を取った。


「覚えてくださり光栄です! 少々、強引にお連れいたしましたが、子爵があの屋敷を留守にし、レオン様の監視の目がセイリオス様から外れた好機チャンスを逃すことだけは避けたかったのです」


 セイリオスの耳には、男の言葉など少しも入って来なかった。


 言葉の意味が、わからない。

 まともな教育を受けたことがないせいか、男がなにを言わんとしているかが理解できないのだ。


 未知なるものは、恐怖を誘う。

 セイリオスにとって恐怖とは、死活問題に直結する感覚だ。反射的に身体が逃げようと、もぞもぞ動き出す。


 それに気づいた元従僕フットマンにして現誘拐犯は、セイリオスを逃すまいと、力を込めて手を握る。


「あの紋章官が子爵邸へ押しかけてきたときには、どうしようかと思いましたが……かえって都合がよくなりました。感謝せねば」

「はぁ……、そうですか……」


 どうせ馬車の中で逃げることもできないのだ、と悟ったセイリオスは、早々に諦めた。

 強張った身体から力を抜いて、眉間に皺を寄せたまま気が抜けた返事をする。


 そのとき。

 どうしてかセイリオスは、紋章院の尋問塔で尋問という名のお茶会で口にした優しい香りのするお茶と、勇気付けるように触れてくれた柔らかな手を思い出した。


 あの瞬間だけは、自我が持てたような心地よい気分だった。


 ——駄目だ、諦めるのは違う。このひとの話を聞くのも、違う!


 瞬間的に悟ったセイリオスであったが、ここは逃げられない馬車の中。手足には枷が嵌められ、身動きも取れない。


「セイリオス様、長い間、助けることもできず申し訳ありませんでした。言い訳となってしまいますが、グレバドス公爵閣下の命により、セイリオス様が成人となられ、大紋章を手にするまではファラー家に置く、と」


 かつての従僕フットマンは、相も変わらずにこやかだ。けれどセイリオスにはその笑顔が、作られた笑みであるように思える。

 ゾクリとなにかを予感して、セイリオスの背筋が震えた。


「さあ、セイリオス様。あなたの価値を証明しましょう。大紋章がなくとも示せる価値を、今、ここで解放いたしましょう」


 そう言って、男はセイリオスの手にグレバドス公爵家の紋章が刻まれた宝珠オーブを握らせ、魔力を注いだ。


 ——駄目だ、これは駄目だ!


 そうは思っても、どうすることもできない。


「や、やめ、ろ!」


 セイリオスが抗うように身を捩るも、抵抗虚しく、逃げることは叶わなかった。

 そうして手中の珠が熱く燃えるように光を放ち——セイリオスの意識と自我は光の中へ呑み込まれてしまった。





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