第6話 どうして妖精姫と呼ばれているか、ご存じ?

「こッ、こんなところタウンハウスにまで押しかけて、紋章登録料を取り立てるつもりか!」

「それが俺たちの仕事です」


 子爵邸の従僕フットマンの制止を振り切り屋敷の中まで押しかけたティアナとジョシュは、玄関間ホールで額に青筋を立てて出迎えてくれたファラー子爵に唾が飛ぶ勢いで責められていた。


 激怒する子爵の相手はジョシュに任せ、ティアナはそっと屋敷を探る。

 飾られている絵画も、調度品も、高価で豪華。壁紙や絨毯、照明までもが、子爵家では手が届かない類いの高級品だ。


 ——このお金、どこから湧き出ているの。登録料を支払いたくない理由と、セイリオス卿を虐げる理由は繋がっているのかもしれない。


 ティアナが屋敷の内装を見渡していると、ビリビリと空気が震えるような怒鳴り声が玄関ホールに響いた。


「いいかッ! そいつはもう用済みだ! クソッ、置いてきたというのに余計なことを。おい、その羽織ガウンはなんだ。飾りも刺繍もないとは、愚図によく似合っているじゃあないか!」

「ち、父上……、これは……」


「うるさいッ、父と呼ぶなと何度言えばわかるんだ、この愚図め!」

「うっ……!」


 激昂した子爵に頬を打たれたセイリオスが、床へと倒れ込む。子爵は追い討ちをかけるように倒れたセイリオスを蹴り飛ばした。


「兄さん! ……父様ッ、お客人の前で、このようなこと……!」


 セイリオスに駆け寄ったのは、子爵家の次男か。子爵と同じ色をした髪を持つ青年は、痩せ細ったセイリオスよりも体格もよく、身長も高い。

 長い前髪の奥からセイリオスを見つめる視線には、憐れみが。父である子爵を睨む眼には怒りの炎がチラついている。


「れ、レオン……ごめん……」


 レオンに支えられながら身体を起こすセイリオスを見ながら、ティアナは彼をを虐げる子爵への怒りを隠さず、微笑んだ。淑女レディは怒りすら微笑みであらわすのだ。


「ファラー子爵。紋章鑑定の続きをいたしましょう。是非、いたしましょう」

「は、はぁ!? あの紋章は登録しない、と言ったはずだ」


 静かに猛るティアナの雰囲気に呑まれたのか。子爵が頬を引き攣らせながら後退りする。

 だからティアナは一歩、前へ踏み出し距離を詰めた。


「あの大紋章に描かれたエスカッシャンは、ファラー家を表す唯一無二の図案チャージです。青色アズュールの上に銀色アルジャンいしゆみ。長男を示す分家記号ケイデンシー・マークのレイブルがないだけで、まったく同じものだわ。ファラー家に無関係な紋章ではありません」


 ふるりと首を振るティアナの可憐さに、いくらか正気を取り戻した子爵が小さく呻く。


「だが、アレは未登録だと……」

「ええ、そうです。紋章としては未登録。ですが、魔力を通した本鑑定を行っておりませんので。もしもあの大紋章が未登録かつ違法紋章であれば、出所を探らなければなりません」

「……ッ!」


「やましいことがないのであれば、本鑑定をいたしましょう。心配なさらないで、すぐに終わります」


 ティアナは静かに告げると、ドレスのポケットから三本の巻物スクロールを取り出した。

 そっと練った魔力を流すと巻物が輝き出し、紐が解ける。はらりと広がる本紙に描かれた正規登録済みの紋章が、ティアナの魔力に呼応して輝き出した。


「な、なんだ!? なにが起こっている!?」

「失礼、それでは鑑定前におやつを。——いただきます我が身に宿れ、紋章よ!」


 ティアナの力ある言葉によって、輝ける紋章が本紙から剥離する。そうして宙を漂う三つの紋章が、ティアナの柔らかな口の中へと呑み込まれていった。

 舌の上で踊る紋章が、甘く甘く蕩けてゆく。


 知識とは、蜜飴のように甘く蠱惑的な味がするものだ。


 紋章に記された歴史と血筋と情報が地層のように積み重なって、ティアナのなかに溶けてゆく。


 じゅわりと広がる甘美な痺れ。

 もっと欲しいと欲する渇望。


 溶けた情報データが身体の中で実を結び、あるいはそのまま蓄積されてティアナの知識ものになってゆく。


 三つすべてを呑み込んだティアナは、潤んだ瞳や上気した頬を恥じることも隠すこともせずに、ほう、と濡れた吐息をひとつ漏らした。


「——美味しゅうございました」

「ば、バケモノめ! 存在しない公爵令嬢、妖精女王のために用意された空白の爵位を継ぐ紛いもの! こんな……こんなバケモノだったのか!」


 恐怖を感じたことを誤魔化すためか。大声でわめく子爵を、ジョシュが不快なものでも見るような目で睨む。

 三つも紋章を食べてご満悦なティアナだけが、美しく微笑みを浮かべている。


「ええ、そうです。だから妖精姫バケモノだなんて呼ばれているのよ」


 それはまるで人心をたぶらかす美しい妖精バケモノの微笑みだ。


「ファラー子爵、どうしてわたしが妖精姫と呼ばれているか、ご存じ?」


 三つの紋章を取り込んだ紫眼を妖しくきらめかせ、ティアナは可憐に微笑んだ。

 妖艶と可憐とが奇跡的に両立するのは、ティアナが妖精女王の魔力を宿した妖精姫バケモノだから。人工的に造られた紛い物。


 ラステサリア王国には公爵家が四つあり、その一角を担うアンフィライト家。けれどその実態は、子爵が言ったように、妖精女王のために用意された空白の家門だ。

 ラステサリア王国の建国時、美しき妖精女王と恋に落ちた王が彼女のために用意したものだという。


 空白の公爵家アンフィライトの娘、それがティアナだ。


 ティアナが愉しそうにくるり、くるりと回る。


「紋章には、家門の歴史と血脈と情報が魔術的に封ぜられているの。わたしはそれを食べているのです。それはもう、甘くてとろけて、癖になる味わいなのですよ。子爵、あなたも味わってみますか? 魔力が低くて陞爵できないヒトが食べたらどうなるか……ずっとずっと、気になっていたのです」


 うふふ、とティアナが微笑む。それだけで、子爵はその場に膝から崩れ落ちた。恐怖で体が震え、歯の根がガチガチ音を立てている。

 紋章を食べたことでティアナの体内にある妖精女王の力が活性化したのだ。


 ヒトが平伏してる、愉しい!

 人間性が欠けて行くような、溶けて行くような感覚が心地いい。おかえりなさい、我が本能。理性なんて枷、吹き飛ばしてしまえばいい!


 だめよ、それではいけないの!

 一方で、なけなしの理性が必死になってティアナを引き止めようと足掻いている。妖精姫の支配から抜け出そうともがいたのは、ティアナの理性だけではなかった。


「あ、ああ……ば、バケモノめ……」

「うるさい。黙りなさい」


 ティアナがギロリとひと睨みしただけで、子爵の喉が引き攣った。首を垂れて、もう顔も上げられない。

 女王という称号がつく力なだけあって、魔力耐性のないヒトは膝を折りたくなるような、首を垂れたくなるような支配力と恐怖を撒き散らす。


 誰も彼もがひざまずくなか、強烈な支配欲に満たされたティアナがひとり、妖艶に嗤っていた。





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