第2話 ラステサリア王立紋章院の生ける紋章鑑

「最上段に配置された兜飾りクレストは輝ける光輪の狼。その下にあるクラウンは三枚葉と宝石で飾られた金冠。クラウンの下のヘルメットは左向きのバー・ヘルメットで濁りのない銀色アルジャン——」


 巻物スクロールに描かれた大紋章アチーヴメントを上から指差してティアナは言った。


 小太りの男が紋章院に持ち込んだのは、楯型の枠に囲まれたシンプルな紋章コート・オブ・アームズではない。最も重要な紋章部の周囲に、家紋の権威を誇示するために過剰とも思える豪奢な装飾が施された紋章。

 それを、大紋章アチーヴメントという。


「いったい、どのような経緯で入手した大紋章でしょうか? こんなに美味しそうな大紋章は、なかなかお目にかかれません」

「は、はぁ……それで?」


 男はティアナの解説を聞いていたのか、いないのか。気が抜けたような返事で首を傾げる男に、ティアナはそっと胸の内だけでため息を吐いた。


 ——まったく、どんな経緯でこの男にあんな素晴らしい大紋章が渡ったの?


 この男に中身権威がないことなんて、ひと目見ただけでわかる。


 美しく豪奢な刺繍が施された上着は人目を引く。けれど、使われている刺繍糸はただの染色糸。金糸や銀糸でもなく、魔獣から紡がれる希少な糸も使われていない。


 羊毛ウール素材の生地は立派な仕立てではある。けれど、きらめく宝飾は本物の宝石や魔石ではなく、硝子ガラス玉だ。磨かれ、形を整えられて価値が上がった硝子ガラス玉ではなく、雑な造形のまがい物。


 ——この素敵な大紋章と、全然、少しも、釣り合っていないわ!


 男の隣で小さくなって俯いている影の薄い息子も似たような上着である。親子そろってセンスが鈍いのか、それとも父親の趣味だろうか。

 近年、王国では質の高さを求めた質実シンプルな装いが流行しているというのに、流行遅れもいいところである。


 ——すべてはこの紋章を合法的に食べるいただくため。すべては紋章を摂取するため!


 鑑定の仕事さえ済めば、上司ガーラントもティアナが紋章をいただくことに反対はしない。きっと、そのはずだ。

 だからティアナはこの仕事の果てで待っている紋章ご褒美のために、深呼吸をひとつ。そうして気持ちを切り替えた。


「この紋章を普通の紋章と切り分けているのは、こちらです。紋章上段に配置されている兜飾りクレストクラウン、そしてヘルメット。このパーツの組み合わせは、爵位と家門を表しています」


 ティアナの指が紋章上段に配置された三つのパーツを囲むように円を描く。

 指先に紋章の輪郭を感じながら、ティアナは肉に埋もれて細くなった男の真意と身元を探る。


「……失礼ですが、どちらの高位貴族の高貴なる血に連なるお方でしょう? 王室の隠し子をお探しですか? それとも王族の血を引いていないかお調べに? 申し訳ありません、この組み合わせを使う家門を存じ上げないのは、不徳の致すところです」


 にこりと笑って眼を伏せると、男が急に青褪めた顔で首を振った。


「そッ、そんな、とんでもない! 我らファラー家はグレバドス公爵家の家臣ではあるが、王族の血など一滴も入っておらぬ!」

「嘘でしょ、こんな仰々しい大紋章を持ち込んでおいて、なんの野心もない普通の鑑定依頼なの!?」


 胡散臭すぎるのに!?

 驚きのあまりティアナは、この紋章を持ち込んだ男の思惑を探るのを忘れた。それどころか本音が飛び出て消し飛んだ。


「それならそうと、早くおっしゃってください! クラウンが爵位に見合っていない、という点はありますけれど、それ以外の意匠デザインは見事なものです! ヘルメットの背後に広がる外套マントルは傷ひとつない一枚布。外側が紫色パーピュア、内側が銀色。珍しい配色だわ。楯を支える動物サポーターは天狼。……天狼?」


「なッ、なんだね? なにかあるのかね!?」

「天狼のモチーフは王国ではあまり例がないので興味深くて。兜飾りクレストだけでなく、動物サポーターにも使うだなんて……天狼に強い縁があるのですか?」


「いや、そんな話はない。ファラー家うちに縁があるとするなら猟犬ハウンドだ」

「そう、そうですよね。ファラー家といえば、広大な狩猟地を有する帯剣貴族として有名ですもの。……この紋章を作成した紋章設計士シール・デザイナーが、クラウンのように拡大解釈したのかしら?」


 ティアナは首を捻って呟いた。

 ファラー家といえば、爵位は子爵だ。

 本来ならばクラウンは、五本の枝の先端に真珠パールをあしらった金冠であるべきである。


 しかし、使われているのは公爵位を示す三枚葉と宝石で飾られた金冠だ。


 兜飾りクレスト動物サポーターに爵位による制限はない。けれど、ファラー家が天狼という格の高い幻獣を使うには歴史と実績が不足している。


 ——この紋章、誰がなんのためにファラー子爵に与えたの?


 ティアナの胸の内を好奇心が駆け巡る。

 知ることへの渇望と、溜めた知識を放出することへの愉悦が混じり、紫色の瞳の奥がチカチカと光り出す。


「中央の青色アズュールで塗り潰されたエスカッシャンに描かれた図案チャージは銀色のいしゆみと、長男を示す分家記号ケイデンシー・マークのレイブル。……ということは、この紋章はファラー子爵家当主のものではなく、そちらのご子息のものですか? それとも子爵が爵位を継承する以前の古いもの? そういえば、現在登録されているファラー子爵家の紋章も図案チャージは銀色のいしゆみでしたね!」


「我が家門の図案チャージである銀の弩と同じだと!? そんな馬鹿な。お嬢さんレディ、解説はいい。もういいから! 早くこの紋章の鑑定結果を教えてくれたまえ!」


 早口で長々としたティアナの解説に痺れを切らしたか。興奮したファラー子爵が手を伸ばし、ティアナの華奢な手首をがしりと掴んだ。


「きゃあ!」

 反射的にティアナの喉から悲鳴が上がる。


 ——なんて短気な。もう少し余裕を持つのが貴族というものよ!


 そんなことを思った次の瞬間、応接室の扉の前で控えていた紋章官が素早く動いた。あっという間に距離を詰め、ティアナに無体を働いた子爵の手を掴み、捻り上げる。


「痛ッ!? なッ、なにをするんだね!?」

「失礼、子爵ロード。うちのティアナレディに触れないでいただきたい」


 歳の若さでいえば、ティアナと同じくらい。二十歳前後の精悍な顔つきの黒髪に浅黒い肌をしたジョシュ・デューラー。準男爵にして下級紋章官が、その金眼を鋭く光らせ子爵を睨む。


「ジョシュ! ありがとう、わたしは大丈夫よ。手を離して差し上げて」


 助けられたティアナの頬が、思わず緩む。ジョシュはその頬を少し赤らめ、子爵から素直に手を離した。


子爵ロード、非礼をお詫びします」

「い、いや……私も悪かった。少し気がいてしまった」


 背が高いジョシュに怯えたのか。子爵の身体が震えている。けれど、鑑定結果を早急に聞きたいとのご所望だ。ティアナは気にせず話を続けた。


「興味深い点はいくつかありますが……一番興味深いのは、これだけ見事な大紋章が、紋章鑑ロール・オブ・アームズに登録されていない未登録紋章であることです」





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