第16話 幸せだから


「先輩、わたしおなか空いちゃいました。このまま晩御飯食べにいきませんか? この島で、普段先輩が何を食べてるか気になりますし」


 『第四病院』を後にして、家までの歩道を歩いている最中、小柚は上目遣いで提案してきた。


「地域限定、みたいな場所ないわよ。それに、先に荷物を片付けなくていいの? 持ってきたカバンやけに大きくなかった?」


「あはは、乙女には必要なものが多いんですよ。それに、今はまだ必要なさそうです」


 釈然しゃくぜんとしない点もあるが、つっこみすぎるのも野暮かもしれない。


「そう? まあいいけど。和洋中ならどこがいい?」


「今日は、和食の気分です!」


 それならば、と。


「なら、『ムラサイ市場いちば』に行きましょうか」


「いいですね」


 私が提案したありふれたチェーン店に、小柚は納得してくれたようだった。



 ******



「ゴユックリドウゾー。デゴザル」


 侍を模した配膳ロボットから、鯖の味噌煮定食と和風からあげ定食を受け取る。四分の一ほど席が埋まっている店内で、私たちは食事を始めた。


「うーん。医療都市だからって薄味ってことはないんですね。美味しいです」


 からあげを一口かじってから、小柚が小声で感想を言う。


「ふふっ。そうね」


 鯖の味噌煮も本土と味が変わらないと思う。そこまで、味覚に自信があるわけではないけれど。雑談を交えながら、食事を進める。


******


 お互いに食べ終わって、食後の熱いほうじ茶を飲んでいる時だった。


「……先輩。実際のところ、大学に戻ってくる気はないんですか?」


 小柚がいつになく真面目なトーンでしゃべりだす。


「……今更、何言って」


 歯切れの悪い返事をする私。


「別に大学病院じゃなくても構いません。『ネオンフィーブ病』の研究を再開しろ、とも言いません。でも、この先、ずっとここにいるつもりなんですか?」


 感情不全は原因不明の病ではあるが、医療としに拘束されるタイプの病気ではない。私は、この場所に居続ける必要は無いといえば無いのかもしれない。


「この島に来たのは、気分転換のためですよね? 今はもう、あの時みたいに顔色も悪くないし、目の下のくまもすごく小さくなっていますよね」


 確かにそうだ。最近は悪夢を見ることもないし、寝付きもいい。


 でも、それは——。


「……先輩は、多くの人を助けられるすごい人なんですよ」


「そんなこと……」


「実際に、『エルストロ病』の特効薬は、年間1000人以上の人を救っています」


「……それは」


 事実そうであるらしい。それはすばらしいことだと思う。


「この島で、本気で研究を続けるなら、それでも構わないんです。先輩が必要だっていうのなら何だって手伝います。だけど今、薬の研究していませんよね?」


「……少しなら」


「漢方薬を否定するつもりはありません。けれど、私は先輩の才能を一番活かせる分野だとは思えません」


「……」


「もうあのクソ教授はいないんですよ。周りの人たちだって分かっています。嫌がるかもしれませんけど、皆、同情もしています。席も用意されているんですよ」


 小柚のいう通り、あの教授——私からあの時の全てを奪った男は、もう『シキクラ大学病院』にはいない。


 どうやったかは詳しく教えてくれなかったが、証拠を完全に集めた上で、数人の弁護士とともに大学病院の事務と法務部に乗り込んだらしい。


 結果として教授は懲戒免職。


 私の他にも、多数の被害者がいたようである。横領や不適切な経費の使用、不当な圧力による強制退学勧告などさまざまな悪事が明るみになったことで、教授は逮捕された。


 その時期はニュースを確認する余裕などなかったため、私は見ていないが全国的かつ大々的に報道されたらしい。教授がいなくなり、学籍を取り戻した一部の人たちは、大学に戻って来たようである。


 それでも——。


「ここでの生活に不満はないし、大学病院に戻ることはないと思う」


 私は小柚の目を見てはっきりと伝える。


「それなら……っ!」


 小柚は納得いっていない顔である。


「……ここで暮らしていると、たくさんの人たちと関われるの」


「……?」


 素直に話そう。私の考えを、とりとめのない答えでもいいから。


「大学にいた頃よりも、大学病院で研究室に引きこもっていた頃より」


「……」


 小柚は黙って聞いてくれている。


「今も研究室にこもっていることは少なくないけれど……、毎朝『ココア』に行って、菊子さんとおじいさんと話をして、第四病院では海堀さんと岩清水先生に挨拶して、時々だけど医学の話もしているの。薬を求めている人たちは、すごく感謝してくれるの。栄養剤のような、高度なものではないけれど、たくさんの人の役に立っているの」


「……」


 小柚の表情は変わらない。


「『エルストロ』の特効薬が、たくさんの人の役に立っているのはすごく嬉しい。特許のおかげでお金にも困ってない。だけど、私は今の生活を気に入っている」


 少年、少女と出会った。そして、少女とは会話の約束もした。こんな未来、以前までは想像もつかなかったことだ。


「それに……」


「……?」


 言い淀む。寿人くんが帰ってくる、と。


「初めは、私の薬について興味をもっていただけだと思う。だけど、いろいろな事を体験して、一緒にいて、私自身を認めてくれたの」


「メールに書いてた男性ですか?」


 小柚は少し不満気に確認してくる。


「そう。だから、今は薬をつくることが私の中心ではなくなっているの」


 薬をつくること、それが心の支えで拠り所になっていた。全てを喪失しても、それを手放すことができなかった。私が私ではなくなってしまう気がして。


「日々を穏やかに過ごす。その一環で薬に触れる機会があって、そんな日常で私は十分満足している」


 心の底から笑うことはできなくなったけれど、そんな感覚が私にあったのかも思い出せないけれど。


 今、生きていて良かったと本気で思えている。


「もともと、『感情不全』で何か困っていることもないし、ここで不自由だと感じたこともないわ」


 原因が取り除かれたとしても、あの日の心的外傷がフラッシュバックしないとは限らない。無理に、というより大学病院に戻る必要性を全く感じていない今、私の中に戻るという選択肢は存在しない。


「……むう。まあ、いいです。ちょっと強引だったかもしれないです」


「いいのよ。気にしてないわ」


 小柚が私のことを思って言ってくれているのは、痛いほど理解できている。


 以前の私の精神状態は良かったとは決して言えない。あの頃の私を見ていた小柚だからこそ思うこともたくさんあるのだろう。


「それで、ここまでやってきた理由はそれだけなの?」


 気になっていたことを聞いてみる。


「メインはそうですね。先輩の様子をみてみることでした。もちろん、岩清水院長とお話ししてみたのもありましたけど」


 そう言って、小柚はお茶を飲む。私も湯呑みを持ち上げると、お茶はすっかり冷めてしまっていた。


「用事が終わったら、しばらく、観光がてら散策するつもりです。水族館も見てみたいし」


 島の外から『シャウラメ水族館』を観光するのには、事前に予約をしなければならない。


 入島者数制限の関係で、実際に観覧が許されるのは一ヶ月程度かかるらしい。長期休暇シーズンはそれ以上。


 島に住んでいれば、基本的には自由な観覧が許される。少々面倒な身体検査はあるが、それも15分程度である。


 一度しか訪れたことのない私が、偉そうなことは言えないが。


「迷惑だったら言ってくださいね」


 なぜか少し不安そうな小柚。


「迷惑だなんて思ったことないわ。小柚と両親くらいだもの。私のことをきにかけてくれるの」


「ふーん。今はそうでもなさそうですけどねぇ」


 小柚は小悪魔のような笑みを浮かべながら言う。


「……? 島の人のこと? 確かに菊子さんは、体調を心配してくれるけど……」


「城後寿人さんですよ!」


「っっっ……。げほっ、げほっ」


「大丈夫ですか!?」


 お茶が入ってはいけないところに入る。


「だ、大丈夫だけど……。私、名前書いたかしら……?」


 メールには最近、男性と会ったとしか書いてなかったはず。


「スタントマンで元特撮ヒーロー、って情報さえあれば大体特定できますよぉ」


「そうなの……? いや別に隠すつもりはなかったなかったのだけど」


「半分は勘ですけどね。城後寿人さん、【サカレンジャー】以降は仕事お休みしてるらしいので」


「……そうね」


 寿人くんは感情不全のことを公表はしていないはず。少し迂闊だったかもしれない。


「大丈夫ですよぉ。誰かにしゃべったりしませんから」


 私が少し焦った様子なのに気付いたのか、小柚が声をかけてくれる。


「小柚のことは信頼しているわ。でも……」


「……でも?」


「彼が有名人だなんて知らなかったから。失礼な対応とかも、あったかもしれないし」


「うーん。必要ないと思いますよ。そういう特別扱いとか、先輩にされたいとは思っていないでしょうし」


 小柚は自信満々そうに見える。


「そうなの?」


「自然体の先輩と一緒にいてくれたんですよね。なら、そのままでいるべきですよ。肩の力を抜ける、自然に話せる相手なんて貴重な存在だと思いますし」


 そういうものなのか。私は人間関係に対する経験値の総量があまりにも少ない。こういう時の小柚は本当に頼りになる。


「ありがとう。久しぶりに小柚と話せて楽しいわ」


「なんですか、急に」


 少し照れているようだが、小柚は満更でもなさそうだ。


「……少し、寂しかったんです。先輩、返信してくれても、大丈夫の一言しか返さないこともありましたし」


「それは……、ごめんなさい」


 余裕がなかったのだ、決して面倒だったわけではない。


「あとはちょっとジェラってますね。わたしの先輩なのに、どこの馬の骨とも分からない奴にいいようにされたくないですから。城後寿人さんと出会ってから、先輩、明らかにメッセの文章増えましたし。一文増やすのに、わたしは一ヶ月以上かかったのに」


 小柚のものになったつもりはないけれど。


「こう見えて、すごく感謝しているのよ、小柚には」


「わかってますよぉ。みにくい嫉妬ですよぉ。何となく小姑こじゅうとの気持ちなんですよぉ」


 口をとがらせている小柚はすごく可愛い。


「ふふっ」


「むう」


 正直、『シキクラ大学病院』にいい思い出はない。それでも、一生涯の友人で大事な後輩ができたことは、私の人生最大の幸運と言えるだろう。

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