第6話 告白のような


 水族館のカフェの一席で、城後くんは今までのことをゆっくりと話してくれた。


 そんな城後くんに、私は問いかける。


「——それであなたはどうしたいの?」


「どう……?」


「『感情不全』を治療したいの?」


「そうなのかもしれない、けど——」


「——お客様、大変申しわけありませんが、もうすぐ閉店時間となりますので……」


「……すみません。すぐ出ます」


 突然、店員が話しかけてきた。とても長い時間、城後くんの話を聞いていたらしい。


 カフェにある置き時計を確認する。もうすぐ午後十時だ。


「とりあえず、出ようか」


「そうね」


 城後くんの提案に私は素直に従う。


「ご利用ありがとうございました。またのご来店をお待ちしております」


 店員の丁寧な挨拶が聞こえてくる。


 重い足取りで、私たちはカフェをあとにした。



 ******



 帰りの水平エレベーターの中。私たちの間に存在する空気は依然として重いままだった。


「明日、また話せるかな」


「ええ、問題ないわ」


 城後くんが私の目を見て話す。


「えっと、じゃあ明日の朝、十時でどう?」


「分かったわ。集合場所は?」


「どこか、静かで長時間いられる場所ってあるかな?」


「なら十時にあなたのマンションの前にいて。迎えに行くわ」


「分かった。ありがとう」


 明日の約束を結べた私たち。その後、最寄り駅に着くまで、私たちは一言も発することができなかったのだった。

 


 ******



 時刻は午前十時。私は『マンション・チナラプ』の前に、傘を差した人影が見えることを確認した。


「おはよう」


「おはよう、熊谷さん」


 私の挨拶に、城後くんはどこか頼りない笑顔で挨拶を返す。


生憎あいにくの雨ね」


「そうだね、でも涼しくていいや」


「確かにそうね。それじゃあ行きましょう」


「どこに行くか聞いていい?」


「『第四病院』よ」


 城後くんの問いに、私は最寄りの病院名を告げる。



 ******



 この島には大きな指定病院が五つある。そのうち、島の南西にあるのが、私たちが今いる『第四病院』である。


「あら、沙月ちゃん。こんにちは。珍しいわね。男連れなんて」


「……こんにちは。研究室借りますね。海堀さん」


「ごゆっくり〜」


「失礼します!」


 看護師長である海堀さんに部屋の使用許可をもらい、私は早足で歩き出した。城後くんは少し気まずそうな顔で笑っていた。


 エレベーターで五階に上がり、東に向かう。一番奥にあるのが、薬の調合の時に私が使わせてもらっている研究室だ。


 カードキーをスキャンして、ドアを開ける。


「お邪魔します」


「どこでもいいわ。適当に座って」


「ありがとう」


 城後くんが遠慮がちに座る。


 前置きはいらないだろう。さっそく私は本題を話し始める。


「昨日の話を続けましょう」


「うん」


「あなたは『感情不全』を治したいの?」


「『感情不全』が治ったら、昔みたいに楽しく動けるかな?」


 私の質問に対して、城後くんは質問をかぶせてくる。


「それは……。正直わからないわ」


「そうなんだ」


「ええ、たとえば、『感情不全』に罹ってない人でも自分の嫌いなものは楽しめないでしょう?」


 体を動かすことに、トラウマが残ってしまうこともある。感情が帰ってきたとしても、以前のように感じることができるかは個々人によるとしか言えない。


「確かに。そうだね」


 私の説明に城後くんは一応納得したように思える。


「俺は、多分、ええと」


「大丈夫。ゆっくりでいいわ。ちゃんと聞くから」


「……ありがとう」


「ちょっと、お茶入れてくるわね」


「うん……」


 混乱しているように見えた城後くんに声をかける。


 少しは落ち着いたようだ。私が入れてきたお茶を一口飲んで、城後くんはまた、ゆっくりと話し始める。


「俺は、もう一度、仕事がしたいんだと思う」


「あの日の屋上でのショーは仕事じゃなかったの?」


「うん、違う。あれは宏太に、ええと、あの金髪で元気な男」


「覚えているわ」


「高校の頃の後輩なんだけど、宏太にこの島に来るって言ったら、ちょうどヒーローショーをするって聞いて」


「そう」


 少し早口になってきた城後くん。彼の言葉に私は相槌を入れる。


「それで、やりたいって言ったんだ」


「そうなのね」


「うん、でも、わからなかった。自分がどう思っているか。カメラがなかったらのびのびできると思ったんだ、けど、なんだか窮屈きゅうくつに感じるんだ」


「そう」


「うん、うまく思い出せないけど、あんなに楽しかった……はずなのに。昔からの夢だったんだ、ヒーローになるのが」


 昔のことを思い出しているのだろうか。城後くんはどこか遠くを眺めているかのような表情をしている。


「そうなのね」


「うん、母さんとの約束でもあったし。でも、重いんだ。正義のヒーローのスーツは無敵でかっこいいはずなのに」


「……私には、あの日のあなたは軽やかに見えたわよ」


 私は正直な感想を伝える。


「全然違うんだ。昔と。具体的には言えないけど」


「そういうものなのね」


「うん。あの後、えっと、最終回の放送の後、見た感想の中に人間なんていらないっていうコメントがあって」


「……そんなことないと思うけど」


 私は控えめに、しかし、はっきりと反論する。


「でも、俺も思っちゃったんだ。はじめて、あの映像を見た時、これをAIが作っているって思ったら、一生、人は勝てないんじゃないかって」


「…………」


 私は、何も言えなくなる。それを体験していない私に、何か言う資格があるか分からないか。


「納得しちゃったんだと思う。人はいらないってことに。少なくとも、『サカレンジャー』には」


「…………」


「最初から全部、AIが作っていたらもっといい作品になっていたんだろうなって。そう考えたら、今まで何をしてきたんだろう、俺、って」


「……そんなこと——」


反射で否定したくなるが、城後くんは話し続ける。


「多分、他の仲間たちも同じことを思ってたと思う。あの映像を見た後、みんな体調崩しちゃって。なんとなく調子が良くなかったんだ。監督なんて、監督の仕事を辞めちゃった」


「…………」


 私は、また黙ってしまう。その場にいた人たちの衝撃を、想像することすらできない。


「それで、気づいたら、何もかも楽しいと思えなくなっていたんだ。どんなことが起きても怒れなくなっちゃった」


 城後くんの『感情不全』による症状は、怒りと楽しさの喪失。


「…………」


「でも、当然なんだ。楽しくないのは、だらだらとやり続けていたからで、怒れなくなったのは、あのとき、きちんと怒らなかったから」


「怒らなかった……?」


 私は小さな声でつぶやく。


「うん。怒ることから、逃げちゃったんだ。多分、あのとき、ちゃんと怒っていれば。——俺は納得いきません! 一度、自分たちで最終回を撮ってから決めましょう——って言えていたら」


「言えていたら?」


 私は促すように聞く。


「少なくとも、逃げなかったって、記憶は残ったと思う」


 城後くんが力強く答える。


「そうね」


 私は納得する。


「多分、俺は、挑戦できなかった自分に怒りたいんだ」


 城後くんがハッとした顔をしていた。


「自分の気持ちを言葉にできたかしら」


 私はできるだけ優しく尋ねる。


「うん、ありがとう、熊谷さん。ちょっとすっきりしたよ」


 城後くんがはっきりと答える。


「それなら良かったわ」


「うん。とっても良かった」


 城後くんの顔にいつもの明るさが戻ってきていた。


「とりあえずはその方針でいきましょう」


 私は胸を張って宣言する。


「えっ」


 城後くんが驚いた様子でこちらを見つめていた。


「あなたが挑戦できた、と思うまでいくらでも付き合うわ」


 私は宣言を補足する。


「……ありがとう。でも、何で——」


「あなたのアクション、あの日の屋上が最高じゃないのよね」


 城後くんの質問を遮って、私は確認する。


「……うん。もっと動けるよ」


「それなら良かった」


「……?」


 城後くんが不思議な顔をしている。


「私、あのとき、あの屋上で、すごく感動したの」


「うん」


 私の発言に城後くんは優しい声で、相槌をくれる。


「すごく、すごくかっこいいと思ったの」


 今は恥ずかしいなんて、気にしていたら駄目だ。


「うん」


 城後くんの相槌は続く。


「赤いヒーローのことが、本物のヒーローに見えたの」


 紛れもなく私の本心だ。


「うん」


「この島に来てから、何をしても、何を見ても楽しいとは思わなかった。私には楽しいという感情は、残っているはずなのに」


 これも本当のことだ。


「うん」


「ただ、時間を潰すためだけに、仕方なく薬を作っていたの。それしか、やることがなかったから」


 薬をさわっている間は、何も考えないでいられた。


「うん」


「寝不足だったの。悪夢を見るのが怖かったから。でも屋上であなたを、あなたがつくったヒーローを見てから、よく眠れるの」


 眠れない日々はとても苦しかった。


「うん」


「だから、私、見てみたいの」


「……何を?」


 城後くんが問いかけてくる。


「あなたの最高のヒーローを」


 私は力強く答えた。


「ありがとう。すごく嬉しいよ。それに同じことを言ってくれるんだね」


 城後くんがすごく嬉しそうに言う。


「……どなたと?」


 不思議に思った私は、素直に城後くんに聞く。


「母さんと。子供の頃、約束したんだ。俺が、最高のヒーローを見せてあげるって」


 城後くんは楽しげだ。


「そうなのね」


 私は少し安心する。


「また、お礼しなきゃいけないことが増えたね」


 城後くんがからかうように笑う。


「気にしなくていいって言ったのに。それに私はあなたのこと——」


 ——ググゥー。城後くんのお腹から大きな音が鳴る。


「俺のこと?」


 腹の虫を気にもせず、城後くんが尋ねてくる。


「あなたのことを尊敬していて、ファンでもあるの」


 私は何事もなかったように、決し動揺を顔に出さないように答える。


「そうなんだ。俺も熊谷さんのこと、尊敬しているよ」


 城後くんが明るい声で言ってくれる。


「ありがとう。それより、もうすぐお昼よね。私もお腹が空いたわ。パン屋に行きましょう」


 私は早口で話題を変える。


「いいね。行こうか!」


 城後くんの気分が明らかに高揚しはじめているようである。


「少し準備するから、先に待合室で待っててくれる?」


 私は一人になるために、そうお願いする。


「オッケー。ゆっくりでいいからね」


 城後くんはそう言い残し、部屋を出て行く。


 エレベーターが到着して、降りていく音を確認してから、私はつぶやいた。


「私、さっき何を口走りそうになった……?」


 叫びたくなる気持ちを抑えて、熱くなった顔を冷やすために顔を洗いに行く。


 この気持ちは、とりあえず、深く、深くにしまっておこう。

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