第1話 衝撃と衝撃


 物語の中で、女の子が空から落ちてくるというのはよくある展開だと思う。


 主人公は自然に女の子を抱きしめられ、力強さや献身性もアピールできる。のちに二人は恋に落ちるという伏線にもなっているかもしれない。


 だからといってこの展開はあんまりだ、と私は思う。


 私は身長も体重も成人の平均に達していない。それなのに、私よりもかなり大きい人間が上空から落ちてくる。そんなものをこの細腕でどう受け止めろと言うのだ。


 そもそも男女が逆だ。


(……どうしたものか)


 つい先ほど、目の前で大きな音を立てて落下し終えた男性を見て、私は深いため息をついたのだった。



 ******



 AI技術の革命によって、科学は大きな発展を遂げ、人類はさまざまな恩恵を享受していた。


 それは、医療科学も例外ではない。


 ほとんどの医療行為はAIを搭載したロボットが行うようになり、医療従事者は激務や責任から解放された。


 ——ここは、『医療都市アレクリン』。

 病を抱えた人々が訪れる島。


 海上に人工的に作られた島の一つである。


 難病や原因不明の奇病など、様々な事情を抱えた人々が飛行船で集められ、最先端の治療を受けられる。そのため、この都市には毎日のようにさまざまな人間が訪れる。


 飛行船から落ちてくる人間を見たのは、さすがにはじめてだったが。


 救急ロボットを呼んだ後、男性は病院に運ばれ、私も第一発見者として付き添った。


 この島の医療は特別である。例え全身の骨が折れていようが、完全に近い状態に治してくれる。


 そのため、大丈夫だろうとは思っていた。思っていたのだが、私は医療ロボットから男性の無事を聞き、ようやく一安心することができた。


「ナニカアリマシタラマタオコシクダサイ。オダイジニ」


 看護ロボットが無骨ぶこつな音声を残し、病院の中に戻っていく。


「助かったよ。ありがとう。猫を捕まえるのに夢中になって、足を滑らせちゃって」


 診察を終えた男性が語り出す。


 荒唐無稽こうとうむけいな話だが、乗客の一人がペットの猫を逃してしまい、緊急開閉きんきゅうかいへいボタンを押してしまったらしい。


「どこも痛まないの?」


 私は、飛行船から落ちてきた男性に尋ねる。


「スタントマンなんだ、俺。だから大丈夫。受け身完璧だったし」


 男性は背伸びをしながら、何事もなかったかのように言う。


 ゆうに180cmを超えていそうな身長、筋肉質な身体。真っ黒な髪、サイドを刈り上げたソフトモヒカン、いかにも好青年といった精悍せいかんな顔立ち。


 その大柄な男性は、私の目には健康そのものに映った。


「それでもほとんど無傷はおかしいでしょう」


 飛行船から落ちておいて、骨折どころか大した外傷もない男性を、不可思議に思いつつ、私は胸をなで下ろした。


「私が受け止めなかったせいで、重体なんて寝覚めが悪いから」


「あはは、それは申し訳ない。それでも、救急車を呼んでくれたんだよね。ありがとう」


「正確には救急ロボットよ」


 ひねくれている私に、男性は笑顔で尋ねてくる。


「とにかく助かったよ。俺は城後じょうご寿人ひさと。君の名前は?」


「……熊谷沙月くまがいさつき


「……。くまがいさつき。うん、いい名前だね」


 ほんのわずかの間、城後くんの表情が硬くなる。しかし、ぶっきらぼうに答える私のことを気にもとめず、城後くんは明るい声のままである。


 私の気のせいだったのだろうか。


「本当にどこも痛まないの?」


 城後くんは健康そのものに見える。しかし、一応聞いておきたい。


「問題ないよ。今すぐ走れるくらい。それより熊谷さんはこの島には詳しい?」


 急な話題転換である。


「それなりには」


 嘘をつく必要もなかったので、私は本当のことを言った。


「今日の予定は?」


 城後くんが続けて質問してくる。


「特にないわ」


「じゃあ案内をお願いしていいかな。『バイクルヤンナ』ってとこの屋上に行きたいんだ」


「それぐらいなら……」


『バイクルヤンナ』はこの病院から徒歩10分程の位置にある大型のショッピングモールだ。


 若干の罪悪感を覚えていた私は、軽い気持ちで了承したのだった。



 ******



『バイクルヤンナ』に着いた後、二人でエレベーターに乗り屋上へ向かう。


 ここまで歩いている道中、特に会話はなかった。


 しかし、沈黙に耐えられなくなったのか、城後くんが私に話しかてきた。


「熊谷さん、趣味とか聞いていい?」


「……薬をつくること」


 何か適当なことを言おうと思ったが、何も思い浮かばない。仕方なく、私は本当のことを言った。

 

「すごいね! 薬だなんて!」


 城後くんの声がはずむ。


「そんなことないわ。簡単な薬をつくるだけ」


 もう難しいことはほとんどやっていない。


「それでもすごいし、尊敬するよ」


 城後くんははっきりと伝えてくる。


「誰かのために頑張るのは、とてもかっこいいことだよ」


 どこまでもまっすぐな目でこちらを見つめてくる城後くんに、私は恥じらいと少しの居心地の悪さを感じていた。



「寿人さーーーーん! 遅いっすよ! マジ心配したっすよ!」


 屋上に着き、扉が開いた瞬間、金髪の男性が血相を変えて叫ぶ。


「ごめん、ごめん。ちょっとトラブって」


 城後くんは手でごめんのポーズを作りながら、軽く謝る。


「スマホにも連絡つながらないし! まあ、大丈夫ならいいんすけど!


 金髪の男性は少し落ち着いてきたようだ。


「携帯置いてきちゃったんだよね。それより後30分くらいだよね」


「そうっす! リハの時間ないけど大丈夫っすか?」


「大丈夫! 何百回とやってきたからね」


「さすがっす! かっこいいっす!」


「ありがとう。熊谷さんも良かったら見ていってよ」


 途中から二人の会話の声量に圧倒されていた私は、城後くんの言葉で現実に引き戻され、小さな声を出せた。


「見る……?」


「ヒーローショーっす!」


 金髪の男性の言葉と目の前の舞台で、私はようやくこの場所で何が起きるかを理解することができたのだった。


 こうやって生身のヒーローショーを見るのは初めてだった。


 いつの間にか、見ることが確定していて


「Vip席っす!」といって案内された一番前の席の周りには、子供たちしかいなかった。


 それでも、恥ずかしいと思っていられたのは最初の数分だけだった。


 あまり詳しくない私ですらそう思うほど、ショーの内容自体はありふれたものであった。


 怪人たちが悪さをして、案内役のお姉さんを困らせる。お姉さんの掛け声と子供達の助けを呼ぶ声とともに、ヒーローたちが現れる。五色のヒーローたちが、それぞれの決めゼリフとともに、必殺技で怪人たちをやっつける。


 その中でも赤い色のヒーローの動きは別格だった。


 他のヒーローたちの動きが悪いわけではない。ヒーローたちは自然かつ機敏な動きをしていた。


 それでも、素人の私が見てもわかるくらいに、赤い色のヒーローは群を抜いて特別であった。


 動きが早いだけじゃない、メリハリがしっかりしている。かっこいいだけじゃない、魅せ方にこだわっている。ダイナミックなだけじゃない、決してわざとらしくなく静かだ。ナレーションの後に動くのではなく、ナレーションと同時に動く。


 演技なはずだけど、ステージ上に本物のヒーローがいた。


 私は、時間を忘れて赤いヒーローの一挙一動とヒーローショーに見入ってしまっていた。



 ******



 ヒーローショーが終わり、子供たちの歓声とマダムたちの黄色い歓声が止んだ後、私は金髪の男性に呼ばれる。


「寿人さんがお呼びっす! どうぞこちらへ!」


 なぜ呼ばれたかはわからないが、興奮がおさまらない私は素直についていく。


 舞台裏では演者たちが着替え終わり、雑談の最中であった。


「いや〜すごかったねえ〜」


「そうだね。やっぱり寿人さんはすごいねー」


「そうそう! 見ましたか! あのドロップキック! 何食ったらあんなに飛べるようになれるんですか!?」


「食べものでそんなに変わるものなのか……?」


「鶏肉はよく食べるかな。とりあえず、みんなお疲れさま!」


「お疲れ〜楽しかったよ〜」


「お疲れさまです」


「お疲れさまでっす!」


「お疲れさま。今回限りとは言え、いい経験になったよ。ありがとう」


「こちらこそありがとう。久しぶりに動けて良かったよ」


 桃、黄、緑、青、赤の順で楽しげに話す彼らは、私とは別世界の人間のように思えた。


 それでも、城後くんは私を見てすぐに笑顔になる。


「熊谷さん! 来てくれたんだ! どうだった?」


「……良かったわ。すごく」


「ありがとう。嬉しいよ」


 満面の笑みを浮かべて話す城後くんはただひたすらに眩しかった。



 ******

 


 あいさつを終え、スタッフたちが解散した後だった。


 いまだに余韻に浸って椅子に座っていた私に、寿人が話しかけてきた。


「家の場所もわからないんだけど教えてもらってもいいかな」


「……住所は?」


「C-4-24の『マンション・チナラプ』ってところらしいんだけど」


「それなら私の帰る方向と一緒ね」


 メモのようなものを見ている寿人に対して、私は歩き出すことで了承を伝える。


「スタントマンってこういうこともやるものなの?」


「人によるけどね。俺はレッドの中の人だから」


「レッド?」


「【蹴球戦隊サカレンジャー】って知らない? サカレッドを演じてたんだけど」


「知らない」


「……そっか」


 城後くんの表情が、なぜか少し安心したように見えた。


「結構最近の特撮なんだけど、面白いから良かったら見てみてよ」


 すぐに笑顔に戻り、提案する城後くん。


「機会があればね」


 そっけない私の対応を気にもとめず、城後くんは話し続けてくれていた。



 ******



 歩き続け、とあるマンションの前にたどり着く。


「ここが『マンション・チナラプ』よ」


 私は目の前のマンションを指差した。


「思っていたより大きいな。一人暮らし専用なのに」


「この島の建物はどれもこんなものよ」


 驚く城後くんに、私は先人の知識を披露ひろうする。


「そうなんだ。今日はありがとう。後日お礼するよ」


 城後くんが丁寧に感謝を伝えてくる。


「別に気にしなくてもいいわ。いい気分展開になったもの」


 これは私の本心だ。今日はすごく楽しめた。


「そう……。じゃあ連絡先だけでも」


 城後くんはしぶしぶといった感じだ。


「私もスマホ持っていないの」


「えっ」


 真顔で驚く城後くん。そんなに驚くことだろうか。


「だからこれ」


 そう言って、私は仕事用の名刺を差しだす。


「なら俺も。えーと。これしかないや」


 城後くんは笑いながら、メールアドレスが書かれたメモを渡してきた。


「また会おうね。熊谷さん」


「ええ、また会いましょう」


 別れの挨拶を済ませて、私はゆっくりと歩き出す。何故だかは分からないが、今日はよく眠れるような気がしていた。


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