第2話

 おれの小さな世界が続くことを願ってから一ヵ月経ったころのことだった。ティマトが、

「明日から人を雇うことにした。二人だ」

 と吐き捨てるように言い出した。

 夕食を食べ終えて、皆いすに座っていたのに、落ち着いた気持ちは吹き飛んでた。

「急に何だよ、びっくりするなあ」

 不安を隠しながらおれはおどけていった。不安そうだったイリスの顔が和んで、おれはうまくいったと得意になった。


 安心しつつ、おれはここに来た三年前のことを思い出した。

 この農場にはいろんな人がいて、それぞれの場所で働いてる。おれの場合は畑で働いてる人のところや、農具を直す人のところなんかにもあいさつに行ったな。

「そのひとたち、あいさつに回るの大変だろうな」

 とおれは明るくいってみせた。

「いや、今回はお前たちだけにあいさつさせる」

 とティマトが怒りを隠すように返した。

「雇うのは、セディンからお前たちを守る用心棒だ。家のまわりにいてもらう」

 と苦々しそうにティマトが続けた。


 セディンは二年前に越してきた中年男だ。ティマトやおれたちとはお隣さんってことになるんだけど、仲は悪い。セディンはセディン農場の農場主なんだけど、しょっ ちゅうティマトの農園の堺を変えようとするんだって、ティマトがいってた。

「どうして用心棒なんているんだ?」

 おれの質問に、

「実はな」

 とティマトが憎々しげにいう。

「セディンは一年前からイリスをうちで雇えないかといってきている」

 いままで何も相談してくれなかったティマトを、おれは冷たいと思った。

「いってくれればいいのに。それで、何でイリスを雇いたいんだよ」

 とおれは怒りながらティマトに問いかける。

「顔が気に入ったから、だそうだ」

 とティマトが眉を寄せていう。

 セディンがおれたちの住む家の近くを散歩したときに、イリスを見かけたんだって。

「私の仕事ぶりを見たわけではないのね」

 といとしのイリスはさびしげだ。

「もしかしたら、やつはイリスをさらうことも考えているかもしれん。いや、そうに決まっている」

 ティマトが怒りからか宙をにらんだ。


 おれはイリスが心配になった。イリスを乱暴者のところになんか、行かせないぞ。

「断っても、話を聞く様子などない。ひたすら雇う、としかいわない」

 ティマトが怒りを散らすように息を吐く。


 ティマトの話が本当ならおれはイリスを守りたい。民話の英雄みたいにとはいかないけど、ことばを使って。

「用心棒が来るなら安心だよな、イリス」

 おれは明るい声を出してイリスを安心させようとした。

「ええ」

 とイリスがうなずく。おれは安心したけど、あなたに守ってほしいの、とはいってくれないんだな、イリス。さびしいな。

「農場の連中には、用心棒を雇うのは金を守るためだといってある。お前たちだから本当のことを話した」

 おれとイリスは一緒にうなずく。お前たちだから、といわれたら、おれはうれしくなった。ティマトに必要とされているんだな、と思えた。

「部屋で休む。きょうは民話はなしだ」

 と苦しそうにいって、ティマトがいすから立ち上がり、二階に行く。

「おやすみなさい」

 とイリスが優しくいった。おれも慌てて、

「おやすみ」

 と返した。


 ティマトがかなり疲れているな、とおれは思った。

 おれは急にセディンが憎くなった。おれはいすから立ち上がる。

 おれの大事な民話の時間はなくなったし、ティマトは体の調子を崩すし、何よりいとしのイリスがひどい目に遭うかもしれない。いま怒らないでいつ怒るって話じゃないか。

「リューグ、どうかセディンさんを憎く思わないで」

 とイリスがいすから立ち上がっていう。声は慈しみに溢れていた。

「きっと、何か事情があるのよ」

 イリスが優しいことをいった。おれのなかでセディンへの怒りが落ち着いてくる。

「イリスは優しすぎるよ」

 とおれは苦く笑っていった。

「ティマトは思い詰めているような気がするの」

 というイリスの優しい疑問に、

「でも、直接会ったティマトがいうんだから、信じてもいいんじゃないかな?」

 とおれは答えた。

「用心棒を雇うぐらいなんだし」

 というおれのことばに、

「少し、様子を見てみましょう」

 と珍しく、イリスが譲らない。

「このごろ心配なの、ティマトのこと」

 うるんだ目でイリスがおれに訴えかけてくる。

 イリスを安心させるように肩にふれたい、と思った途端、おれの胸は激しく痛む。

「ティマトがどうかしたのかい?」

 とおれはやっとのことで声を出す。うわずった声になってしまった。


 幸い、おれの声の変化に気づかなかったらしいイリスが、

「このごろ、ティマトは焦っているような気がするの」

 と両手を胸の前で組んで、イリス。

「前にいた人たちが仕事をやめるときも同じように焦っていたわ」

 前にいた人たちっていうのは、おれが働き始める前にいた料理人のことだ。ティマトと性格が合わずに辞めてったって、ティマトがいってた。

「前にいた人たちとは仲がよかったのかい?」

 とおれは口に出してしまった。醜い嫉妬を。


 おれがこの三年間イリスと一緒に暮らしていて、感じたことがある。それは、イリスが料理人を愛してたってこと。

 鈍いおれでもわかる。料理人の話をするとき、イリスの声は優しくなるんだから。

イリスがさびしそうな顔をした。

「ええ、よくしてもらったわ。皆元気にしているといいんだけれど」

「そっか、皆元気だといいな」

 とおれはイリスを元気づけるように笑う。


 笑いながらおれは想像してしまう。イリスと微笑ましく過ごしている料理人の姿を。嫉妬でおれの腹のあたりが熱くなる。嫉妬にいいようにさせる自分自身がいやだったし、思い出のなかにいるイリスの姿を見ているのもつらかった。

「あのさ、イリス」

 とおれは話を変えようとした。

「きょう、ティマトが元気だったらどんな民話が聞けたと思う?」

 おれの問いかけに、

「そうね」

 とイリスが人差し指をあごに当てて考え込む。

 イリスの仕草の可愛さといったらない。

 ずっと見ていたくなって、嫉妬なんて吹き飛んじゃったな。

「きっと騎士や剣士の話ね」

 とイリスが優しく微笑む。

「とてもかわいいわね、ティマト」

「かわいい?」

 おれが想像するのをやめたことを、イリスは難なくいう。いとしのイリス、おれはいま君におどろいてる。

「ええ、かわいい」

 とイリスは笑顔になった。

「かわいいかなぁ」

 おれは頭をかいた。

「亡くなったお連れ合いのマーシャさんが教えてくれた話を、私たちにしていると思うの」

 とイリス。


 ティマトの連れ合いのマーシャは十年前に亡くなってるんだよな、とおれは思い出した。

 ティマトが料理人としてこの屋敷に入ったとき、マーシャと恋をした。二人とも一目惚れだったそうだ。五十年近く前のことだともいってたな。二人はとても深く愛し合ってたって、ティマトがいってたっけ。

 おれもイリスとそうなれたらな、と思うと心が温かくなってくる。

「愛する人のことっていうのは、忘れられないものなんだな」

 とおれは取り返しのつかないことをいってしまった。イリスの瞳がうるむ。

「ええ、本当に」

 というイリスの声は過去に向かっている。


 ああ、イリス。おれのいとしのイリス。


 過去なんて忘れて、いまはおれだけを見てほしい。

 いますぐイリスの手を取って、君を愛していると告げられたなら。

 そこまで考えると、おれの胸はまた痛む。

「あのさ、イリス」

 胸の痛みがおれの口を開かせた。

「用心棒がどんな人たちかはわからないけどさ」

 おれはイリスの瞳を見た。

「イリスが大変な目に遭いそうなら、おれが守る」

 イリスがおどろいたような顔をした。

「おれにとってイリスは大切な……」

 とまでいって、おれはことばを飲み込み、

「同居人だから」

 と続けた。いとしい人、とはいえなかった。いうのが卑怯な気がした。焦りと嫉妬が混ざった愛のことばなんて、誰が聞きたいんだ。

「ありがとう、リューグ」

 イリスの瞳に涙がたまる。

「どうしたのさ、イリス!」

 おれは慌てた。おれのことばがいやだったのかな。おれまで悲しくて泣きそうになった。

「ごめんなさい、うれしくて」

 イリスが指で涙をぬぐう。

「また、こんな日が来るとは思わなかったから」

 と照れたようにイリスが微笑む。

「ティマト以外の人に大事にされる日がまた来るなんて」

 といわれておれは大いに困った。感激してくれるのはうれしいんだけど、下心以上に問題な感情でいってしまったことばなんだよね、これ。ちゃんとしたことばでやり直したい。

「ちょっと待って、イリス」

 とおれが声を上げると、イリスはまた微笑んだ。どうしたの、といいたそうな笑みでもある。

 おれの顔は赤くなって、息も荒くなってくる。いまからいうことは、一生で一番緊張することばだ。

「おれ、君がどうしようもなく好きだ。大事だなんて、調味料の効いてない汁物みたいなことばなんて、どっかに飛ばしたいぐらいに君が好きなんだ!」

 とおれが大声でいうと、イリスが、

「まあ!」

 とはねあがりそうになっている。

「ありがとうリューグ。私もあなたのことが好きよ、大好き!」

 おれはイリスに好きだといえてよかった。おれが心配してた、悲しい顔なんて、イリスはしなかったんだから。


 ここで互いに抱き合えたら幸せだよな、と考えたら、おれの胸は激しく痛んだ。よくよく考えたら、おれたちは食卓を挟んでるから抱き合えない。痛み損じゃないか。

 ぼやきと痛みをこらえて、おれは懸命に微笑む。

「イリス、これからもずっと一緒にいたいよ」

 とおれは慎重に伝える。イリスが微笑んでうなずいてくれた。おれの心は温かくなる。

「抱きしめたいけど、いまはまだ早いよ。後にとっておこう」

 とおれは茶目っ気たっぷりに片目をつぶってみせた。

「リューグったら!」

 イリスが照れたようにいった。

「時間はまだあるよ。食器を片付けなくちゃ」

 とおれは食卓にある食器を片付け始めた。

「私も手伝うわ」

 とイリス。二人で手分けをして、食器を調理場に持ってくる。

「後はおれがやるよ」

 とイリスにおれは優しくいう。

「でも……」

「いいから、先に休んで」

 と渋るイリスに、おれはいたわりを込めて諭した。

「わかったわ、おやすみなさい」

 とイリスがいったかと思うと、手を振った。

 おれも手を振り返す。

「おやすみ」

 イリスの笑顔がまぶしくて、おれは目を細めた。


 イリスの足音を聞きながら、おれは食器の汚れと格闘する。

 敵を打ち払う騎士の気分になりながら、おれはふと、考える。これからやってくる用心棒二人について。

 きっと民話に出てくるような大男だぞ。そうってあってほしい、そうじゃなきゃ困る、と。


 もし、民話で出てくる美男子みたいなのに来られでもしたら困る。イリスが浮気する心配はしなくてもいいけど、用心棒と一緒にいるだけで嫉妬してしまう自分が怖い。

 もしかしたらイリスに呆れられてしまうんじゃないかって、おれは思ってしまう。情けない考えじゃないか。

 おれは背筋を伸ばした。情けないことはどこかに飛ばしちゃえばいい。

 おれはイリスとの愛を守り抜きたいんだ、絶対に。

さあ、来てみろ用心棒、来てみろセディン。

 お前たちなんかに負けるもんか。

 おれは窓の外を見る。

 闇がうねって、麦が風に揺れる音がした。


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