five

 翌日も井ノ坂は公園に向かった。

 雪は止んでいたが、相変わらずの曇り空だ。

 降り積もった雪に足跡をつけながら、とぼとぼと歩いた。こんなに積もられちゃロードワークもできないなと考えたが、もうその必要もないかと白い息を吐いた。


 公園に着くと、井ノ坂はポケットから妻のスマホを取り出した。今日も落としたケータイを探しに行くと口実をつけて借りてきたものだ。

 昨日と同じように自分のスマホに電話してみる。

 2度、3度とコール音を聞いているうちに、昨日の電話は夢だったんじゃないかと思えてきたが ──


 『あ、もしもし。おじさん?』


 少年は、昨日と変わらない調子で電話に出た。

 井ノ坂は、不思議とほっとする。


 「よう...少年」

 『さっきは大丈夫だったの?』


 少年が訝しげに聞いてきた。

 

 「さっき?」


 心当たりのない質問に、井ノ坂は首をかしげた。


 『電話、急に切ったじゃん』

 「それは」

  ── 昨日の話だろ。

 

 言いかけて、はっとする。


 「少年。あれからどのくらい経った?」

 『どのくらいって...1分くらい?』

 「そんな...」

 

 あれから丸一日過ぎているはずだった。

 井ノ坂は、ビデオ通話に切り替える。


 「見えるか? 少年」

 『おお! またテレビ電話になった!』

 

 テレビ電話って懐かしいな、お前。

 幼い顔して自分より古い表現をするのが、なんだかおかしかった。

 スマホ画面の向こうで、昨日と変わらないTシャツを着た少年が手を振っている。相変わらず蝉が忙しなく鳴いている声も聞こえてきた。

 「本当みたいだな...」と井ノ坂は、つぶやいた。


 『何か言った?』

 「少年は、嘘ついてないって言っただけだよ」


 井ノ坂がそう言うと、少年は「そうだよ」とむくれた。



 『そういえば、おじさんってボクサーなの?』

 「ん...まぁな」

 『すげえ! 強いの?』

 「え...いや。どうだろうな...」


 かつては、ベルトを巻いたことだってある。しかし、それは過去の話だ。今の自分は ──


 『じゃあ、弱いの?』

 「お前な...」


 そう言われると、認めたくない。ムッとした井ノ坂は、つい「ああ、強いさ」と言ってしまった。

 

 『まじ!? 試合観たいなー!』


 少年は、無邪気に言った。


 『観れないの?』

 「うーん、観れない......こともないのか」


 時空を渡り、過去の世界に行ってしまったらしいスマホは、今のところ問題なく使えているのだ。

 引っ込みがつかなくなった井ノ坂は、少年にスマホのパスワードを教えて ── 自分自身に教えるのだから別に良いだろうと思って ── 画面ロックを解除させた。


 『わ。なんか四角いのが沢山表示されたよ』

 「アプリな。ほら、赤と白の。youtubeっていうやつだ。それを押して...」


 一体自分は、何をしているのだろうと思いながら、井ノ坂は頭をいた。

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