第56話 拒絶

 あんかけのようだ。まるで熱々のあんかけに蓋をされているようだ。皇帝と左右丞相を前にして、小月は思った。

 あと一月と半分、病の発症を抑えられれば、今年のヤマは越える。対策が功を奏し始めている。目途が立ったのは素直に喜ばしいことだが、何故か議題が別の方向にずれていっている。


「後宮入りするからには特命長官を辞任すべきかと」


「後継は李医師で良いのではないか」


「ちょうど小月殿の家族もいることだし」


 後宮入りについて小月が意思表示をしていないにも関わらず、特命長官の任を解こうとする左右の丞相。今、持ち出すことだろうか。

 卓の離れたところには、張包が護衛として佇み、参考人として参画していた李医師が肩をすくめて、張左丞相と藩右丞相の滑らかな舌の動きを見ている。


「巷間では仙女と仰がれているほど慕われているとか。今ならば皇后に冊封も可能かと」


「いやいや、民に媚びるのはいかがなものか。まずは無位の宮女で良いではないか」


「藩右丞相の思惑はわかるが、張家の養女となるからには相応の──」


「思惑とはなんだ。陛下にはまずは現行の妃嬪と世継ぎを──」


「皇后冊封の慶事は民に活気を与え──」


「民は国の安寧を望んでおるのだ、それには──」


 舌戦を横目に、小月は秀英を見やった。秀英には秀英の意見がある、という顔だった。丞相の意見を引き出した後に、決意を述べたいのだろう。

 小月は目を塞いだ。おのれの心の声に耳を澄ませるために。


「それぞれの意見はよくわかった。小月の希望も聞いてみようではないか」


 秀英の声音には自信と余裕が感じられた。ふいに引き戻された小月は、瞬きを繰り返して三人を見回した。


「聞いていただけるのですか。私の希望を」


「当事者だからな、当然だ」


「陛下の寛容さとお心遣いには感謝いたします」


「うむ」


 左右の丞相はというと、興味はないが陛下の手前だから聞くだけは聞いてやろう、といった顔で控えている。せいぜいが時期の相談か実両親の生活の保証だろう、そう思っているようだ。とくに張左丞相は眉間に皺を寄せて苦い顔をしている。女子供が、よりによって皇帝陛下に分不相応な頼みごとをするなどもってのほかだと言いたいのかもしれない。

 小月はゆっくりと口を開いた。


「特命長官を今すぐ辞める意思はありません。私をクビになさいますか、陛下」


 お前の意思などどうでもいい、と言いたげに、藩右丞相の眉がぴくりと跳ねた。


「クビにする気はない」秀英は念押しをした。「解任は疫病が落ち着いてからだな。だから秋頃でかまわないと思っているよ」


 後宮入りの時期は秋にしよう。秀英の意向は明確だった。

 小月は椅子から退いて、床にひれ伏した。


「小月?」


「私は本来ここにいらっしゃる高位の方々と口をきくことができぬ身分であることは重々承知しております。死を覚悟してあえて地べたからの声に耳を傾けていただきたく」


「小月、何を言っている」


 秀英の声には焦りが滲んだ。丞相二人の顔も奇妙に歪む。


「婚姻に関わることは、人生において非常に重大です。まして後宮に入れば二度と出ることはかないません。私の人生は、私が決定権を持ちたいのです」


 背後から、張包か李医師かはわからないが、呻く声が聞こえてきた。


「傲慢な小娘め。調子にのるな」


 藩右丞相の声が震えている。


「藩右丞相様、貴方様は皇帝陛下を補弼し政務に手腕を発揮していらっしゃいます。とくに財政を引き締めることにかけては辣腕とのこと。ですが、きっと多忙でお忘れになったのでしょう」


「わしが何を忘れたとでも言うのか」


「品格です」


 場の空気がさっと冷えた。見下していた小娘に品格がないなどと言われたら最大の恥辱だろう。頭を殴りつけられたように藩右丞相は呆然とし、やがてわなわなと震え出した。

張左丞相は小さく吹きだした。つられて秀英や張包まで控え目に笑い出した。


 続けて小月は、張左丞相に顔を向けた。


「張左丞相は先帝の御代に素晴らしい戦果を上げ、将軍として輝かしい武功を残されたと伺っておりますが、いまだ戦場での癖が抜けておられないご様子。私は戦争孤児ではありません。養女の件はお断りさせていただきます」


 飛び火した火の粉を張左丞相はまともに受けた。硬直している。

 左右丞相が大人しくなったところで、小月は正面を向いた。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    


「そして皇帝陛下」


「……なんだ」


 秀英の顔にはあきらかな警戒の色が浮かんだ。


「皇帝陛下には大切なお役目がございます。他の者では代わりが務まりません。このたびの流行病は人々の心の奥を覗かせました。天子に徳はあるか。徳がないから病が拡がるのだ。玉虫様の報告にあったように、巷間ではそのような噂、私も直接見聞しております」


「それは、よくあることだ……」


「さきほど藩右丞相が話していたように、民は国の安寧を望んでおります。ですが陛下には跡継ぎがおりません。陛下に万一のことがあれば、この国はどうなってしまうでしょう。他国からの侵略を招くかもしれません。陛下は隙を作ってはなりません。民から信頼を失ってはならないのです。お願いでございます。藩貴妃と胡貴妃にお目を向けてください」


「……それがおまえの希望なのか」


「藩貴妃と胡貴妃には役割を全うさせるべきです。それができるのは皇帝陛下だけです」


 秀英はがたんと大きな音を立てて腰を上げた。

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