第43話 諍い

「そこらの野草を薬研で雑にすり潰して澱粉で固めたものだな。安価な粗悪品だ」


 李医師は歯で齧り取った丸薬の一端をぺっと吐き出した。


「騙りが横行してるのね」小月は溜息を吐いた。


「呪術師と一緒だ。不安を煽って商売してるんだろう。よく売れてるってことは感染者が増えてるってことだ」李医師は顔を曇らせた。「俺と典弘が早く発症するといいんだが。いくら対策をしても効果が現れるまでに時間がかかりすぎると、果たして対策による効果かどうか疑われる。今だって病人が増えるばかりで減りゃしねえ」


 小月は李医師の視線を追って、新たに運び込まれてきた年嵩の病人を見た。南街区の住人ではない。衣服の質の良さ、指輪や腕輪の痕を残した手、手入れされた髭から見て、裕福な商家だったに違いない。身内からの密告で送り込まれたのだろう。


「偽薬でもないよりましよね。気休めになるから」


「飲んで害があるわけじゃない。小月の言うように、気持ちが楽になるなら意味もあるだろう。医者としては腹が立つがな」


 李医師の声には疲れが滲んでいた。手ごたえがほしい。そう言いおいて、小月に背を向け、新たな患者の脈を診た。

 李医師の気持ちが楽になるのは手ごたえを感じたときになるのだろう。結果が出ていない今は前を向いているのかわからない状態でただひたすら手を動かすしかない。李医師だけではない、今や南街区は小月の掲げた仮説に基づいて動いている。もし仮説が間違っていたら悪戯に死者を増やす結果になるだろう。小月は責めを負うことになるかもしれない。見落としはなかったろうか。他に対策すべきことはないだろうか。自分に出来ることはこれで精一杯なのか。


 小月はきゅうと痛くなった胃を意識しながら漏斗を手に取った。



 

 三日が経った。雨はようやく上がった。


「何か手伝おうか」


 手ごたえはなくとも、声をかけてくれる人は少しづつ増えていった。ぬかるみや水溜まりに砂をかけて地面をならすように頼む。


「蚊の温床を潰せばいいんだな」


 声をかけてきた者の中には病から回復した青年も入っていた。南街区で最初に助けた患者だ。陳鮒という名だと胸を張る。蚊が疫病の運び手だとは信じないが、小月と李医師の指図には逆らわない、とはっきりと誓った彼の顔何故か赤らんでいた。小月は蚊の対策を陳鮒にまかせることにした。

 蚊遣りの煙が功を奏したのか、雨のせいか、その数日間、蚊に刺された者は殆どいなかった。


「ただひとつだけ問題がある」


 巡回して帰ってきた陳鮒は、小月に相談を持ちかけた。

 各家が保管している水瓶についてだ。

 降雨を幸いと雨水を溜めていた家が多いらしい。水瓶の水は継ぎ足しながら使う。滅多にからにすることはない。蚊の卵は三日経つと孵化し、七日も放置すると成虫になってしまう。


「どうしたらいいだろうね」


 陳鮒は診療所の土間に置かれた瓶に水を継ぎ足す手伝いをしながら訊ねた。ひとかかえもある大きな瓶だ。


「ずっと見張ってるわけにもいかないし。ちょっと目を離した隙に蓋の隙間から入っちまうし。かといって飲み水には魚は入れたくないし、銅板は足りないし、他に方法はないかなあ」


 小月は後宮で考えた案を伝えた。


「薄布はないかしら。細い糸で織った目の細かい布」


「布?」


 藩貴妃の防火桶でやろうとした方法だ。後宮の防火桶は大きすぎて無理だったが各家の水瓶の口程度なら封じることができるだろう。


「布を被せて紐で口を縛るのよ。薄布ならば水を濾すときにも利用できるし」


「でもよ、俺らはそんな布は持ってないぜ。着てる服だって織り目が粗い麻布ばかりだ。ごわごわしていてぴたりと被せることが難しい。着の身着のままの者も少なくない。余分な布などないよ」


「私の服を使いましょう」


 小月が裙に手を伸ばした。前に破った部分を更に裂こうとした手を、陳鮒が止める。


「先生が裸になったって、せいぜい三つ四つ蓋が出来るだけだよ。無駄だって」


「裸にはならないけど、ひとつでも……」そこまで言い、小月は口を噤んだ。陳鮒の言う通り、それでは焼け石に水だ。


「李医師がお金を持ってたはずだから、衛士と交渉してもらいましょう」




「駄目だ」


 李医師はにべもなかった。


「食べ物が優先だ。それにもう食材と交換したあとだ。俺は文無しだよ」


 すでに手持ちは底をついたという。他人の懐を当てにしていたことを小月はにわかに恥かしく感じた。


「まあ、そう言われれば、そうだな。食うもんがなきゃ、死ぬ。納得だ」


 陳鮒は肩をすくめた。


 患者は増える一方だ。二徹が用意してくれた今朝の粥には苦い野草が混ざっていた。蓄えが乏しくなってきたのだ。李医師の判断は正しい。


「やはり隊長に頼んでみようかしら」


 善意に甘えるなと忠告を受けていたが他に方法が浮かばない。布が無理なら代わりに銅板でもいい。駄目で元々だ、やるだけやってみよう。小月が腰をあげると、李医師がぽつりと言った。


「今思い出したが、二徹が言っていたぞ。昼は魚の粥にすると。どこから魚を手に入れるんだろう」


「……!」


 小月は二徹の調理場に走った。


 調理場では二徹と典弘が口論している真っ最中だった。貯水桶から金魚を盗もうとした、と告発する典弘と、食材になるものは何でも使うべきだと怒鳴る二徹だった。

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