第2話 タクトは振り上げられた

主らは゛ワラシ゛を知っておるかや?


家に住まう神とも妖ともいわれる。


家人にいたずらする。見えたものは幸せが来る。


たまたま、面白い魂魄を見かけての。種子を埋めてみた。


これがなかなか。


さて、無聊を慰めさせていただこうかや。



●   ●   ●   ●   ●

  ◇   ◇   ◇   ◇


「おはよう、ママ」

 

 起きたら枕は湿気ていた。泣いていたんだと思う。鏡を見ると瞼が腫れぼったいよう。仕方なく一階のダイニングへ降りて行く。


「おはよう、美鳥、ちゃんと眠れたかな? 昨日は心ここに在らずって会話になってなかったから」


 キッチンからママの声。確かにお兄ぃのマンションからの記憶は曖昧。


「ごめんなさい。……そうだママ!私、クラス委員になったんだよ。昨日は初仕事で遅くなって」

「あらあら、そうなの」


 キッチンからママが出てきた。亜麻色のショートボブ、今日は青色のエプロンドレスにしている。ママと外に行くと兄弟に間違えられるほどそっくりなんだけど、ママは二重瞼で私はパパ似の一重。少し瞼が重く見えてしまう。お化粧で二重瞼になってやる。


「美鳥、中学から頑張ってだもんね。偉い偉い」


 ママは近づいて頭を撫でてくれる。(これがお兄ぃだったら)


「あれっ美鳥、瞼が腫れてる、泣いてたの?」

「変な夢みたかなぁ」

「タオルをあっためておくから、瞼にあててね」

「ありがとう、ママ」

「へへっ。……あれっ美鳥そっくりのお人形がテレビに出てるよ」


 テレビでは、造形好きが高じて粘土で2次元キャラをフィギュアにしたらヒットして地方から東京へ進出した企業をトピックとして紹介していた。その中の一体が私にそっくりだったのね。


「ひとつ欲しいかな。いつでも眺めていられるし」

「本物が、ここにいるんですけど」

「だねぇ、でも可愛いよ。どっちも」

「そおぅ」


 そして温タオルをもらい瞼の腫れをなんとかしてから学校へ行ったのだけれど。



 着いたら着いたでショックなことが。お兄いは今日も休むそうなの。大事を取るとかで。

 気分が落ちていく。でもね、やるべきこともあるのよ。


「起ー立、礼、着席。よろしくお願いします」

 

 気持ちを奮い立たせて、声を出しました。


「うかない顔してるけど大丈夫?」


 休憩時間になって私の後ろに座っている子から声をかけられた。


「落ち込んでますって、声に出てるのよ、なにかあったの? あれ?」


 そんなふうに心配してくれるのは河合歩美ちゃん。席が前後になって休み時間にお話しするようになってたの。気があって話しやすいのよね。早速、お友達をゲットしました。これは嬉しいことだよ。お陰で気力を取り戻して最後の授業まで行けました。ありがとう歩美。



 で、今は机に突っ伏している。実は自分の机じゃないの。お兄ぃが座るはずの机。列の1番後ろにある。私の机から距離があるのよね。これじゃあ、お兄ぃが感じられないじゃないの。今日のホームルームでクラスの中で係が決まった。こういう時に休むものだから、お兄ぃはゴミ係になってしまう。クラス委員としてニコニコと進行していったけど、胸の中では怒りが煮えたぎっている。お兄ぃをゴミ係に押したやつ出てこい、趾ばくよ、もう。今日は休みでいないから代わりにゴミ捨てに行きました。お兄ぃの机で呟く。


「お兄ぃのヴァカ」

 

         (早くお兄ぃを見たい)


「お兄ぃのヴァカ」


         (早くお兄ぃの笑顔を見たい)


「お兄ぃのヴァカ」


         (早くお兄ぃの声を聞きたい)


「お兄ぃのヴァカ」


         (早くお兄ぃに美鳥って呼ばれたい)


「お兄ぃに会いたいよう」




『そんなに恋しいかや』




 見知らぬ声が頭に入ってきた。そして体から何かが抜き取られる感じがして、記憶が定かでなくなった。気がついたら家に帰っていた。ベットで布団を被り横になっている。いつのまにか寝ていたの。あれれ?



◇   ◇   ◇   ◇   ◇ 

  ◆   ◆   ◆   ◆



 柔らかい春の日差しの中、2年と1日ぶりに正門を抜ける。学校生活が始まると期待しているところに水を刺されてしまった。なんですか、あれ。異常事態への回避と先生への挨拶のため、職員室に向かっている。


「1組 風見入ります」


 入口を開け、告げてから中に入った。向かうのは1年生を担当する教師ブロック。


「千里先生。風見です」

「おー風見!やっと来たな。初っ端から病欠とは、ほとほとに運がないなあ。前の時は出席1日で長期休みだし」


 この千里先生は、最初に高校に入学した時の担当だった人だ。

 2年前、入学式の翌日の最初の登校日、通学に使う電車の駅で階段の転落事故に俺が巻き込まれたのだ。登り階段の中程で、


「あなたがあいつをおかしくしたのよ。 おまえなんかぁいなくなればいいー」


 頭上から聞こえた女性の慟哭と悲鳴の後、前を登っていた女子学生が後ろにいる俺に落ちてきた。直後から1人だけの重さではあり得ない重さをもった塊が被さってきた。そのまま、一緒になって落ちていく。身動きできない、息もできない、自分の骨が圧力を受け軋み出していく。そうしていると頭に柔らかくも重量を持ったものが激突。自分の首の骨が割れる音を聞くという稀有な経験をして意識を失った。


 目が覚めれば、トラバーチン柄の天井。瞼はうまく開かないし、指も腕も脚も硬くなって動いてくれない。喉にはなんか差し込まれて違和感ある。目の前が明るくなったり影が刺したりして誰か動いているのはわかった。グジュスズーとなんか吸われる音がして薄目を開けてそちらを見たら誰かが俺を覗き込んでいた。手元を動かしてチューブを出し入れしているようだ。目があったような気がする。


「風見さん 風見さん!わかりますか?」


 とにかく首も動いてくれなかったけど微かに振ることができた。


「風見さん反応ありました。先生呼んで」


 そばにいたのは看護師さんらしかった。ナース服って薄い緑色もあるんだね。ぼんやり思ったのはそんなことだった。後は検査、再手術の繰り返し 日常生活に戻るためのリハビリテーションの始まり。


     #駅構内階段で集団転落事故。意識不明重態1名 重傷者12名#

 

 後日に1年前の新聞を見せてもらった。



 1年かがりで体力を戻して学校に復学した。その時に親と一緒に尽力してくれたのが千里先生なんだ。新学年も始まり、登校出来るかと思った矢先に熱が出た次第と。


「いろんな人のおかげとおまえ自身の覚悟で勉強できるようになったんだから、これから頑張れ」

「先生のおかげです。ありがとうございました」


 最敬礼で挨拶して職員室を出てしまった。しまった!机のこと言えなかった。もうすぐ朝のホームルームが始まる。急いで教室に戻るしかなかった。

 

 教室に戻ると

 まだ、あの変なのはあった。


「バカに長かったなあ。大か 腹でもひやしたか?」


 また、下品なことをいっている。

 確かメディアで粘土で作ったデフォルメフィギュアの話題を見たことがある。お目々ぱっちりの小さくて可愛い鼻、ぷっくりとした唇。見た目可愛くできているのだけれど、こいつは大きすぎて可愛くない。シュール過ぎて、拒否したいけど見えてしまう。

 そのうちにチャイムがなり、先生が来た。仕方なく机についたけど、粘土フィギュアがジッと、こちらを見ている。あまりに気になるから腰にあたる辺りに手を添えてみた。おっ!さわれる。早速、くるっと回して前を向かせた。


「キリーツ 礼 ヒャぁあー」「ヒャア」


 掛け声をする係とこいつの悲鳴が重なった。


「いきなりお触りで、バックからかい。お盛んだ。好きだねそういうスチュ」


 クネェクネェと腰を捻りながら喘ぐようにしゃべっている。


「おい琴守。なんて声出すんだ」


 千里先生も驚いてる。そうか号令は美鳥がしたんだね。おんなじクラスなんだよな、クラス委員っていってたし。



 教室の前、廊下側でひとりの女生徒が机に突っ伏していた。亜麻色の髪をハーフアップにしているから、そんな格好でも真っ赤になってる耳が見えたりする。


「おまえも変な声出すんじゃなんよっと」


 まだクネェクネェと動いているこいつの臀部を叩いてやった。


「アァン」「あっ」


 悩ましい声を出してる。前の方では美鳥がビクッと背筋をのはしているのが見えた。


「?」


「琴守、なんかあったのか?」

「いえ、何も。落とした消しゴムの上に座ってしまいました。すみません」


 千里先生も怪訝な顔をしているが、


「時間もない。ホームルーム始める」

 

 俺の高校生活が始まった。障害物は身の前にある。




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