リンランの旅戦記 〜幻精の最弱男装姫君は、水精の最強女騎士と東方を目指す〜

Meg

プロローグ 最強と最弱の出会い

「うわさのオンディーヌを味わってやろうぜ」


 エメラルドの森の奥、緑のつたのカーテンの向こうから、水しぶきとともに澄んだ女の歌が聞こえる。伝説の水の精霊の歌姫、オンディーヌの歌声らしい。

 ゴツゴツした身体からだの男たちが三人ばかり、ニタニタしながら奥へ進んでいく。


「さぞや美人なんだろうな。どうやって従わせる?」

「なあに。この岩精族がんせいぞくの拳を叩き込めばわけないさ」


 一人の男が、トゲトゲした岩の塊のような拳を胸の前で構えた。

 ここは人と精霊が交じり合った国、シアラミーレ。精霊の血筋を持つ人間は、特殊な精霊の体質か、特殊な霊力を持つ。

 つたのカーテンがそよ風でゆらめく。美しい歌声は間近だ。

 男たちは岩の拳を構え、カーテンをめくりあげる。

 空色の湖が目に入った瞬間、なにが起こったのか認識する前に、男のひとりの首から血が噴き出た。


「え?」


 木に囲まれた湖の水面から、スッと鋭く尖った白い金属が突き出されていた。

 残された者が岩の拳を構えると、水面からザバっと人が飛び出た。ニィッと笑う大きな口、日焼けした細身の身体、後頭部で束になった透明の髪。青く丸い目。

 小柄な少女だった。握っている三叉みつまたやりをすばやく振るい、男の岩の手を砕く。


「ひぃ」


 怯んだ男のみぞおちを足で思いきり蹴り上げ、倒す。

 少女はやれやれと槍を地面に突き立てた。


「クズ男トラップの味わいはどうよ? オンディーヌだの歌姫だの好きだよなあ。てめえらみたいなフィジカル系は」


 くるりと湖に身体を向け、美しい声で歌ってみせた。水面の上を歩きだす。

 背後の木の裏から、岩の拳を構えて突進してくるもうひとりの男に、気づく様子もなく。

 岩の拳が少女の肩を粉々に砕いた。水しぶきをあげ、彼女は湖に落ちる。


「へ、へへ。どうだ。岩精族がんせいぞくの力は」

「……んー微妙」


 歌うような声に、男は目を開いた。

 ふっと水面に大きな魚のような影が浮かぶ。影はスイスイと走り、槍とともに例の少女がバシャリと飛び出した。砕かれた肩は、水の塊がまとわりつき、再生している。


「獲物狙うなら相手の学習しとけ。オンディーヌは水精族すいせいぞく。フィジカル攻撃は効かねえよ!」


 三叉みつまたの槍先が男の喉元に突き立てられようとする。

 パキンと、少女の肩が凍った。



 少女は背後に冷気を感じ、振り返る。

 口ひげの初老の武人が、腕をかざしてやってきていた。


「そのへんにしなさいオンダ」

「邪魔すんなよ師匠。いいとこだったのに」


 少女、オンダは男をしこたま蹴っ飛ばして気絶させてから、槍を落とした。武人の師匠が手を握ると、オンダの肩の氷も溶ける。

 精族せいぞくは体質に特徴があり、霊族れいぞくは能力に特徴がある。

 水精族すいせいぞくのオンダの体質は、氷霊族ひょうれいの師匠の力とはどうにも相性が悪い。

 まあ、師匠はやりの師匠なのだが。

 師匠は背後に憂いを帯びた表情の少年を連れている。


「誰そいつ?」


 少年は上目でオンダを見上げた。

 闇夜のような黒い髪。死者のような青白い肌。柔和で整った顔立ちは、ほかの者と比べて彫りが浅い。時折具合悪そうにきこみ、かぼそく、いかにも弱そうだ。

 少年の細い肩には、小さなピエロの人形が座っている。オンダの二の腕くらいの背丈。くるくるの金髪に青く丸い目は、なかなかかわいらしい。

 オンダがギロっとにらむと、人形は怯えて少年の髪の中に隠れた。ぶるぶる震えながらつぶやいている。


「リンラン、怖いよ」


 その名を聞いて、ピンと来た。


「あ。そいつリンラン?」

「こら。なんと無礼な」

「構いません。慣れております」


 視線を落とし、大人びた口調で少年は言った。

 黒髪の弱っちい王子のうわさは、無骨者のオンダでも聞いたことがある。

 亡くなった母は、東の果てのリンラン出身。ほかの者と容貌が違うことから、周囲から奇異の目で見られ、好奇や揶揄やゆをこめて『リンラン殿下』と呼ばれているとか。

 師匠は咳払いをした。


「オンダ、今日からおまえは殿下の護衛になれ」

「はあ? なんで?」

「修行の一貫だ。今この方を守る者が必要なのだ」

「ふざけんな。クズ男トラップの時間なくなっちゃうじゃん」


 鍛錬の時間が削られてしまう。せっかく相手にしやすいフィジカル系を誘いこみ、経験値を上げられる実戦場を作ったのに。

 鍛え続けなければ弱くなるのに。

 最強にならなければならないのに。

 師匠は腕を組み、ひげをなでながら大まじめに言う。


「まあ聞け。結論から言う。おまえはアホだ」

「んだとジジイ」

「アホのおまえが一人前の戦士になるには足りないものが多すぎる。それを殿下を守ることで養いなさい」


 オンダは顎をあげ、リンランを見下した。

 なよなよしたリンランは、怯えているピエロ人形と同じように、怖がって師匠の背中に隠れた。

 わけがわからなかった。時間の無駄としか思えない。


 のちに命を預けあう仲になるなんて、思いもしなかった。

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