第3話 安家の双子


 高熱のため立ち上がれず、横になっているジソンの額の汗を拭いていたジアンに、心配そうにジソンを見ていた家族の視線が集まる。

 安家の男たちは不在だったが、母と祖母、そして最終試験前の激励に来ていた叔母と従姉妹たちから一斉に……だ。

 ジアンの顔が引きつる。


「ちょっと、ジソン? なに言ってるの?」


(替え玉なんてするなって、今度やったら通報するって……)


 一次試験の時のジソンの言葉が頭を過ぎった。

 替え玉はもうするなと言っていた口で、自分の代わりに科挙を受けろと……替え玉をしてくれと言ったのだ。

 金さえ積めばいくらでも替え玉を雇える一次試験と違って、最終試験は王の前で行われる。

 当たり前だが、一切の不正が許されない。

 もしバレたら、安家は取り潰しになるかもしれない。


「そうね、ここまで頑張って来たんだもの……ジアン、やりなさい」

「お母様?」

「子供の頃から私たち家族ですら、入れ替わったら見分けがつかなかったんだから、大丈夫よぉ」

「お祖母様まで、何言って————……」

「大丈夫よ、ジアンお姉様。お姉様なら、できるわ」

「うん、絶対大丈夫!! ジアンお姉様とジソンお兄様は本当にそっくりだもの!!」


 母に祖母、従姉妹たちからも替え玉を勧められるジアンの手を、高熱のジソンはぎゅっと握る。


「次の科挙まで…………待てないんだ……十八までに科挙に受かって…………そうしないと…………」


 科挙は十五歳以上であればいくつになっても受けられる。

 しかし、この国の男子は兵役があるのだ。

 十七〜十八歳の間で、その家の嫡男以外に約一年間課せられる義務なのだが、科挙に受かり官吏となれば免除される。

 人より音に敏感なジソンは、男だらけの兵役にだけは絶対に行きたくなかった。

 できるだけ静かな部署で官吏として働くのが、ジソンの夢なのである。


 次の科挙は、何か特別なことがない限り三年後。

 今年を逃したら、ジソンは兵役に行かなければならない。


「明日だけ……明日だけでいいから……!!」


 ジソンの切実な願い。

 熱のせいなのか本当に悲しいのか、涙を流しながら訴えている。


「行ってやれよ、ジアン」


 ジアンが困っていると、兄のジホがいつの間にか帰っていて、手に持っていた淡い紫色の大きな包みをいきなりよこしてきた。

 華陽で一二を争う高級織物店のものだ。

 この包みだけで、一ヶ月分の米が買える価値があると言われているほどの……


「……お兄様もいつの間に!? そして、これは何……?」


 包みを開けると、ジアンが男装していた時に着ていた安物とは違い、上質な素材で作られた濃い藍色の衣が入っていた。


「ジソンのために、俺が注文してたんだ。まさか、お前が着ることになるとはな……」

「お前がって……私、まだやるって言ってないんだけど?」


 ジホは父親にそっくりな切れ長の目を三日月を倒したのように細くしながら、ニヤニヤと口元を緩める。

 ジアンは、兄のこの表情が大嫌いだった。

 まるで全てを見透かされているかのような、手のひらの上でいいように転がされているような気になるからだ。


「————それに、明日の最終試験には、王妃様も出席するぞ?」

「……王妃様が?」

「久しぶりに親友の顔を拝みたくはないか?」


美音ミオン……)


 王妃ミオンは、ジアンの親友だ。

 毎日のように顔を合わせていたが、半年前、王妃に選ばれて後宮に入ってから、一度も会っていない。

 うまくやっていけているか、心配していた。

 王の親衛隊の一員であるジホや、王族の師範である父から少しは様子を聞くことができるが、宮中での出来事はあまり外で口にするものでもない。

 それに、後宮は王と宦官以外の男子禁制の場。

 詳しいことは、父親もジホも何も知らない。


「もしお前が女だとバレそうになったとしても、王妃様なら助けてくれるだろうよ」

「わかったわよ。やればいいんでしょ、やれば」


 ジアンは覚悟を決め、衣に袖を通す。


「姉さん!」

「今回だけだからね、ジソン。絶対に首席で合格してあげるから、あなたは大人しく寝てなさい!!」


 こうしてジアンは華陽のアン知聲ジソンの替え玉として、明日の科挙に最終試験に挑むことになった。




 * * *



「————……明日の科挙に、私がですか?」


 一方その頃、王妃・チェ美音ミオンは明日の科挙に参加するようにと、王からの伝言を女官から聞き驚いていた。

 実は、王妃となって半年が経つが、王との仲は微妙である。


 ミオン王妃といえど、継妃つぐひ————王の後妻だ。

 先の王妃が若くして病気により死去し、ミオンが新たに正室として王妃となったものの、後宮には以前から王の側室が二人いた。

 その二人のどちらかを王妃にという話もあったのだが、王の祖母である大王大妃が反対し、新たにミオンが選ばれたのである。

 正室ではあるが、後宮では一番新入り。

 大王大妃がミオンの後ろ盾になってくれていたが、その大王大妃も三ヶ月前に死去。


 それからというもの、王はミオンに会いに後宮へ来ることはなくなった。

 行事に王妃として出席するぐらいで、夫婦らしい会話なんてほとんどない。

 幼い頃から王妃となり王に愛されることを夢見ていたミオンだったが、現実は王に会うことすら難しいものであった。


「きっと王様も王妃様とどう接したらいいか悩んでらっしゃるのだと思いますよ。王妃様とお会いになる日は、今まで司暦寮しれきりょうの巫女様と大王大妃様が全て決めていましたし」

「そうね……」


 王と王妃の間を行き来しているこの女官も、ミオンを気の毒に思っている。

 世継ぎとなる王子さえ生まれれば、後宮内でも地位が確立するだろうと大王大妃が懐妊しやすい日を選んでいて、王がそれに従って王妃に会いに来ていたことを知っているからだ。


「ご側室の方々と打ち解けるのにも、時間がかかったそうですし……」


 王は奥手なのだとか、むしろミオンの方から誘ってみてはどうかなど気を使ってくれているようだが、ミオンは上の空だった。

 科挙なんてどうでもいいと思いつつ、とりあえず渡された最終試験の参加者名簿を見ると、見覚えのある名前があった。


 二次試験の首席通過者————アン知聲ジソンは、幼い頃からよく遊んでいたアン知眼ジアンの双子の弟。

 後宮に入ってから、一度も会えていない親友の弟だ。


 いつも勉強に忙しいジソンとは、ジアン以上に長い間あっていないが二人は性別は違うが見分けがつかないほどよく似た安家の双子。


(————今もまだ、見分けがつかないほど似ているのかしら?)





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