外伝三 存在しない猫の歌・Ⅱ


    ◆◇◆◇◆◇◆


 「ねえ、タケル」

 帰りの会が終わり、教科書をランドセルに詰め込んでいると、舞原が声を掛けてきた。

 「なに?」

 顔をあげたぼくは、すぐに、舞原が声を掛けてきた理由を察した。

 「あ、分かった!

 夏休みの宿題、写させてくれる気になったんだろ?」

 「あんた、まだ提出してないの?」

 呆れた顔になった舞原に、ぼくは「ははは」と乾いた笑い声で返した。


 「宿題は自分でしなさい!」

 「冷たいことを言うなよ」

 「そんなことより、ユキちゃんって覚えてる?」 

 「ユキちゃん?」

 今一番の重大事を『そんなこと』扱いされたぼくは、舞原の言葉に首を傾げた。


 「一年生の時に同じクラスだった、ユキちゃんっていう女の子」

 「それだけじゃ分かんないよ。

 苗字は? なにユキなの?」

 「えっと……、岸本。

 うん。岸本ユキちゃんよ」

 少し考えた舞原は、ユキちゃんという女の子の苗字を口にした。


 「いたっけ、そんな女の子?

 全然、記憶に無いんだけど」

 そう答えたぼくは、慎吾を呼び、近くにいたテツオと涼介にも声を掛けた。

 「おい、慎吾。

 テツオと涼介も来てよ!」

 三人とも、一年生の時、ぼくと同じクラスだったのである。

 

 「夫婦喧嘩か?」

 テツオがニヤニヤと笑い、冷やかすように言う。

 軽口に反応して言い返すと、さらに絡んでくるのは分かっているため、ぼくはテツオの言葉を無視して三人に聞いた。

 「一年の時、クラスに岸本ユキって女の子いたっけ?」

 三人とも、一年のとき、同じ3組だったのだ。


 「岸本ユキ?」

 慎吾が眉を寄せる。

 「いたか?」

 「いなかったんじゃないのかな」

 テツオが涼介に問い掛け、涼介が首を振る。


 「おれも思い出せない。

 その子がどうしたのか?」

 慎吾に問われて、ぼくは舞原に視線を向けた。


 「昨日、思い出したの。

 一緒に授業を受けていたことや、給食を食べていたこと。

 運動会で声援を送ったことや、昼休みに縄跳びで遊んだこと。

 でも、なんだか、ふわふわとした頼りない記憶だけで……」

 舞原は、困惑したような顔で続けた。

 「それに、ユキちゃんが、いついなくなったのか、まったく思い出せないの。

 私が、そんなに親しくなかっただけなのかも知れないけど……。

 でも、今になるまで、一度だって思い出したことがなかったの。

 おかしいでしょ。そんなことってある?」

 なぜか責めるような目で言われた。


 そう言われても、ぼくたちは、ユキちゃんを思い出していない。

 そもそも、思い出すも何も、そんな子はいなかったと思う。


 「ただの勘違いだろ」

 テツオが、あっさりと言う。

 「テレビドラマか何かで観たシーンを、自分の体験だと思い込んでいるんじゃないのかな?」

 涼介は、少し納得できそうなことを言った。


 「そんなことないよ」

 舞原は不満そうに答えたが、少し自信が無さそうな顔になる。


 「……なあ、舞原。

 昨日、思い出したって言ったけど、何か、きっかけみたいなことはあったの?」

 慎吾が言い、舞原が説明を始めた。


 「夕方、お母さんと駅前の商店街へ買い物に行ったの。

 そのとき、歌が聞こえてきたのよ」

 「歌?」

 「聞いたことの無い歌。

 お会計をしているお母さんを待っていたとき、後ろを通り過ぎた男の人が小さな声で歌っていたの」

 その歌を思い出そうとしたのか、舞原は、少し目を閉じた。

 そして、目を開くと、自信なさそうに、小声で小さく歌い始めた。


 ミャーミャー、子猫の鳴き声がする。

 細くて、小さな甘える声。

 見つけたよ。迷子の子猫。

 小さく可愛い、黒い子猫。

 だけど、ほら、狭い場所に隠れてる。

 手を伸ばしても届かない……。


 「なんだ、その歌」

 テツオが小馬鹿にしたような声で言う。

 「うっさい!」

 舞原がテツオに怒り、慎吾の取り成すような言葉が聞こえた。

 「ユキちゃんって言う子が、その歌を歌っていた記憶があるの?」

 「ううん。そうじゃない」

 舞原が答える。


 ぼくは、上の空になって、テツオや慎吾の言葉を聞き流していた。

 なぜなら、舞原の歌を聞いた瞬間、ぼくも思い出していたのだ。

 岸本ユキちゃんのことを……。

 「思い出した」


 ぼくがそう言うと、舞原と慎吾たちは驚いた顔になった。

 でも、たぶん、ぼく自身が、一番驚いた顔になっていたと思う。


 「なに適当なこと、言ってんだよ」

 テツオは信じていない顔で言う。

 「いや、いたよ。

 窓際の前から三番目に座っていたときがあったよな。

 ちょっと小柄で、髪型はおかっぱだったはずだ……。

 目は細くて、鼻は小さめ。

 いつもニコニコしていた女の子だろ。

 黄色いカーデガンを着ていた気がする」

 

 「そうそう。

 それがユキちゃんよ!」

 舞原が頷いた。


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