第4話

 待ち合わせ場所はハチ公前。オフ会って変な汗が首筋に浮かび上がるぐらいには緊張するな。サラリーマンだったら、営業で知らない相手と名刺交換して、仕事の話をいきなり持ち掛けるんだろう? 恐ろしい仕事だ。コミュ力のない俺には厳しいよな。そりゃ、面接で大手企業を何十社と受けても落ちるわけだ。まあ、七年ほど前の過去のことだ。ぶり返しても仕方がない。


 Fに会うために電車で向かっている間も、Fのイラストを眺めて胸を高鳴らせる。描かれた女の子の「萌え」に胸がキュンキュンするわけじゃない。今日も泣いている銀髪少女を見て、「ああ、なんて不幸な子なんだ」と胸が締め付けられて、痛めつけられる感覚が楽しい。そう、他人の不幸はドイツ語でいうところのシャーデンフロイデ。蜜の味って奴。


 どうしてFに俺は執着しているんだ? Fが不幸だから? それもそうだが、Fは俺にはないものを持っているから。火でも水でもない。情熱と冷静さといった対極のものでもない。じゃあ、光か闇か? Fのそれは、俺と似通った血みたいなものだ。誰からも愛されない。だけど、誰かから、不特定の誰か。顔の見えない誰か匿名の人物からなら称賛されたり、お互いに知り合いになることができるという、ネット上でしか活かせないコミュニケーションスキルのようなもの。


 俺達、無名の新人が輝ける舞踏の場のウェブ。インターネット! だが、そこには必ずプロも存在している。俺達の乱雑な舞踏。ストリートダンスがオリンピック競技に採用されないように、格式ばったものに囚われない俺たちはいつまでも「商業」とは無縁なままだ。だが、Fを俺と同じ無名の枠に入れることは失礼にあたるだろう。俺なら本屋に並べるためなら手段は厭わないかもな。嘘、流行作品は書けません。


 ハチ公を囲むような手すりっぽいものに腰掛けてFを待とうと思ったら、先着の少年が自身の真っ赤なスマホから目を離して、こっちを見据えてきた。遅れたわけでもないし、少年が死にたがりFだとも確信がつかないので歩くスピードを変えずに近づくと、少年はすくっと立ち上がってこちらに向かってきた。待ち合わせの相手が俺だとすぐに分かるのかこいつは、と感心してしまう。


「はじめまして。Aさん藤谷秋ふじたにあきです」


 中世的な声だった。華奢な身体からそれ相応の細く、高めの声が出ているんだろう。ウィーン少年合唱団のように声変りをしていない。少年合唱団の歌声は以前、Fから聞かされたことがあった。


 Fはほどよく痩躯で、一見頼りなくも見えるのだが、足取りは快活だ。近づいてくるにつれ、その目元に日々の労苦が蓄積されたような隈を湛え、遠慮気味に笑う少年が体格と不釣り合いで不気味だ。だが、若い人の中心になれる要素を外的要因から既に持ち合わせている。


 天才絵師は、黒いマスクに銀髪の少年だった。いわゆるアッシュグレーというヘアカラーで、学校だと校則違反で怒られそうな色合いの髪色だ。その見た目から、創作家というよりアパレル店員や、ロックバンドの、そうだな……キーボードとか?に見えなくもない。うん、ギターをアグレッシブに弾いているようには見えないからピアノか、ボーカル?


 コンバースのスニーカー。黒のジーパンに、上は半袖の白のポロシャツ。金持ちのはずなのに、質素な着こなしだ。


 音楽とかダンスの専門学生? というような見た目だが、Fは確か有名医科大学付属高等学校に通っているはずだ。特進コースで、成績は漫画みたいに学年トップクラスと聞いている。


 マスク越しでも分かる整った柳眉や、日本人離れした高い鼻に二次元みを感じなくもない。


「はじめまして。あら太一だ」


「あ、暑いので喫茶店行きませんか。この先に荒さん好みのホットケーキが食べられる純喫茶があるんですよ」


 どうして、俺がホットケーキ好きだと思うんだこいつは。


「何度も話してるのに不思議な感じがするなぁ。俺、イメージ通り?」


「荒さんは、黒の短パンに、麻のシャツですか。涼しそうです。意外。もっと、だらだらとタンクトップ一枚で、部屋では裸でうろついているのかと」


「うっせぇ」


 この慇懃無礼な感じ、間違いなくFだ。まあ、確かに俺は未婚だし、見られる相手がいない分、裸でリビングをうろつくこともないことはない。それに今年一番の猛暑日が三日続いている。服ぐらい脱いだってかまわないだろう。


 Fは人の私生活を覗き見たような達観した顔つきをしている。やめてくれ、そんな微笑。


 ビルの谷間から遠くに入道雲が見える。高架下を潜り信号が赤になったので止まる。


 俺と同じぐらいの身長百七十五ぐらいあるFは、横から眺めるとメリハリが利いた輪郭が女みたいだった。モテるとも聞いている。だけど、それだけじゃない。俺にないものを全て持っているように見えた。その瞬間、俺の中のどす黒いものが弾けた。


 このまま死んでしまえばいいのに。Fが? いや、俺だろう。何の賞も取ることができないお前なんか必要ない。今必要なのは賞を受賞する『俺』だ。


 脳内で唸るように響く声は何度も罵詈雑言の限り毒を吐いた。


 信号機音のヒヨコが呼応してお互いを呼び合う。暑さから来る苛立ちで、赤信号をも罵りたくなる。俺はそっちには渡らないって言ってやろうか。方向が違う。


 方向音痴め。目指すべき場所も、何がカテゴリーエラーかも分からないクズの物書きが。


 ――受賞作を嫌々、読んでみたんだ。毎日、何かしら読むようにしている。今、電子書籍で購入して積み本になっているのは七冊。受賞作に面白さを見出せないことが多くて最近困っている。合わないから? そうなのかもしれない。じゃあ、なんでその賞に応募するのか?


 自分に合う賞が分からないから、片っ端から送るしかない。ウェブ小説で多くの作家が次々デビューしていくのを見ると、置いて行かれた気分になって、なんでもいいから賞が欲しくなる。由々しき問題だ。俺はどこを目指す? 羅針盤は東西南北、勝手気ままな方角を指して回っている。賞がダーツの的だとすると的さえ見えない目隠しダーツ状態。狙うべき賞とは何か。


 とりあえずは、早くデビューしたいと思ってダークファンタジーのライトノベルを毎日書いている。継続すれば作家になれるはずだ。


 だけど、自分の書く作品がライトノベルで合っているのかも分からない。誰がライトノベルと認めるのかと問うネットの質問掲示板には、それはレーベルだと解答されていた。出版された場所で決まると。だが、それが分からないんだって。それが分ったら、ちゃんと選考だって通るはずだ。


 俺が書いたダークファンタジー作品は「ライトではない」と、駄目出しされている。でも、重苦しい体験をするのが人間の性だろう? 人の苦しみとかを描いたら小説として売れなくなるのか? 読みやすさから、快活さ、明るく溌溂とした自由と希望を求めるファンタジー作品ばかりが本屋の棚に並んでいて辟易する。ぶっちゃけると流行のスカッとする作品が欲しいのだろう。


 疑問がメビウスの輪のように渦巻く。キャラも人なのに、人並みの苦しみを与えると新人賞では落選する。架空の世界で主人公を苦しめる地獄は必要ないらしい。だけど、もしかしてどんな物語でも、ラストは主人公が成り上がったり、無双したりする必要があるのか? どうだったろう。俺のバイブルの小説は、スカッとしていただろうか。していたのかもしれない。だけど、俺が興味を持ってしまったのは、主人公たちが血反吐を吐きながら泥臭く辛勝するシーンだったと思う。今の、流行と違う。


 ライトノベルは一般文芸に比べて流動的で、流行の影響を受けやすい。いや、二匹目のドジョウですら受け入れられる。あわよくば三匹目、四匹目も。まぁ、俺は流行に合わせて書くと、二十ページぐらいでつまらないシーンを連続して書いてしまうんだが。なんでだろう? やっぱり、興味がないものを無理して書くからかな……。

自分が読ませたいことを押し付けるのは駄目なのかも。


 十代の諸君に、このヘビーな話を身構えて机にへばりつき、噛り付いて読んで欲しい! 嫌がらせではなく、ドS的な欲求で。ヘビー小説読書強要罪により、一次選考落選? もう諦めるべきかなと脳裏に何度も過った。だが、その選択はない! 風邪を引こうが病気になろうが、親が死んでも書ききってやる! いや、さすがに、お通夜と葬式の日は……。と、脳内自己ツッコミを入れておく。だが、プロ漫画家はお葬式でも欠席する覚悟があるらしいじゃないか?


 とにかく俺の作品群は重いと揶揄される。小説にはテーマが必要だろう? 俺は死とか人の不幸を描きたいんだよ。特に十代の主人公で。十代が主人公だからライトノベルに応募する。それが、間違いだって言うのか? 十年以上続けてるんだぞ? 急に辞められるわけがない。ここ一か月別の道を検討中、検討中。


 額から汗が滲む。信号が青になる。Fの大きく見える背に置いて行かれないように小走りについて行く。今の矢継ぎ早の感情を絵にしてくれと頼みたい。きっと三十代の泣き顔ではなく、美少年の泣き顔に見事に変換してくれることだろう。


「なあ、F」


「藤谷でいいよ。ネットじゃないんだし」


「俺はFという絵師を崇拝している。ヤフーのニュースでも注目の話題として載ったことあっただろ。お前の絵はベクシンスキー並みにダークファンタジーなんだ!」


 決して溢美の言ではない。ベクシンスキーは死と滅びのファンタジー、あるいは奇々怪々のホラーの世界観を持っている。Fのイラストには、目には見えないが共通事項として各要素が存在する。


 俺が真剣に言うとFは顔色一つ変えない。笑ってくれた方が良かった。


「まあ、偶像化されるように演出してるけど、一種の戦略としてね」


「なんだ、やっぱり自己プロデュースか。なら、どうして、お前は才能を活かさない。売れるものを持っているのに、なんで売ろうとしないんだよ。俺はお前を見ているといつもイライラする」


 Fは喫茶店の前に到着したよと早足に進む。雑居ビル一階。だけど、シャッターが下りている。閉店の張り紙。Fは顔には出さなかったが、がっかりしている? 能面みたいな奴だ。いや、目はちっとも動かさずに口角だけ上がった。


「荒さんのために探しといたのに」


 そう言われるとちょっと嬉しい。


「まだ、候補があるんだ。五分ぐらいかかるけどいい?」


 五分など取るに足らない。そう思ったが、額の汗は滝になっている。Fの方も爽やかな顔に、何本も汗の筋が首を走っている。


「コンビニ行く?」


 まずは、飲み物ということだろう。俺は平気だが、Fの華奢な身体付きでは、いつ熱中症になってもおかしくない。


「俺は別にいいけど」


「ほんと? 熱中症にならないでよ?」


「だから平気だって。お前の方こそ倒れるなよ? 俺は日雇い土木工事でもなったことないから大丈夫だ」


「建築現場?」


「資材運びな。あんまり喋らなかったら、上の奴に、はきはき喋れって怒鳴られて、そろそろやめたいんだけどな」


「その人嫌いなの?」


「そりゃ、人間みんな嫌だ」


「じゃあ、ぼくが会おうって言ったとき、断ろうって思わなかった?」


「ないない。Fは俺のメフィストフェレスだから」


「大げさだね、荒は」


 喫茶店で落ち着いたら、何でもいいから思う存分語らいたい。早く! 死について知りたい。Fだってそうだろう? こんな太陽光の足下じゃ、人間は暗い話ができない。お前の見る世界は、渋谷のスクランブル交差点でなくて、ここで轢き逃げされた人や、津波に流されて行方不明になった人や、昨日今日に、通り魔に刺された人、今現在も虐待されて泣いている女の子だろう?

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