一分後もF

影津

第1話

「居酒屋店長の独創性溢れる創作料理より、お袋の作る味噌汁の方が美味い」らしい。だけど、俺は食べ慣れた味より、居酒屋店長がオススメする創作料理が好きだ。例えそれが店の余りものの具材を寄せ集めたものであっても。いやまぁ、お袋は好きだし、料理の腕も抜群なんだけど、食べ慣れたものに飽きる飽き性な俺が悪いんだけど。


 同じように小説も、作者オススメの地球上で一番面白い!と胸を張って言えるような一つだけの小説を書きたいと思う。だから、小説の新人賞で求められる小説が「馴染みのある家庭料理」の方を求めていると知ってしまって面食らった。


 それは、「ウェブ小説の攻略方法」というウェブで活躍する書籍化作家のブログに載っていた。そういえば「新人賞の書き方」というありふれた新人賞必勝本にも書かれていたような……。


 醜い太陽が赫怒かくどしている。小説の羅針盤を見失って、ふとスマホ画面から顔を上げる。額を伝う汗が、瞬きをした瞬間に下瞼へ移り、そのままスマホの保護ガラスを弾いた。蝉が罵り合う寂れた公園で、昼間からスマホを触るのは後頭部を干物にするようなものだったが、それどころじゃない。


 ブラウザの反応が鈍い。スマホが熱を持っている。あれこれ他のアプリを併用しているのも問題かもしれないが。ああ、そうだ。さっき新人賞の一次選考通過できなかったんだ。いつも通り落選。いい加減、通過しないと! まだ、別のブラウザに通過者一覧が残っている。腸が煮えるくらいには悔しい! 自分を攻め、もしくは慰めるために今夜は一人で居酒屋で飲みに行くことに決定だ!


 その賞について討論している掲示板もアプリで開いていて、ゲームアプリもさっき課金したばかり。こりゃ、スマホが誤作動するのも仕方ないかも。一つのことに集中できていないことがスマホ画面で証明されている。


 ため息は熱中症のように火照っている。「独創性」より「凡庸性」「共感性」「読まれることを意識」した何かが必要なのか。何かとはなんなのか今のところ答えは見いだせないが。


 求められるそれらは正しいのだろう。「傾向と対策」に俺が納得できないだけか、はたまた実行に移せないだけなのか。まあ、自分の書きたいものと求められるものの違いを知ったところで、今すぐ書き直せるほど器用ではない。今年も上に上がれそうにないな。


 サーカスの道化師が己の身体的特徴だけで成り上がるように、自分の書き方や癖、アイデアで選考通過できないものか。誰も体験しない特別な人生経験をしないと小説家にはなれないのだろうか?


 喫茶店に入る小銭が惜しくて蚊と蠅の飛び交うベンチに拠点を張っている。一昨日はここにホームレスが寝転がっていたのを見た。ちゃんとした仕事をしていないって意味では俺も同じようなものなのだが、少なからず俺には家があると軽いマウントを取りたい気分だ。


 じゃあ、俺はというと世間的にはどういう分類がなされるんだろうか。いや、親戚からは馬鹿にされているから評判なんて今更気にする必要はないか。高卒でフリーター。それだけで十分だろう。俺が気にしているのは別のこと。そう、ちゃんと物書きの卵っぽさがあるかどうかだ。親戚にはラノベを書いていることは何も話していない。ラノベといって話が通じるかも定かではない。アニメ調の表紙の本など手に取ったことはないだろうから。誰も俺が書いていることに気づかないんだろうな。文筆業で一文も稼げていないから、毎日遊んで暮らしていると思うわけだ。


 だが、自分で作家の卵なんて名乗るのも歯がゆいと思っている。かといって、アマチュアというと、いつまでもプロになれないような気がして滅入る。作家志望者と名乗ることもそうだ。自身のTwitterのプロフィールや自作の小説ブログには作家志望と自己紹介している。「志望」していたらいつまでも到達できない気がする。ネットスラング的に「ワナビ」ということだが、それも自分を卑下しているようで、苦手な言葉だ。だから一度もワナビと名乗ったことはない。だけど、作家志望以上、作家未満。受賞は遠い。


 デビューしてからがスタートだと、どのプロ作家も言う。実際その通りなのだろう。だけど、そのデビューまでがきつい。0が1になるのは非常に難解で、数値は無慈悲だ。あれに心はない。


「デビューまでに死にそうだ」などとぼやきたくなるので、持参した百五十円のペットボトルのお茶で喉に出かかった言葉を捻じ伏せる。ここが家ならビールを浴びていたことだろう。悲しいことに、午後も仕事だ。だが、日雇いなんだから、少しは励まないとな。今月は家賃の支払いだけでも精一杯だ。


 船の作り方が分からずに拵えた泥船で、太平洋上に沈没している気がする。少なからず命はあっったが、再び粘土、砂、せめて岩で作れるくらいには行動に移せているだろうか。


 休憩残り五分。バイトは現実世界のことじゃないように感じる。こうやって頭がスマホのようにあれもこれも考えているときこそ、一番活動しているのだから。肉体があってもこの腐った地上で、何を変えられるだろう? 皮膚を小麦色に焼くぐらいしか身体活動はできていない。蝉同士が桜の木からクスノキへ追いかけ合っている。ジリジリと脳が冴えそうなうるささだが、特に小説のアイデアは閃いたりしない。


 来年の今ごろも賞関連のことで頭を抱えているだろう。じゃあ、再来年は? 少しは文章が上達しているのか。それでも一次選考ごときで一喜一憂して駄目ならビール、通過しててもビールなんだろうな。再来年も、もしかしたら一次落選ってこともありえる……。じゃ、じゃあ三年後はどうだろう。多少へこたれてはいても、間違いなく執筆はやめていないはずだ。三年前どころか、十年前から書いているのだ。やめるわけない。いや、ここでやめて何も残らないのが悔しいからやめられない! 何者にもなれない状態でいたくない!


 後十年書く自信もある。でも、肝心のプロデビューは? どうすれば射程圏内に入る? 四十歳になっても駄目だったらどうする? ライトノベルは新進気鋭の十代から二十代の作者が多い。


 元々猫背な俺が四十になったらきっと、腰を痛めているだろう。この年で、パソコンの前に座るのがきつくなっているのに、ここから更に悪化するのか。目はどうか。メガネはかけていないが、いずれ悪くなるだろう。ふと、薄ら寒いものを覚えた。心霊映像を観て走る戦慄に似ていた。


 俺は自分がプロになっている姿をどうやっても想像できない!


 汗が目に入って沁みるのは塩分だけが原因じゃない。蝉の声が一瞬止んで、代わりにカラスの呆けた声が俺の頭上に降り注ぐ。ああ、死にたい。嘘。死ねない。変に一次選考通過したり、しなかったりするぐらぐら積み上がる椅子。中国雑技団みたいな椅子の積み上げ方しかできない俺なんか消えてなくなっちまえ! その上で技の披露なんかお前にゃできやしないだろう! 新人賞恐怖症で、読者なにそれ美味しいのなお前は地球上で一番無価値な作家なんだからな! そう思うだろうカラス? このクソ暑い中、よく機嫌いい声を上げられるもんだな。


 他のアマチュア作家はどうだろうか? 「プロのイラストレーターに絵を描いてもらうんだ。あの人の絵がいいな」とか、「印税はいくらぐらいだろうな」とか、けっこう具体的に考えている人が多い気がする。


 俺には、そんなことを考える余裕はない。受賞していないものを考えても仕方がないだろう。落ちたときの精神ダメージはバンジージャンプより怖い。うん、ちんけな例えだ。せめて、富士山八合目から滑落!とか瞬時に考えられる脳があれば。いや、これもベタかもしれない。じゃあ、逆に深くいくか。日本海峡海底……あれって水深何メートルあるんだろうな……。


 そのうち、受賞より寿命の方が先に来る。うまいことかけれたか? じじいになってもライトノベルを俺は書き続けられるのか? 何を書きたい? どの賞に出したい……。もう一度よく考えなおせ……。

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