結婚談義

ノンちょろた

第1話 『禁句』

 「よ~お二人さん! 元気~?」


 大学の学食で彰と孝弘の二人を見つけた潤は、軽い挨拶をしながらするりと彰の隣に腰をおろすと、疲れた~と訴えるように自身の顔を横にいる彰の方に向け、そのまま上半身を机に突っ伏した。

 外が暗くなってきてるなと感じた彰が、ふとスマホの時計に目をやると 18:22 という数字が表示されていた。


「潤、ずいぶん遅かったね。講義長引いたの?」

「そーなんだよ……話すとなかなか止まらないからな、あの爺さん……」


 潤は目を閉じたまま、動かしづらそうな口をモゴモゴしながら答えた。


「あはは、知ってる」

「彰は何してたの?」

「ゲームの攻略サイト見てた」


 どれどれ? と潤は少し上半身を起こし、彰のスマホに目をやった。 


「あー……この間始めたやつか……孝弘は?」


 向かいに座って二人の会話を聞いていた孝弘は、ほんの少しだけ視線を潤の方に向け、「これを見ろ」と言わんばかりに本を持っている自分の左手を軽く弾ませた。


「あー相変わらず勉強中なのね……ほんとすげぇな」


 孝弘は、そんな潤の返しに全く興味をもたず、殆ど体勢を崩さずにスッと視線を本に戻した。潤、彰、孝弘という、いつものメンバーがようやく揃ったことを受け、彰は穏やかな面持ちで口を開いた。


「どうする? なんか食べに行く?」

「ぼくはどちらでも」

「いいねぇ、腹も減ってきてるし。ラーメンとかどう?」


 潤がラーメン欲に駆られてバッと上体を起こしたその時、ポケットのスマホから着信音が鳴り響いた。めんどくさそうにスマホを取り出した潤は、画面に表示されている相手の名前を見てさらに嫌な顔をした。どうやら母親からの着信のようだ。


「なんだ、また母ちゃんかよ……」


 そう言って潤はすぐに拒否ボタンを押して、深い溜息をついた。

 

「出なくてよかったの?」


「いいんだよ。どうせ父ちゃんの愚痴だから長くなるし、あとでかけなおすから」


「あとでちゃんと聞こうとするあたり、潤らしいね」


「そりゃ一人暮らしさせてもらってるし、それくらいのことはさすがにね。

 でもまぁ、簡単に解決するようなことでもないからなぁ」


「愚痴というなら、そもそも解決を期待してはいないんじゃない?」


 本から視線を逸らさぬまま、孝弘はそう付け添えた。


「そうかもな……だけどな? 孝弘。

 定期的に繰り返されるのはさすがにちょっと”しんどい”ものがあるんだよ。

 わかる?」


「わからなくもないが、わかりたくはないな」


「へーへーそうでしょうね!」


「あはは」


 そんなやりとりの中、潤はふと何かを思いついたように彰と孝弘に一つの疑問を投げかけた。 


「『誰のおかげで生活できてると思っているんだ!』」

「え?」

「?」


「二人に聞きたいんだけど、自分の父親が母親に向かって

 『誰のおかげで生活できてると思っているんだ!』って言ったことある?」


 彰と孝弘は一瞬静止したが、すぐに状況を把握し、その潤の問いに答えた。


「ないね」

「うちもないかなぁ」


「そうかぁ、うちだけかぁ」


「でもそのやりとりは、いつも同じ結果に落ち着くんじゃないのか?」


 頬杖をついて残念そうにつぶやく潤を横目に、孝弘は本のページをめくりながらそう質問した。


「よくわかるな」


「”定期的”に繰り返されているんだろう? ならそうなんだろうと」


「さすがは孝弘。まぁ大体は……」


 【(父)誰のおかげで生活できてると思っているんだ!】

 【(母)誰のおかげで働くことに専念出来てると思ってんだ!】

 【(母)大体あんたから仕事取ったら何が残るんだよ!】


「で終わるかな。実際のやりとりはもっと長いけど」


「さすが潤のおばさんだね」


「おばさんの言葉で喧嘩が終わるんだから、大きな問題にはならないと思える」


 孝弘は口の端を少し緩ませながらそう答えた。


「そうだな。俺も夫婦のコミュニケーションの一環だと思ってる。

 ただ、喧嘩してお互い不機嫌になって、

 その後父ちゃんが母ちゃんの言うこと聞かなかったりすると、

 今回のように電話が来るかな」


「すごいね。しっかり家族のことを見てる」


 彰は、家族というものにちゃんと向き合っている潤の姿を垣間見て心底感心した。


「待て待て! たしかに俺は褒められると喜ぶタイプだが、

 今回の俺は何もしていないぞ。褒められることでもない」


「そうなの? でも電話で愚痴を聞いてあげてるんでしょ?

 十分やさしいと思うけど」


「そう思う。一人暮らしの自由を手に入れると、

 両親との接触を鬱陶しく感じるタイプは結構多いと思うしね」


「いや、俺も鬱陶しく思っている派なんだが……」


「でも後で電話かけるんでしょ?」


「ま、まあね」


 しれっと二人の会話を聞いていた孝弘は、読書に区切りがついたのか、その身を潤に向けながら持っていた本をパタンと閉じた。


「拒否して完全にスルーならともかく、

 あくまでも『今は電話に出れない』としただけだろう?

 あとで愚痴を聞く役目を果たそうというのなら十分やさしいと思うよ」


「そ、そうかな?」


「少なくとも、ぼくはそう思う」


 潤は孝弘に褒められたことが少しこそばゆかったのか自分の首筋に軽く手を当てた。


「彰はさぁ、こういうことってないの?」


「うーん、うちもなくはないけど……なんだかんだで母さんが手綱を握っている感じはするなぁ」


「そっか。彰んとこも母ちゃんが強いんだ」


 そう返答しながら、潤はチラっと孝弘を見た。


「……孝弘の母ちゃんって、なんつーか、凛としている感じだよな。

 クール?とでもいうのか……」


「そうだね」


 ほんの少しだけ考えるかのように視線を反らした孝弘は、スっと腕を組みながらすぐに肯定した。


「孝弘んとこは、こういう喧嘩なさそうだよな」


「ぼくが知る限りではないね」


「だよなぁ」


「だから逆にぼくが聞いたことがあるよ」


 その不可思議な孝弘の発言に、潤と彰の意識がリンクする。


『何を?』


 ハモった二人のその言葉には、孝弘も思わずキョトンとした。


「夫が『誰のおかげで生活できてると思っているんだ!』

 とか言ってきたらどうするの? って」


「うわっ! ド直球かよ……まぁ、孝弘らしいか」


「その言葉を発すること自体に興味があったからね。

 そもそも二人は夫婦として一緒に生きていくことを

 誓いあって共に暮らしているはずなのに、

 なぜ夫は明らかに夫婦の仲を壊すような発言をするに至るのだろう? とね」


 潤と彰は(孝弘のいつもの変な好奇心的思考だ……)と内心思いつつも、その内容に少し興味を抱きながら、続く孝弘の言葉に耳を傾けていた。

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