第11話 母の思い

 そして、運命の日。

 朝から孤児院の周りは騒々しかった。

 世界貴族は天の子と呼ばれる地域もあるせいかわからないが、二人の門出を祝福するように天気は快晴を上回る天晴と言わざるを得ない。


 十時から顔合わせと言うことになっている。今の時刻は九時。周りには王国の騎士が三十名集まっていた。評議員という背下記貴族の中枢に担っている人物の護衛にしては物足りないと言われているが、庶民に寄り添って慎ましやかな生活を送ることをモットーにしているロエルスン卿――思っているのは本人だけだが――が九時半になって到着する。

 昨日の馬車よりも大きく豪華に装飾を施されている。馬も大きくすべてから気品がお触れ出していた。


 キシキシと木製のタイヤが僅かに軋に止まった。ちょうど孤児院の正面玄関の前、あらかじめそこにはリファとオーラが立っている。リファのほうは精一杯の衣服に化粧をしていた。

 薄く目立ってはいないが確実に素材を生かす化粧に派手ではないがけして貧相に見えない絶妙なラインを責めたドレス。今日はあくまでも顔合わせという名目になっているので派手すぎたりアピールしすぎたりもよくない……らしい。

 オーラのほうはあくまでも保護者と言う名目を保っているので少し着飾っているだけで主役はリファだとわかるようにしている。


 本音を言えば二人とも適当な格好で勝手にロエルスン卿が幻滅してくれればいいと思っているが、本気でそんなことをしてしまえばこっちの首が飛んでしまう。

 かくいうギルは部外者すぎるのでおとなしく屋根裏部屋に引き籠っている。この手の貴族は女性の神秘性を信じ切っているため同じ屋根の下に男がいることを嫌う。


「お待ちしておりました。ロエルスン卿」


 馬車の扉が開いて油が光っている額が見える。そして、垂れ下がった頬に弛んだ腹に短い足、なぜか自信ありげな瞳を持つ世界貴族ロエルスン卿。卿もまた昨日とは違って衣服には金をかけていることがわかる。スーツに近い服装だが、ボタンなどの装飾品はすべて黄金で指には左の薬指以外にダイヤ、ルビー、サファイヤ、などの超高級宝石が隠すことなく並んでいる。次いで言えば入れ歯すらも黄金に光っていた。

 貴族目線で見れば称賛の嵐を貰えるかもしれないが、一般庶民の二人からすれば頬が引きずってしまう見た目になっている。羨ましいとか格好いいとか通り越してはしたない格好に見えてしょうがない。


「うむ、やはり美しい。吾輩は黄金が大好きなのだが、君の黄金色の髪はひときわ美しい。そして、香水も霞んでしまうほどの良い匂いも吾輩好みだ」


「あ、ありがとうございます」


 馬車から出てすぐにリファの髪を手に取った。そして、掬い上げるように自分の鼻に近づけていく。リファとしては全身が震え声も上ずってしまったが、ロエルスン卿は気づくことなく上機嫌だ。


「これ卿を早く案内せよ」


「はい!」


 馬車にはもう一人乗っていた。

 ロエルスン卿の後ろからのそっと大きな体を乗り出してくる。これもまた肥えた体をしている三十代くらいの男。顔に合わないほど小さな眼鏡、オールバックにしている髪型。格好良さを追求しているかもしれないが、傍目から見ればただ前髪が後退していることだけを教えてくれている。


「ニブレ殿、吾輩はそんなに焦ってないですぞ」


「いえいえ、世界貴族たるあなたの時間はそれこそ黄金に等しいのです。それを無駄にすることなど許されません」


「ほほほ、勤勉ですな」


「恐縮です」


 機嫌よく二人が話している脇でリファはオーラにひそかに話しかける。


「お義母さん、あの人は」


「この国の重鎮さね。王に近い人物。あたしも国政に興味がないからどの地位にいるのか細かなことは知らないけど、仮にも世界貴族が自国民に個人的に接近するから王国側が派遣していたんだろうさね」


「なんか、やりづらい」


「今に始まったことじゃないさね。とにかく無難に乗り切ることだけを考えて行動するさね」


「うん」


「おっと、卿、申し訳ありません。私ごときに時間を割いていただくのは申し訳ないですね」


「そんなことはないが、そうだな。そろそろ中に案内してもらおうかな」


「はい、おい、早くしろ」


「かしこまりました」


 二人を背にオーラが案内する。

 リファはロエルスン卿の横について彼の手が腰に回っている。ロエルスン卿はリファと同じか少し小さいくらいの身長なので直に加齢臭が鼻につく。それを香水で誤魔化しているためひどく気分が悪い。

 嘔吐感が襲ってくるが必死にこらえる。オーラもそんなリファの様子を見ていて唇を噛むことしかできない。


「こちらです」


 オーラが案内した部屋は孤児院で一番大きな部屋で精一杯綺麗に掃除して、今更豪華な装飾品を用意はできないからあえて素朴さを表に出した質素な部屋にだ。


「失礼しよう」


 部屋の真ん中に机と大きな三人掛けソファーが置いてあり、その真ん中にロエルスン卿が座る。ニブレは違う一人掛けのソファーに座った。そして、なぜかオーラとリファは並んで床に直に正座をしている。

 可笑しいと思うが、それでも世界貴族と同じ卓につくことは許されない。

 この部屋には護衛であるエージェントが五人入っている。その他、王国の騎士は孤児院の外で護衛をしている。エージェントは部屋の四隅に立って一人はロエルスン卿のすぐ脇に立つ。


「さて、吾輩は遠回しな表現は嫌いじゃ。本題から入ろう。リファ、君は処女かい?」


「え――」


「何を呆けておる! これは大事なことだぞ! 卿と結ばれるということは卿の子――つまり、神の子を宿す可能性がある。それはこの世界で何よりも大切な存在になる。なのに、貴様が他人に体を許しておけば病気や誕生する子が誰の子かわからなんではないか!」


 斜め上からの言葉にリファは呆気にとられてしまう。それにニブレが敏感に反応しソファーから立ち会がり叱責する。


「それは……」


 リファは逡巡してしまう。

 ここで何と答えるのが正解なんだろうと。

 誰かに体を許したことなんてない。

それを正直に言うことに一切のためらいなんてない。でも、伝えてしまえば話がスムーズに進んでしまう。なら、ここで嘘をついてしまえば破談にできるんではないだろうか。


「私は――」


 そこまで言って口が止まる。全身が震える。怖い。焦点が定まらない。これは周りのエージェントのせいだ。彼らはただ強いから世界貴族の護衛を任されているわけではない。

 身体能力が際立って強く特殊能力があるものも大きいと聞く。仮にうそを言えば、その瞬間看破される可能性が高い。

 もしそうなれば――


「処女です」


 そこまで考えれば嘘をつくことはできない。


「ふぉふぉふぉ、そうか、そうだろうとも。リファのように美しいおなごがすでに男を知っているなどあり得ないからのう。そして、吾輩が教えてあげよう。男の素晴らしさと女のみが味わうことができる快楽を」


「よっ、卿、さすがです!」


「これまでの妻も感謝しておる」


 なんとも下賤な会話にリファもつい顔を顰めたくなってしまうがオーラにくぎを刺される。


「さて、吾輩は近いうちにこの国を去る。別の国へ行って視察をしなければならないためだから。まどろっこしいことはよいじゃろう。これを」


 ロエルスン卿の脇に控えるエージェントが持っていた大きなカバンを机の上に置く。

軽々しく持っていたため気づかなかったが、机に置いたときにドスンと大きな音がした。


「吾輩からのプレゼントだ」


 エージェントが鞄の口を開けて中身を見せる。


「「!?」」


 二人は息を失ってしまう。

 口から覗かせたのは一点の曇りのない黄金に財宝。

 金の延べ棒から始まって懐に抱えることができるほどの原石のダイヤなどが溢れかえっている。表に停まっている馬車を見た後だと迫力に欠けてしまうが、それでもこの財宝だけで三世代は遊んで暮らす事は可能と言える量。


「これは――」


「いっただろ。貴様はここで一人残る。言っておくが、吾輩は娘の親だからと言って親族、家族扱いはせぬ。要は手切れ金じゃ。十分だと思うが、少ないのなら言ってくれ。この十倍くらいならあるぞ」


「いえ……その……」


「女はっきり言え!」


 ニブレがオーラに迫る。

 彼にとっては世界貴族の機嫌が一番優先される。変に動揺された態度をとってしまえば国の信頼も揺らいでしまう。そのため、刺すような視線でオーラを責める。


「今日は顔合わせじゃ」


「さっきから言っておろう。吾輩は無駄な時間は嫌いじゃ。どうせ吾輩に嫁ぐのじゃ。なら、今日でも構わないだろ」


「でも……その……あたしは……」


「あの……私がお嫁に行った後もお義母さんに会いに行くことはできますか?」


 動揺するオーラの横からリファが声を出す。

 これもかなり絞った勇気だ。手が震え、唇に変に力が入り奥歯を強くかみしめる。


「できるわけないだろ。そのための財宝だ。手切れ金だといったはずだ。吾輩以外の男と会うことも禁ずる。吾輩が指定した別邸から出ることも禁ずる。この先の人生すべて吾輩にささげることとする」


「――ッ!」


 当たり前のように言われるとリファの体が大きく震える。

 想定していた衝撃はない。世界貴族はそういうものだとオーラが事前に聞いていたから。

 でも、実際に目の当たりにして言われると襲われる衝撃はかなりのものだ。今が立っていなくてよかった。ふらついて倒れていたところだろう。

 これだけの財宝があれば換金して十分オーラが暮らしていくことは可能だ。むしろ、ボロボロの孤児院を立て直して経営することだってできる。

 リファだって、これ以上の人生のチャンスはない。

 そもそも世界貴族に話しかけられる機会だって普通存在しない。その貴族から求婚されて一生安泰が決まった人生。

 不満を言うほうが可笑しい。


 でも――

 でも――

 でも――

 でも――


「お願いします。リファがお嫁に行った後も会わせてください。あたしにとって最後の娘なんです。この子の成長だけが生きがいなんです。少しの間だけでいいです。この子が産んだ子の顔を見るまででいいです。そのためならこの宝石は頂きません」


「お義母さん……」


 自分が言いたかったことだ。

 嫁いだ後もオーラに会わせてほしいと、それを言わせてしまった申し訳なさと、同じ考えを持っていたうれしさにリファの目じりが熱くなる。

「許されない。例外は認めない。吾輩の手中に収まった女は全部吾輩の物だ。たとえ親だろうと会うことは許さない」


「なんだ、貴様らその態度は! そもそもロエルスン卿に意見できる立場ではないだろう! 身の程をわきまえろ!」


 ダメだ。

 これ以上は無理だ。

 リファは力なく俯いてしまう。

 わかっていたことだ。わかっていたことだったが、それでも、圧倒的権力を前に屈するしかない自分が情けない。


「なら、あたしはこの子を嫁にやることはできないね」


 え――

 だからこそ、次に言ったオーラの言葉に心底驚いた。

 世界貴族の言葉に正面から反対した。そんなことは許されない。意見するだけだって危ないのに正面切って反対すれば世界を敵に回すことと等しい。


「ほう、貴様なんと」


「嫁にやることはできないといったのさ。あたしはこれまでずっと後悔してきた。孤児院ののため出ていった子はたくさんいる。その子がどうなったのかあたしは知らない。それはとても無責任さ。だから、最後の子であるリファだけは絶対に幸せにする」


「お義母さん……」


「あんたたちみたいな自分中心の連中に大切な娘を託すことはできないよ」


「貴様、卿の前で、不敬――」


 バンッ!

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