<16・階段下の右手>

「“階段下の右手”って、どんな話なんですか?」


 ぎゅっと梟の左手を握りながら、英玲奈が言う。


「名前だけちらっと聞いたことあるような、ないような……ってかんじで。災いを防ぐおまじないができる場所、でしたっけ?」

「そうそう。新しい方の七不思議だと、こっちも良い意味で使われる場所だよな。まあ、物がごっちゃに詰め込まれてるし掃除行き届いてないしで、先生には入るなって言われてたけど。特にかくれんぼで使う男子多くてだなー」

「あー、わかる……うちのクラスの男子もこういうところ好きそう」

「男はやるなと言われたらやるイキモノなんだわーこれが」


 まあ自分も男だし、中学生になった今でも悪さをしていないなどとは言い切れないわけだが。

 先生に“ここは使うな”“危ないから入るな”と言われれば言われるほどこっそり忍び込んでお叱りを受けるのが小学生男子というやつなのである。梟もいろいろとやらかしたクチだからよーく知っているのだ。そのせいか、女子からは散々“残念なイケメン”呼ばわりされたのも記憶に新しい。ちょっと悪戯しただけで株がガタ下がりするのはなかなかにして解せない。男はちょっとユーモアがある方が一緒にいて楽しいと思うのだが。アイドルやってる連中だって、楽屋裏では結構馬鹿な会話で盛り上がっていたりするはずだ、多分。


「新しい七不思議と、古い七不思議の違いは、こんなかんじだな」


 とりあえず中に入る前に、二つの七不思議の違いを英玲奈に説明しておくことにする。

 今の男子達でもやるように、こういう階段下のスペースというやつは格好の悪戯スポットである。かくれんぼに使ったり、中に何があるかと探検じみたことをしてみたり。見た目に反して中は広いし、いろんなものが残っているから興味をそそられるものなのだろう。

 ある生徒も、そんな一人であった。低学年の子供だけでかくれんぼをした時のことである。鍵が壊れてしまっていて閉じることができず、中の整理整頓もされていない階段下倉庫は危ないから入るなと言われていたのだが。隠れ場所に困ったのと、面白そうだと興味を引かれたことで、子供はその階段下に足を踏み入れてしまったのだそうだ。

 そして掃除用具やら古い時計やら盥やら工具やら、たくさんのものが収まっているスペースの隙間に潜り込んでドアを閉め、真っ暗な中で息を潜めていたのである。ところが。

 この階段下の場所は、階段の振動が非常に響く場所であったのだ。今でこそコンクリ作りの新校舎なのでそこまででもないだろうが、この噂の事件が起きた時は木造の旧校舎だった。誰かが階段を上り下りした振動で、隠れている生徒の上に適当に積み上がっていたものがばらばらと落ちてきたのである。

 その落ちてきたもの、があまりにも不運だった。少年は暗闇の中、落下してきた鎌で――右手の手首を切断してしまったのだという。


「う、うわあ……」

「珍しく、バックグラウンドとなる“事件事故”の方で死人が出てないパターンだな。救出された少年はすぐさま救急車で運ばれ、一命を取り留めた。ところが……」


 まあ、このテの話のお約束というやつだ。

 切り落とされた少年の右手は、倉庫をいくら探しても見つからなかったのだという。

 彼は生きながらえたが、結局利き手を失ったまま、残りの人生を過ごすことになってしまったというわけだ。


「鎌がこの高さで落ちてきたってだけで、スパーンって子供の手首が切れるっていうのは正直信憑性薄いと思ってるんだけどな。まあ、それはそれ。……で、ここからは新旧七不思議の違いだ」


 どちらの七不思議でも、切られた手首は主人を見つけられず、未だ倉庫の中でさまよっていることになっている。

 ただし、さまよっている手首の目的は違う。

 新しい七不思議は、自分の主と同じような事故を起こしたくなくて、警告するためにこの場所に留まっている。この階段下の倉庫の中でおまじないをした者は、不幸な事故などの災いに遭うのを避けられるようになるのだという。

 古い七不思議はその逆だ。手首は今でも、自分の主人を探している。そして、少年が一人で此処に入った時、相手に“右手”がついていると“嫉妬”してその場所を代わらせようとするのだそうだ。つまり、相手の右手を切り落とし、自分が成り代わろうとするというのである。


「……だから多分七不思議の前提条件からして……此処には俺が一人で入らないといけないんだと思うんだよな。つか、二人で入れるほどのスペースも多分ない」


 この七不思議を体験するともなると、本当に命を賭けることになりかねない。ただ幸いなのは、自分達が二人でいるということだ。自分は中に入り、英玲奈には外で見張ってもらうということも可能ということである。


「俺達二人が強引に突入したら、多分怪異は起きないし……遭遇したことにもならないと思う。だから、俺が入るから、英玲奈ちゃんはドアしまらないようにそこで抑えていて欲しい」

「……この七不思議、聞けば聞くほど危ない気しかしないんですけど……本当にやるんですか?」

「やりたくない。正直言うとめっちゃやりたくない。でもさっき言ったみたいに、人形を見つけるトリガーが他の六つの七不思議である可能性は高いんだ。逃げるわけにもいかないし、つかグズグズしてるとまたマリコさんが追っかけてくる気がするんだよな」


 此処に来てからだいぶ時間が過ぎてしまった。マリコがいつやってきてもおかしくはない。その前にケリをつけなくては。

 自分達はまだ“首吊りのマリコさん”しか体験できていない。他の七不思議――人形を覗く五つを全て体験しようと思ったら、かなり頑張らなくてはいけないだろう。いくらこの場所が学校で、トイレも水もあるといはいえ。食事だけはどうにもならない。長いこと閉じ込められたら、自分達もいずれ奴らの仲間入りする羽目になることは目に見えている。


「……わかりました」


 英玲奈とて、ドア隔てた場所とはいえ一人取り残されるのは嫌なことだろう。

 もっと言うと、彼女がどんなに頑張って抑えていても、怪異が始まってしまったらドアが強引に閉まってしまう可能性は少なからずある。今までもそういった霊障が繰り返されてきたのだから尚更だ。

 しかし、このまま閉じ込められていてもジリ貧になるわけで、事態の鍵を解く方法は他に思いつかないわけで。それなら多少危険であっても、突っ込んでいかないわけにはいかないのである。


「信じます。だから絶対、無事で戻ってくださいね」

「うん。ありがとね、英玲奈ちゃん」


 震える彼女の手をそっと離し、梟は意を決して階段下のドアを開いた。ぎいい、と軋むような音。そうだ、このドアも、自分が最後に見た記憶の通りならば金属製であったはずである。木製に変わっている――この校舎そのものが、時間の経過と共に旧校舎へと姿を変えていっているということなのだろうか。

 だとすると、自分達はいつまでも閉じ込められているわけにはいかないのかもしれない。この現象に、この世界に完全に取り込まれてしまうまで、タイムリミットがないとは言い切れなくなってくる。


――灯りを絶やしちゃいけない。幸い、俺は多少なら幽霊の類が見える。敵の姿をきちんと見ることができたら、対処のしようはあるはずだ……!


 外開きのドアのノブをしっかり掴み、英玲奈が開いた状態でドアを抑えてくれていても。その細い灯りだけでは、中の暗闇を照らすには程遠い状態だった。ただでさえ、ほとんど日は沈んで、窓からは微かな夕焼けの光が照らすばかりとなっているのである。

 スマートフォンの懐中電灯アプリを使って周囲を照らしながら中に入る梟。ここも凄い埃塗れだった。咳き込みつつ見回してみれば、なるほどいつからあるのかもわからないガラクタの類がどっさり積み上がっている。モップに箒に塵取り、既に壊れて動かない柱時計、足が折れた椅子や机。何故か盥や洗面器。奥の方には、かつて先生達が使っていたのだろう小さな書類棚もまるまる放置されて埃を被っていた。しかも、中身のファイルが一部残ったままとなっているではないか。


――おーい、いいのかあれ、ちゃんと処分しなくて。……まあ昔の人は、今ほど個人情報にうるさくなかったもんなあ。


 そういえば、昔は連絡網だとかなんとか言って、クラス全員に電話番号と住所の一覧を配るのが当たり前であったそうだ。今ならば絶対しないことである。やれと言われても、嫌がる親は多そうだ。今はそういう時代である。そういった住所録一覧を売り飛ばすような不届き者もいるから尚更に。


――卒アルでさえ、マスコミに売る奴いるもんなあ。犯人の中学生の頃の写真ーとかって、あれ絶対そういうやつから入手したんだろっていう。


 これも何かに使えるだろうか、と思って手にとたのは金属製の盥だった。防具くらいに使えないかな――なんてことをつらつらと思った、その時である。




『イタイヨ……』




「!」


 突然、鼓膜を震わせた、声。




『イタイヨ……イタイヨ……ドコナノ……ボクノ……』




 しくしくと響く、悲痛な泣き声。小さな子供の声だった。来たな、と思って梟は身構える。次の瞬間、すぐ“外”から悲鳴が上がった。


「きゃああ!ど、ドアがっ!」

「!」


 なんでこう、嫌な予想ばかり当たるのか。英玲奈の手を強引に振りほどくように、ドアが勢いよく閉まってしまったのである。直前に飛び出すべきか、なんて判断をする余裕もなかった。むしろしなくて良かったかもしれない。あの速度でしまるドアに挟まれたら、それこそ怪我では済まなかったかもしれないからだ。


「はいはいはいはい、お約束ですよっ……!」


 躍けて言って見たものの、己の声も震えている。しっかりしろ、と自分に言い聞かせた。危険を承知で、ここに飛び込むことを選んだのは自分自身。ドアがしまってしまうことも予想済みである。

 閉じ込められても逃げられる算段があると踏んだのは、ひとえにマリコさんの一件によるものだった。自分達に、怪異を打ち倒すほどの力はない。しかし、ダメージを与えればドアを押さえ込む力くらいは弱めることができる。闇の中で“右手”を見つけて叩くことができれば、脱出することも不可能ではないはずと踏んでいた。ほとんど、希望的観測に近いものだとしても、だ。


『イタイヨ……イタイノ……スゴクスゴクイタイノ……』


 嘆く声は、どんどん近づいている。苦しみを切実に訴えるその声は、切り落とされた右手の声であり、その主だった少年のものでもあるだろう。闇の中、生きたまま右手首を寸断されるなどどれほどの激痛であり、恐怖であったかしれない。本当にそのような事故があったとしたら、悲劇以外の何物でもなかったことだろう。

 闇の中、思わず想像してしまう。

 切り飛ばされた手首がごろりと転がる光景。少年が、血が吹き出る右手を抑えてごろごろとのたうちまわって泣き叫ぶ光景。手首は何故か切り離された瞬間、びくんびくんとそれ単体が生き物であるかのように跳ね回って――。




『ウラウヤマシイナ……』




「!」


 すぐ近くで聞こえた、声。下だ、と梟は右手に構えていたスマートフォンで照らした。

 丸い光の中に浮かび上がったのは、驚くべき光景だった。

 埃まみれの茶色の床から、ゆっくりと白いつぶつぶしたものが突き出してくるのである。人間の、指だ。五指を空高く掲げながら突き上げてくる、手。まるで床がゼリーか粘土か何かであるように、その手は物理法則を無視して姿を現したのである。

 真っ白な、右手首。それが、恨めしそうにぐねぐねと指を動かしながら、怨念篭った声で呟くのだ。


『ウラメシイ……ゼンブソロッテイル、ウラメシイ!!』

「!!」


 背後から凄まじい殺気。思わず右手を引っ込めて体をかがめると、銀色の物体が体のスレスレを通過していった。

 ぎらりと光を反射したそれが、鎌であることは言うまでもないだろう。


『ソノカラダ、ヨコセ!ヨコセ!!』

「うっわ!」


 銀色の鎌は、念力で操られてでもいるかのように飛び回り、梟の右手首を切り落とさんとしてきた。咄嗟に、盥で右手をガードする梟。ガンッ!と盥の底と鎌がぶつかる耳障りな音が響いた。


――こんな狭いところじゃ、逃げ場がねえ!なんとかこいつにダメージを与えて、出口を開けさせないと!


 鎌に気を取られていれば、足下がおろそかになる。避けようとしたところで、何か左足を取られて盛大に転ぶことになった。何か、など言うまでもない。


『ニガサナイ……!』


 白い右手が、がっしりと梟の左足を掴んでいるのである。冗談じゃない、と梟は盥を右手に振り下ろそうとして、すぐさま飛んできた鎌に妨害されることになった。

 鎌の速度には緩急があり、一定のリズムがある。飛んでくる直前に自分なら察知できるので、防ぐこともできないわけではない。問題は、鎌をガードしていると、手首を攻撃する余裕がないということだ。


――クソッタレ!どうすりゃいいんだ、コレ!

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