<13・君ありて幸福>

 五階に行くつもりでいたというのに、滅茶苦茶に逃げた結果辿りついたのは一階だった。梟と英玲奈の二人は、一階の西階段の一番下でぜえぜえと息を吐いているところである。


「し、しつこいんだよ、コンチクショー!」


 マリコに目をつけられたら執拗に追いかけられる、というのは本当であったらしい。職員室を脱出したあとも、あっちからこっちからと回り込んできて追いかけてくる始末。姿が普通の少女のような見た目で、さほどグロテスクではないことが唯一の幸いだろうか。あれでゾンビのような姿だったら、逃げる以前に心が折れていてもおかしくなかったところである。

 とはいえ、捕まったらまずい、という現実になんら変わりはない。マリコさんに捕まったら、あの世に連れて行かれて二度と戻れなくなるという。既にこの場所があの世なのではないかという疑惑はさておき、楽しいことにならないことだけは確実だろう。

 こんな時、体力のない己の体が恨めしい。喘息は小学校の時にほとんど治ったはずだというのに、どうにも自分はひょろっちくていけない。兄として弟を守り、男としていつか誰かを守っていきたいという気持ちは梟にもあるというのに。


「ふ、梟さん大丈夫、ですか……?」

「……大丈夫。ていうか、英玲奈ちゃんすごいね……まだ余裕あるっぽい?」

「疲れてるけど、体育は得意だから……」

「…………ソウデスカ」


 女の子の英玲奈の方がまだ元気そう、というのがなんだか切ない。そういえば、彼女はなかなか足が速いのだと燕も言っていた気がする。小学生の頃ならば、男女の身体能力もあまり差がつかないものだ。下手をすれば女の子の方が背が高くて腕力があるなんてこともある。自分が小学生時代、男女で綱引きをやったところ、同じ人数同士であったにも関わらず女子が圧勝だったのを思い出して梟は苦笑いした。

 とんでもないことに巻き込まれているはずなのに、いざという時男よりずっと女の子の方が肝が座っているものだ。悲鳴は上げても、案外冷静な判断力はあったりする。茫然としている時間も短い。――そういえばまだ現時点で一度も、自分は英玲奈から“助けて”という言葉を聞いていなかった。首を絞められている時は、そのようなことを口にする余裕もなかっただけかもしれないが。


「体力なくて、ほんとすまんわ……実に情けない」


 はああ、と息をつく梟。幸い、おかしな気配があればある程度近づいてきたところでわかる。さっきもギリギリとはいえ、向こうが襲ってくるまえに存在に気づけたのだ。ひとまずマリコも、一度追うのを諦めてくれたらしい。今のうちに、多少体力を回復しておかなくてはならない。

 同時に。自分はきちんと、言うべき言葉を英玲奈に言わなければいけないのだ。


「ていうか……英玲奈ちゃんマジでごめん。俺が燕を探すっていうのに、付き合ってくれたばっかりに……こんなことに巻き込まれちまって」


 自分が一人で燕を探していれば、少なくとも英玲奈がこのような事態に巻き込まれることなどなかったはずである。

 もっと言えば、燕が行方不明になった原因は恐らくあの恋のおまじないだ。何故可愛いおまじないが、人を神隠しするようなものに変わってしまったのかは謎とはいえ、自分があのおまじないをしなければ燕がいなくなることもきっとなかったはずなのである。彼は梟と違って、怖いものにさほど興味はなかったはずなのだから。


「それは、気にしないでください。私も燕君のことは心配だったし……今も、心配してるし」


 梟に気を遣うわけではなく、本気で英玲奈はそう思っているらしかった。俯いて、“本当に大丈夫なのかな”と呟いている。


「燕君、怖がりだから。それが可愛いなとも思うんだけど」

「女の子にそう言われてちゃ世話ないなーあいつも」

「お化けが怖いって、悪いことじゃないと思いますよ?……だって、想像力が豊かだってことじゃないですか。お化けなんかいるわけない、って笑い飛ばして強いフリをする人より、私はずっといいと思います。怖いものをきちんと想像できるっていいことだというか……燕君、お化け以外の怖いものもちゃんと想像できる人だから。殺人事件とか事故とかのニュース聞いても、いつも一番苦しそうにしてるもん」

「……それは、確かにそうかも」


 想像力が豊かなのは、感受性が高いからでもあるのだろう。

 去年、ある集落でおかしくなった男が大量殺人を犯して警察に出頭するという事件が起きた時。燕は、遠い山奥の集落のことだというのに、家族の誰よりも顔を歪めて手を合わせていた。人々が生きたままズタズタにされて殺されたという惨状を聞いた時は目に涙をいっぱいに堪えて、“すごく痛かっただろうな”とか“そんな死に方することになったら、死んでも死にきれないだろうな”というこをと何度も呟いていたのを覚えている。

 他人事だと思わず、彼はきちんと想像することができたのだ――殺された、被害者達の痛みと無念を。そういう子だった。だからこそ彼は泣き虫で、いろんなことですぐ涙を零してしまうタイプであったのだと知っている。

 確かに、転んですぐ泣いてしまうというのは男として情けない、という母や祖母の考えもわからないではないのだ。だが自分と父は、燕に対して一度も“男が泣くなんて情けない”と言ったことはなかった。彼の涙は自分の痛みに対してのみではなく、誰かへの共感の涙でもあることを知っていたから。その優しさは、偏った“男らしさ”の概念よりよほど大切なものだと思ったからだ。

 そしてそんな燕は今、昔よりずっと泣かなくなったことをも梟は知っている。

 彼なりに、守りたいものができたがゆえに。


「……燕のこと、よく見てくれてるんだね」


 だから少し嬉しいのだ。そんな燕の本当に良いところを、彼が好きになった女の子が見てくれているということが。


「言ってやりなよ。燕、きっと喜ぶよ?英玲奈ちゃんに褒められただけで元気百倍になっちまうよ、絶対」

「そ、そうかな」

「そうそう!」


 顔を赤く染めて、視線を彷徨わせる英玲奈。小学生ということを差し置いても純粋で可愛らしいと思う。普段は目上の相手に丁寧な言葉遣いを崩さないし、どこか大人びて見えるほどしっかりした少女に見えるが。やはり、恋愛に関してはまだまだ奥手なところがあるのだろう。


――いいねえ、青春だねえ。ほんっと、お似合いだわ。


 うんうん、と一人頷く梟。なんだか思考がオッサンじみているような気がしないでもないが、まあそれはそれ、これはこれである。


「そ、その」


 赤くなった顔を隠すように下を向きながら、英玲奈が言う。


「実は、梟さんに……燕君のことで訊きたいことがあって」

「ん?なーに?」

「その、燕君、この学校で七不思議のおまじないをやってたんですよね。いろんなおまじないを試してたって」

「あー……」




『じゃあ俺と一緒に行く?俺も、弟探しに来たとこなんだわ。あいつ用事で学校に残ったみたいなんだけど、そのままいつまで経っても帰ってこないからさあ。ひょっとしたら、マジで怖がってどこかに隠れてんのかなあって思って。あいつビビリなくせに、オバケとかおまじないとか興味あって試したりするからさあ』




『学校の七不思議知ってるだろ。何故か藤根宮小にはおまじない系の七不思議ばっかりあるって有名じゃん。そのいくつかを試すんだってはりきってたんだわ。英玲奈ちゃん、知ってる?』




 そうだった、と梟は思い出す。燕が実際試そうとしたのは恋のおまじないだけであるのだが――それがよりにもよって英玲奈にバレたら、本人の名誉的にまずいと思ってぼかしたのである。つまり、いろんなおまじないを試すつもりで学校に残ったわけで、恋のおまじないだけどうこうしようとしたわけではないのだと。

 だが、今から思うとその誤魔化し方がだいぶ無理があったのではないか。他のおまじないならともかく、少なくとも恋愛のおまじないは――好きな相手がいなければ成立しないものなのだから。


「燕君、“首吊りのマリコさん”の恋の占い試したんですよね」


 あの場所に鏡が残っていて、自分は他のおまじないの場所ではなくまっすぐマリコさんの空き教室に向かったのである。

 はっきり口にしないが英玲奈にも薄々バレているはずだ――この占いが、燕の本命であったことくらいは。


「その……ていうことは燕君、好きな人がいるのかなあって」

「うっ」


 さてどうしたものか、と梟は明後日の方を向いて悩んだ。はっきり言ってここで言葉に詰まった時点で、イエスと言ったも同然なのだが。ああここで、自分の口から“燕が好きなのは君だよ!”と言ってしまえたらどれほど楽だろう。

 というかこれを気にするあたり、少なからず英玲奈の方も燕のことを意識している。めっちゃ脈あるやんけさっさと爆発しろよ、とは心の中だけで。


「……いるんじゃねえかな。相手いないと、恋愛のおまじないはできないし。誰なんかまでは聞いてないけど」


 すみません、お兄ちゃんは嘘をつきました。心苦しいので早いところどっちか告白してください、と内心呟く。ああ、言ってしまいたい。両片思いっぽいのに、なんと焦れったいったら!


「そう、ですか」


 英玲奈はわかりやすく肩を下げた。こういう時に使える卑怯な手段。必殺・質問に質問で返す、を発動する梟である。まあ一度答えたから良しということにしてもらおう!


「そ、その!英玲奈ちゃんの方はどうなの?好きな奴いる?ていうか、燕のこと好きでいていくれたりしたら嬉しいなとか、兄としては思うわけだよ!兄馬鹿だと自分でも思うけど、やっぱり弟には自分の認めた良い子がお嫁に来て欲しいと思うじゃん!?」

「お、お嫁さんとか、そんな」

「と、とにかく!良い子が一緒にいてくれたらうれしいし、英玲奈ちゃんだったら俺も大歓迎だと思うわけです!おわかり!?」


 なんだろう、段々説教をするおばさんみたいな口調になっていく気がする。そして脈絡もなくなってきた。弟の恋愛に余計な口出しなどするべきではないということは百も承知なのだが。


「その……あいつ、少なくとも一年生の時から英玲奈ちゃんには感謝してるみたいだから。俺、あいつからその時のエピソード聞いて、感激しちゃったんだよね。あいつが転んで泣いてた時、英玲奈ちゃんが手を貸してくれて、ハンカチとティッシュ出してくれて、保健室まで連れていってくれたんでしょ?」


 いい青春だよね、という自分でも謎な感想を漏らすと。英玲奈はまだちょっと赤い顔のまま、ありがとうございます、と返してきた。


「あの話、梟さんにはしてたんですね……燕君。……でもその様子だと、その続きは話してないのかな」

「え?」

「その話、続きがあるんですよ」


 彼女は何かを思い出すように、天井を見上げた。


「私も、感激したんです。……燕君の、優しい言葉に」

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