<11・巻き戻る美術室>

「あ、あれ……!?」


 確かに人形が、この部屋に入っていくのを見たはずだった。しかし、飛び込んだ先にあったのは、ボロボロの作業台の上に乱雑に乗ったままの石膏像や、粘土の人形などがあるばかり。ぴっちり窓が閉まっているせいで、カーテンさえも動かない。当然、床に動くものもない。真っ赤な服を着た人形が、目立たないはずがないというのに。


――ここ、美術室?


 もう一度外を見て、プレートを再確認した。やはりそうだ、ここは美術室であったらしい。小学校なら図工室じゃないっけ、と思って気がついた。そういえば、作業をする時にこの部屋に来た覚えがない。自分達が使っている図工室は、確か二階にあったのではなかっただろうか。

 この掃除もろくにされていない様子。この部屋は、現在使われていないようだった。せっかくの粘土や写生の絵などの作品がそのまま残されていて、埃を被ってしまっている状態である。


――殆ど倉庫に使われてるっぽい?でも何で、作品そのままにしてあるんだろう。


 もう一度美術室の中に踏み込んで、気づいた。ぎしり、と床が軋む音がする。やはりそうだ。何故、先程から入る教室入る教室、みんな床や壁が木造になっているのだろう。明らかに、常識で図れないことが起きている。まるで、部屋の中だけ時間が過去に戻ってしまったかのようではないか。

 もうすぐ、夜になってしまう。その前に何か打開策を見つけなければいけない。出口をしっかり確認したわけではないが、ほぼ直感で、このまま自分は外に出られないのではないかと燕は思っていた。仮に外に出られたとて、そこが自分が生きている“普通の世界”ではないのならなんの意味もない。

 とりあえず電気をつけると、窓際へ向かう。明るくなっただけで、少し心が軽くなった。窓ガラスを開けようとガタガタ揺らすが、やはりというべきか窓が開く様子はなかった。鍵はちゃんと、開いた状態になっているというのに。


――やっぱり、俺……おかしな世界に来ちゃったってこと?此処は、学校じゃないの?


 じわり、と涙が滲みそうになり、慌てて目元を拭った。泣いてはいけない。誰も見ていないけれど、それでも自分は見ている。英玲奈を守れるくらい、強い男になるのだと決めたではないか。自分はちょっと喧嘩が強いだけで、他には何もないただの子供だけれど。それでも、意地くらい張ることはできるのである。ここで自分が自分に負けてしまうようなら、そんな人間がどうして英玲奈を守るだなんて偉そうなことが言えるだろうか。

 とにかく、あの人形を探さなければ。あれが、何か鍵を握っているような気がしてならないのである。小さな人形だが、赤い服を着ている以上遠目からでも見つけることは可能であるはずだった。


――そうだ、思い出した。人形に纏わる、七不思議。


『この学校の七不思議、ほとんどがなんか“コレやるといいことがあるよー”みたいなのばっかで、ちょっとつまんねーんだよな。どうせならオバケ出てきてびびらせてくれるやつのが面白いじゃん。つか、誰かをそれでびっくりさせてみたいとかちょっと思うー。先生とかに聞いたら絶対幽霊なんて信じないっていうしさあ、先生の目の前でオバケ出して“ほら見ろいたじゃん!”ってやりたくね?』


 友人の中には、七不思議やオバケが大好きな者もいた。彼はそこまで聞いていないのに、七不思議に関する情報をそれはもうべらべらと喋ってくれたのである。ちなみに、放課後に残ってこっそりこっくりさんをやったり、理科室に忍び込んで標本を持ち出そうとして先生に叱られたなどのいくつも伝説を持っている人間だった。いくら怖いものや悪戯が好きだからといって、よくもまあそこまで無駄に行動力がジャブジャブ溢れているものである。


『でさ、唯一ちょっと面白そうなのが、七不思議の七番目なんだよな。“災厄を招く青い服のお人形”っていうんだけど、こいつがマジやべえ。見るだけで呪われるっつーいわくつきの人形!』

『マッジでー!?見るだけとか回避不能じゃん!』

『バーカだから面白いんだっつーの!』


 彼は得意げに、青い服のお人形の話を聞かせてくれた。どういう内容だっただろうか、と頭をトントン叩きながら思い出そうとする燕。そう、確か。




『昔、家庭科がとても得意な女の子が、一つの赤い服のお人形を作って大事にしていた。

 ところがその女の子は交通事故で死んでしまった。お人形は悲しみのあまり青い涙を流すようになり、その涙でお洋服が真っ青に染まってしまったという。


 以来、お人形は女の子を探して、女の子が通っていた学校をさまよい歩いている。

 彼女は目的を邪魔されることを極端に嫌う。

 見つけた人間には、祟りが降りかかるであろう』




――うん、やっぱりそうだ。噂にあったお人形は、“青い服”のはずだよな。さっき俺が見たの、赤い服の人形だったと思うんだけど……。


 何故、女の子が事故で死ぬ前の状態に人形が戻っているのだろうか。まるでこの教室のように、なんらかの時間が戻ってしまったかのよう。

 しかし、青い服の人形を見ると災厄を招くというのなら、赤い服の人形なら大丈夫なのではないだろうか。見ただけで呪われるということがないのなら、少しだけ安心もできるのだけれど。


――そうだ、安斎の奴こうも言ってなかったっけ。お人形を見つけるだけで祟りが降りかかるんだけど、それだけじゃなくて……。




『お人形が何処にあるのかは誰も知らない。

 仮に見つけても、拾ってはいけない。

 その場所から動かしてはいけない。

 絶対に校舎から出そうとしてはいけない。


 禁を破った場合、恐ろしい災厄が降りかかることになる。』




 見るだけで祟られると言っているのに、さらにその人形を動かすとさらなる呪いが降りかかるようなこの文言。まるで、祟りなんてメではない、恐ろしい何かが起きるかのようではないか。一体何が起きるというのだろう。

 ただ、人形の噂は七不思議の一つとして数えられているというのに、その人形が何処にあるのかは誰も知らないというのが奇妙な話だなとは思っていたのである。実際、噂を得意げに話してくれた安斎もそこが不満だったらしく、しきりに首を傾げていたのだった。


『南校舎の何処かにあるらしいぜ、人形。そこから動かしてはいけないっていうなら、多分校舎のどこかに固定されてるってことなんだろうけど……。それがどこかわかんないってのがマジつまんねー』


 まあ、見つける方法に検討はついてるんだけどな!と彼は言っていた。


『七不思議って、七つ知ると悪いことが起きるってのが定番だっただろ?でも、七つ知ってる奴なんかいくらでもいるし俺も知ってるけどなんも起きねー。ってことはだ。七つのうち、六つのおまじないを全部試すとかか、そこオバケと遭遇すると、人形が出現するってことなんだと思うんだよな!』

『おおお!』

『さすが安斎、ってことはもう試したのか!?』

『試そうと思ったさ。でも一番大きな問題が一つあってな……』


 はあああ、と彼はその大柄な肩を下げて、大げさにため息をついて見せたのだった。


『首吊りのマリコさん!恋のおまじない!俺は今好きな女子がいねー!誰ともくっつきたくねー!ムカつく女子はいくらでもいるんだけどな、藤田とか鈴木とか……あーいう奴らをぎゃふんと言わせてくれるおまじないなら喜んで実行するのによー!』


 この時、安斎少年の声が無駄に大きかったため――彼の天敵である藤田、鈴木の両少女にばっちり聞かれる羽目になり。そこでバトルが勃発し、話が強制終了されたことを明記しておく。全く、教室で大声で悪口なんぞ話すからこういうことになるのだ。まあ彼の声がデカいのは、今に始まったことではないのだが。

 大切なのは。本来ならば、人形は固定された一箇所にあるべきものであったのではないかということ。

 それが何故か、色を変えた上でトコトコ歩いているっぽいということ。

 そして、件の藤田少年は、おまじない六つを全て試すということを実行できなかったということである。


――確かに、おまじないは六つもあって、全部願掛けの方向違うもんな。


 恋のおまじないもそうだが、中には受験祈願のおまじないもあるとか聞いたような気がする。はっきり言って、中学受験をする気がない燕のような人間にはまったくの無縁だ。成績アップをお願いしてもいいなら、多少話は違ってくるが。


「うーん……」


 人形は、電気の下で探してもまるっきり見つからない。あれが何かの道標なのかと思ったが、そういうわけではないのだろうか。

 ふと頭を上げた先には、壁に貼られたまま埃を被っている写生の絵があった。相当古いものなのか、紙がやや黄ばみ、やや丸まってしまっている。


「え……」


 驚いたのは、その絵に描かれているのが――“今”の校舎ではなかったということ。全体的に焦げ茶色なのだ。水彩画なのではっきりとその素材がわかるわけではないが、それでも想像はつく。

 そこに描かれているのが、建て替えられる前の木造の旧校舎であるということが。

 当然、今の生徒がそのような絵を描くはずがない。兄の梟が入学する少し前に、南校舎は建て替えられて新しくなってしまったはずなのだから。今の子供達が木造校舎を見る機会などあるわけがないのだ。

 恐る恐る燕は、名前の欄を見た。そこには日付と、その絵を描いた生徒の名前がはっきりと記されている。




『昭和五十五年 六年一組 大森佳子』




 昭和五十五年。確か昭和がフルに存在したのは六十三年であったはず。昭和六十四年が平成元年。そして平成三十一年が、令和元年。今は、令和二年で西暦2020年だ。ということは。


――えっと、えっと。……昭和五十五年は、よ、四十年前!?


 計算があっているなら、そういうことになる。四十年も前の絵が、こんな場所に貼られたままになっているなんて、そんなことがあり得るだろうか。

 それとなく、他の絵や粘土作品もちらほら見る。昭和や西暦といった、製作年がわかるものは少なかった。しかし、数十年前の生徒の名前と今の生徒の名前は明らかに特徴が異なるというものだ。




『三年二組 佐藤正太郎』


『四年五組 松田明子』


『一年四組 おおたやすえ』


『六年三組 吉岡匠』




 どれもこれも。現代の子供達ではあまり見ないような、やや古風な名前ばかり。そしてどれも、妙に黄ばんでいたり劣化している作品ばかりなのだ。

 何十年も昔の作品を、美術室にこんな長いこと保管したままにしているだろうか。いや、そもそも劣化しているといっても、どの作品も元の姿をとどめているのだ。こんな日の入りそうな部屋で、原型を留めていることがそもそもおかしいような――。




 ギイイ。




「!!」


 ざわざわと燕が胸騒ぎのようなものを感じ始めた、まさにその時だった。

 木が軋むような、音。黒板の隣のドアが、ゆっくりと開くのが見えたのである。美術室の隣、ということは美術準備室であるはずだ。


「さ、誘ってんのかよ……」


 思わず呟いた声は、震えていた。

 風なんか吹いていない。何もないのに、勝手にドアが開くとも思えない。

 開くとしたら、人間ではない何か、以外の何者でもないではないか。


「くそっ……」


 人形が、そちらにいるということなのだろうか。燕は意を決して、準備室の方へと歩を進めたのだった。

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