2:みんな大好きな飴ちゃん

 コキコキという音が響き、機嫌よさそうな鼻歌が溢れている。主が楽しそうな顔をして森の中を進む中、森の中に広がる闇から物珍しげに眺めている者達がいた。

 おそらくこの腐界領域に住む王の子分だろう。珍しいことに様子を見ているのは、我が主が奇怪な姿をし電動自転車という見たこともない乗り物に乗っているためだろうな。


「あら、なんだか空気が悪いわね。ここもしかしてPM2・5でも飛んでるの?」

『聞いたことはないが、おそらく似たものだ。ここは空気が穢れており、私でもそう長くいることはできない』


「あらッ! あんなところにゴミが落ちてるじゃない! 誰よチリ袋を捨てたの。ちゃんと後片づけしなさいよッ! これだから最近の若い子には頭を抱えちゃうわ! おばちゃんこう見えても綺麗好きなのッ。だいたい使ったらちゃんと片づけておかないといけないでしょ。ちゃんとそのあたり教育してるの神様ッ!」


『私の及ぶところではない。そもそもここにいる者達は我が支配下とは外れている存在であり、つまりは私の命令など――』


「放置主義なの、神様? そんなんだから反抗されちゃうのよ。でも子どもはそのぐらいがちょうどいいかもね。おばちゃんも若い頃は親と大ゲンカしたことあるし、マー君が若い時にも大ゲンカしたわ。もぉーそれはそれはすごかったんだからッ! おうちが壊れるんじゃないかと思ったんだからね!」


『そ、そうなのか』

「でもそのぐらい大きなケンカしたほうがいいってものよ。そうすれば互いの本音が聞けるし、溜まっていた不満とかも聞ける。おばちゃんも向こうも気持ちがわかってWin-Winな関係になれるのッ!」


『は、はぁ……』

「つまり何が言いたいかっていうと、本気でぶつかるのも大切ってこと! 派手になるかもしれないし、大きく傷つくかもしれないけどそれも大切なことなのよッ! だから神様、放置ばっかしてないでちゃんとぶつかってあげなさい」


 ぶつかるも何も、そんな機会はないのだが……ま、まあ、大切なことなのだろう。


「あら、バッテリーがもう赤いじゃない。ちょっと神様、これどうやって充電するのよッ!」

『すまん、それは私の体力と連動している。悪いが休ませてくれ』

「えー? そうなら早く言いなさいよー。というかまだ走り始めて三十分でしょ? このぐらいでへばらないでよー」


 そう言われても困る。そもそもここは腐界領域だ。並の存在ならば数秒で侵食され動けなくなる場所である。私も例外なく侵食され、体力がガッツリと奪われている。このままここにいては例外なく私も倒れてしまうだろう。


 そんな状態ということもあり、私は憑依し続けることができなくなる。電動自転車から分離し、思わず舌を出して呼吸を懸命にしてしまう。


「ったく、十分休んだら移動するからね」


 私ですらキツい場所なのだが、我が主はおかしなほどピンピンとしている。なぜこんなにも彼女は元気なのだろうか。まさか先ほど言っていたぴーえむなんとかで鍛えられてきたのか? だとすれば彼女がいた世界はどれほどの瘴気が広まっているのだろうか。


 想像はしたくないが、主がなんだか恐ろしくなってきた。


「あ、そうだ。今日はいいものを持ってきたのよ」


 そう言って主はエプロンのポケットから何かを取り出した。それは包み紙にくるまれた丸い何かだ。


「じゃーん、飴ちゃんよー」

『飴ちゃん? 水飴、とは違うようだな』

「親戚みたいなものかしらね。こういう疲れた時には糖分が身体にいいのよ。疲労回復にはブドウ糖ってねッ!」


 最後のブドウ糖というのはわからないが、確かに疲れた時には甘い物が食べたくなるものだ。私も果実をかじって過ごしたことがあるが、これはかなり小さいな。簡単に飲み込むことができそうだ。


『主よ、これはどうやって食べるんだ?』

「神様なのに知らないの? まあいいわ、これは口の中に入れたらペロペロ舐めるのよ」

『舐める?』

「そッ! 舐めて楽しんでだんだん小さくなったら噛み砕いてもいいわ。そのまま舐めててもいいけどね」


 ふむ、言われた通りにしてみるか。まずは紙から飴というものを取って、そして本体を口に入れる。あとは口の中でこの飴を舐めて……むぅっ!

 なんだこれは! 甘い、とても甘い! 今まで食べてきたものの中で一番に甘い!


 なるほど、舐めることでこの濃厚な甘さを小出しにしているのか。これは水飴とは違う楽しみ方だ。


 それになんだか身体から力が溢れる。これが飴ちゃんか。疲労回復に気力回復、それでいて感覚も鋭くなっている、気がする。


「さ、休憩は終わりよ。そろそろ行くわよ神様」

『ああ、行こう我が主よ!』


 今ならどこまでもいける気がする。そう、あの空の向こうにも!


「きゃーッ! なんだか元気じゃないさすが神様じゃないッ! ちょっと休んだだけでこんなにもスピードが出るなんて見直したわよ!」

『ハッハッハッ! これも全て主からもらった飴ちゃんのおかげだ! さあ行こう、今日中にここを抜けるぞ!』


 力が溢れる。もう何が来ても怖い物はない!

 そう思い突き進んでいく。だが、思いもしないことは簡単に起きるものだ。例えるならば、腐界の王と盛大にぶつかるとかな。


『ウガァッ!』


 それはあまりにも大きな存在だ。世界のありとあらゆる穢れを掻き集め、ごちゃ混ぜにし、練り合わせたことによって生まれただろうと思える巨体である。そんな空にも届きそうなほど大きな存在と私達はぶつかり、ぶっ飛ばしてしまう。突然大きな衝撃が走ったためか腐界の王は私達を睨む。


『なんだお前はぁぁ』


 マズイ、調子に乗りすぎた。今ここで戦うのは芳しくない。仕方ない、どうにかなるかわからないが素直に謝ろう。


「なんだって何よ! ぶつかっちゃったのはごめんだけどその態度は気に入らないわッ! というかアンタこそ何よ! ちゃんとお風呂に入ってるのッ!? 臭いがヤバいわよアンタッッッ!!!」

『あぁん、なんだと!』


 やめてくれ主! 今こいつにケンカを売らないでくれ! ああ、腐界の王がすごい睨みつけている。これはもう我々を逃がしてくれる気はないだろう。


『俺は腐界領域の王様だ! 風呂なんざ入る訳ねぇ! それとも、それをわかっててケンカを売ってきたのかてめぇっ!』


「身体どころか言葉遣いも汚いじゃないッ! おばちゃん呆れちゃうよ。お父ちゃんだってお風呂に入ってるのに、そんなんだからみんな逃げちゃうのよ! いいッ! 女の子にモテたいなら身だしなみはキチンとが基本よ!」


『俺の話を聞いてたのかてめぇっ!』


 激突必須のようだ。ああ、今は事を構えたくなかったが仕方ない。腹を決めよう。


『主よ、こうなったら奴を倒すぞ。それが叶わなければ逃げる。いいな』

「逃げる? 何言ってるのよ神様。ここで逃げたらおばちゃんは笑われ者よ。絶対にこいつをお風呂に入れるんだからッ!」


 やる気満々の主だ。大丈夫、なのかこれ?


「やるわよ神様! あの汚れまくったバカをぎゃふんと言わせるわッ!」


 ああ、嫌だ。まだ戦うには準備不足だ。なのにやらなければならない。この戦い、勝てるのか?


 私は大きな不安を抱きつつ、腐界の王と激突することになる。

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