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 ああ、またか。

 靴ロッカーのふたを開け、見るも無残な姿に変貌している自分の上靴をボーッと眺めながら、心の中で漏れたのはそんな感想だった。

 それなりに動揺はした。でも同じくらい、予感もあったから。

 犬塚くんたちはいわゆる、クラスでイケてる男子とカテゴライズされるグループだろう。ポッと出の私なんかが彼らを独占している状況を、周りの女の子たちが快く思わないのは容易に想像できる。事実、一部の女の子たちは廊下ですれ違うたびに私に冷たい視線を向けてきた。周囲の犬塚くんたちには決して気づかれないよう、瞬く隙をぬって。

 こちとら、逆ハーレムを気取ってマウントを取る気はさらさらないし、色目を使った覚えもカマトトをかましているつもりもない。あえて反感を買うような言い方をすれば、昔から、男の子の方が私に勝手に寄ってくるのだ。そして、彼らを無下にする度量を私は持ち合わせていない。私ができることと言えば、当たり障りない冗談を適度に宣いつつ、一抹の下心を寸分でかわすことくらい。

 同性の女の子たちからのいじめに本気で悩んでいた。女子トイレで無理やり制服を脱がされそうになった日から、怖くて学校のトイレに行けなくなったし、学校に隕石が落ちればいいと毎日思っていた。けど、アイドルをはじめてから私は、彼女たちのいじめがあまり気にならなくなった。

 アイドル活動が、私の心を救ってくれたんだ。

 ――なんて言えば聞こえのいい美談だけど、その実、リアルのニュアンスは微妙に異なる。

 私――鳴海美百紗はぶっちゃけたところ、アイドル活動をあんまりがんばっていない。センターを取ろうという気概もないし、そもそも自分が芸能人に向いているとも思えない。私は、『いじめられるから学校に行きたくない』という超絶に消極的な理由でオーディションに参加し、何の奇跡かあれよあれよとトップアイドルの仲間入りを果たしてしまったクチなのだ。

 天使の歌声を持っているワケでもなく、幼い頃からダンスを習熟していたワケでもなく。

 ――なんで私なんかが、『idol.meta』に入れたんだろう――

 その疑問を直接、メンバーのアコにぶつけてみたことがある。彼女曰く、

「歌も上手で、踊りもうまくて、顔もかわいくて、お喋りも達者で――ファンの人らみーんながな、そんなスーパーアイドルを求めてるワケやあらへんて。そんなん、レオポン一人で充分や。アンタみたいに何もできんクセにやたらマイペースな子、好きになる層もおるっちゅーこっちゃ。だからドメタはめっちゃファン層広いねん。毛色の違う子たちをいっしょくたにすることで、全国民総取りしたろっちゅー事務所の戦略やな」

 成程、さすが関西人。現実を俯瞰する能力は東京っ子の比ではない。確かに彼女の言う通り、私なんぞを推してくれている稀有なファンの方々が少なからず存在するのもまた事実だ。

 私なんぞのミーグリのためにCDを爆買いしてくれる人、私なんぞのチェキ当選で狂喜乱舞する人――正気か。思わずそう言いたくなる。……だけれども、

 腐っても私はアイドル。トップアイドル『idol.meta』の『なるみも』なのだ。私を全力で推してくれるファンの方々には全力で敬意を払い、全力の笑顔を返すことくらいはさすがにする。

 だけど笑いながら同時に、心の中がチクチクとまち針で刺される感覚もずっとある。

 だって私は、アイドル活動に本気で向き合っていないから。逃げの一手として選んだ芸能活動に、何の信念も信条もないから。

 それって、私を推してくれている人たちを裏切るような行為なんじゃないかなって――そんなことをモヤモヤ考えるようになってからは、いじめなんてどうでもよくなってきたんだ。

 私なんかがアイドルをつづけていて、本当にいいのだろうか。

 グルグルと巡る頭の中でボンヤリ浮かんだのは、とある男の子の顔だった。

 私の推しだと言ってた彼。私のいじめに気づいて、わざわざ後を追ってきてくれた彼――

 藤吉くんはこう言ってくれた。

 ――推しにはやっぱり、幸せになって欲しいから――

 私が中途半端な気持ちでアイドルをやっている真実を、彼は知らない。

 ……。

 ――ゴメンね。


 体育の授業が終わり、他の女の子たちが華やかな雑談に興じている中、同性の友達がいない私は一人黙々と着替えをこなし、こなしながらも幾ばくかボーッとしてしまったらしい。更衣室にはすでに私を含め、数人の生徒しか残っていない事実に遅れて気づく。ジャージの下に身につけた長袖のインナーをそのままに、私は慌ててワイシャツとブレザーを羽織った。ナップサックを手に取ろうとして――

「――わ~っ、鳴海さん、髪めっちゃキレーだね~」

 ふいに、後ろから首筋を撫でられた。

 思わずゾッと悪寒を覚えて、私はガバリ振り返った。

 左掌を上にし、自身の胸の前に差し出している派手な髪色の女の子が視界に映る。彼女は口元だけで笑って、作られたような笑顔を私に向けていた。名前は確か……赤倉さん、だっけ。

 周囲に目をやるといつの間にか、数人の生徒たちが赤倉さんとおんなじような表情で私を取り囲んでいた。

「さすがアイドル……シャンプーとかヘアオイルも、やっぱり高いやつ使っているの?」

 警戒心をピンと張りながら、私はニヘラとだらしない笑顔を作った。

「いや、全然。フツーに薬局で買った安いやつだよ。……ハハッ、私アイドルのクセに女子力低くてさー」

「へぇ? そうなの。そう言われれば確かに――」

 ぬるりと湿った所作で、赤倉さんが私の襟足を撫でた。

「ちょっと毛先のあたりが、痛んでいるように見えるわねぇ~」

 クスクスクスクス、クスクスクスクス。

 示し合わせたような彼女たちの嘲笑。

 捕食の予感が恐怖に代わり、私の全身にじんわりと汗が滲む。

「アハハッ……さ、最近は美容院、行けてなかったからなー」

 必死にピエロを演じた。心中を悟られまいと全力で苦笑いを浮かべた。でも、

「鳴海さん。忙しくてそんな時間ないでしょ? 私たちが今ココで、切ってあげるから」

 赤倉さんが、背後ろに隠していた右手を自身の顔の横までユラリとあげ、その手には裁ちばさみが握られている。チョキン。刃が空気を裂く音が滑稽に鳴って、私はいよいよひきつらせた顔面を動かせなくなった。

「や……笑えない冗談は、よそうよ。あ、次の授業、始まっちゃう――」

 私が無理やりその場を離れようとするも、赤倉さんの隣にいた二人の生徒が無言のまま動き、左右から私の腕を掴んだ。「ちょっ……やめてって――」私は思わず懇願するように漏らす。でも返事は返ってこなかった。

「遠慮しなくていいよ。私最近、美容師が主人公のドラマ見たばかりだから、自信あるの。……あっ、手が滑ったら、ごめんね~?」 

 クスクスクスクス、クスクスクスクス。

 加速度的に広がる恐怖に、正常な思考が奪われていく。

「……ホント、勘弁してよ。私が……キミらに何をしたっていうのさ」

 弱々しくそうこぼすと、それまでニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべていた赤倉さんがフッと真顔に直った。いやに淡々と、一切の温情が感じられないトーンの声で、

「犬塚くんたちをたらしこんでおいて、よくそんなことが言えるわね。……金輪際、彼に近づかないで。今後一切、彼と話しをしないで。そう約束出来るなら解放してあげる」

 私は赤倉さんの目をジッと見つめていた。身に纏う恐怖と共に、辟易と呆れと諦め――全身が脱力するような感情が内から押し寄せてくる。

 ……やっぱり、か――

 はぁっと一呼吸を漏らして、私はボソボソと覇気のない声を紡いだ。

「……私は自分から犬塚くんたちのとこに行っているわけでもないし、話しかけられて無視しつづけるなんて無理だよ。それに――」

 私はソッとピエロの仮面を剥がして、素の声を唸る様に発した。

「私はね、理由もなく人の命令に従う気なんてないよ」

 赤倉さんの顔が露骨に歪んだ。私の反発が予想外だったのかもしれない。彼女は負の感情を隠す事もせず、癇癪を起こすようにバンッ――と、私の背後ろに接着していたロッカーを掌で思い切り押した。大仰な音に、私の全身が少しだけ跳ねる。

「アイドルだかなんだか知らないけどさ、調子乗んじゃ……ねぇよ!?」

 威嚇のつもりだろうか。でも私は引いてやる気なんてこれっぽっちもない。気づいたら恐怖はどこか遠くに吹き飛んでおり、代わりに覚えたのは怒りによる情動だった。

「調子乗ってなんかないっての……頼むから、私のことは放っておいてよ」

「はっ? アンタ今の立場、わかってんの? 丸坊主になったらアンタのアイドル人生、終わりなんだよ?」

「いやいや……人の髪を勝手に切るとか立派な傷害罪だし。私にとって営業妨害でもあるからね。うちの事務所、一般人にも容赦しなくて有名なんだよ。普通に訴えられると思うけど」

「アンタ、バカなの? この場所には私ら以外いないのよ。アンタの髪を私が切ったなんて証拠、どこにも残らないの。アンタは泣き寝入りする他ないのよ?」

 ……いや、バカはお前だよ。例え現場を抑えてなくったって、状況と私の証言を照らせあわせればすぐに真実は露呈する。そんなこともこの子はわからないのか――

 赤倉さんが私の髪を切るという行為は、両者にとって何のプラスも生み出さない。だけど私は彼女を説得するのを諦めていた。

 人をいじめるようなバカには、何を言っても通用しない。正論を振りかざしても意味がない。

 その事実を、私は嫌になるほど知っていたから。

「これが最後のチャンスよ。自分の口で言いなさい。『調子乗ってすいませんでした。犬塚くんには二度と近づきません』って――」

 赤倉さんが裁ちばさみの刃を私の耳の裏側に滑り込ませる。……マジ、かよ。

 そんなコト、口が裂けても言いたくない。でも赤倉さんは、話し合いで引き下がるタイプの人間じゃない。

「……ハッタリだと思ってるでしょ? マジで切るよ? アンタ、コレで女としても終わるのよ? 本当にいいの?」

 どうしよう、どうしよう、どうしよう。

 必死で思考をこらすも、この場を逃れる奇跡の一手が見つからない。……いつも、そうだ。

 私はいっつも、ひとりぼっち。どんなに叫んでも、私の声なんて誰にも届かない。

 私を助けてくれる人なんて、誰も――

「ちょっと待ったぁーっ!?」

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