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 天界。

 天使や神々が住まい、『地上』の秩序が保たれるべく空の彼方から人間達を見守る天空の御代――などと称せば聞こえは荘厳だが、天界はその実、地上界の連中が思い描くイメージとはおよそかけ離れており、地上界でいうところの『企業』のような組織体で構築されていた。

 人の死を司る『死神課』。

 天災や天候を管理する『自然課』。

 人の命運を定める『運命課』――など。

 『課』ごとに業務内容が分担されており、それぞれの『課』に所属する『神』たちが地上界をサポートすべく業務に徹しているのが天界の実態だ。「神様のいたずら」なんて地上界の人間がたまに口にするが、言葉通り、運命課の女神が宝くじのナンバーを操ったりしている。

 そんな神々はどうやって産まれるのか――何を隠そう、神たちはみな『元人間』だ。

 地上で生命を失った人間の魂は天界に流れ、前世の記憶を有したまま神として生まれ変わる。天界より仕事を与えられ業務に従事し、やがて定年を迎えた神は記憶を失い、新たなる生命に成り代わって再び地上に産まれ落ちる――これが輪廻転生の正体。地上の人間たちが健全な生をまっとうできるのは、死後の人間が神となり必死に地上界を支えているからなのだ。

 ――という真実を、天界にやってきたばかりの神たちは『研修』として説明を受ける。その後、前世の行いや本人の希望によりどの『課』に配属になるのかが決まる。人間だったころ、二十八歳という若さで命を落とし、天界にやってきた私とて例に漏れない。

 まさか『神』という立場で第二の人生(神なので、人生というのもまたおかしいが)が待ち受けているなんて、私は想像だにしていなかった。……が、状況に順応するのが他人より早い性質もあり、私は存外、神としての自分をすぐに受け入れられた。

 自ら希望した死神課への配属が決まった私は、日夜仕事にあけくれていた。このまま定年を迎えるまで、私は『死神』として生きていくのだろうな――そう、思っていたのに。

「……まさか私が、恋の神をやる羽目になるとはな」

 冗談としては一つも笑えず、よもや現実なのだから性質が悪い。

 今度、運命課の女神と廊下ですれ違ったら唾でも吐いてやろうかな――

 『恋愛課』という古ぼけたプレートのかかった執務室の扉の前。ドアノブに手をかけたまましばらく硬直していた私だったが、時が憂鬱を晴らしてくれない事実も知っていた。

 重すぎる嘆息と共に、観念した私がいよいよそのドアを開くと、

 ごった煮返されたような騒然が、私を迎え入れた。


「――オイ! 今月の案件達成数、目標の半分も行ってねぇぞ!? お前ら今日は徹夜でターゲット探して来いっ!」「――ちょっと!? あのOLまた結婚詐欺に引っかかってるじゃない! ちゃんとした男捕まえるよう見張っとけって言ったでしょ!?」「――うわあああ! 次の案件、還暦越えたおじいちゃんがVtuberに惚れてるんですけど! しかも相手の中身オッサンだし! どう成就させりゃあいいんだよおおおっ!?」


 白装束姿を纏った老若男女が魑魅魍魎のごとく。そこかしこで怒声を飛ばしているその惨状は神々の御所とはとても思えない。ちなみに連中が私の入室に気づいている気配はなく……どうしたものかな。

 とりあえず歩みを進め執務室の中央へ向かうと「……えっ?」メガネをかけた一人の男と目が合った。ソイツは両手に抱えていた大量の紙資料をバサバサと阿呆のように落とし、「おっ……、おっ――」ワナワナと震えながら右手をあげ、私を指さす。

「お前は……『死神シレネ』ッ!?」

 やたらバカでかい声が空間に轟き、先ほどまでの喧騒がウソのように鳴りやんだ。

 あくせくと動き回っていた連中が皆一様に動きを止める。奴らの視線が一点集中、私の顔面に突き刺さっていた。

 沈黙が場を支配し、やがて私の周囲を囲うような幾多の忍び声が私の耳をなぞった。

(――な、なんで死神が恋愛課に……?)

(――シレネと言ったら、赤子ですら顔色一つ変えずに命を奪う、死神課のエース……)

(――バカッ! 目、合わすなよ、殺されるぞ――)

 ヒソヒソ、ヒソヒソ、ヒソヒソ――

 ……いや、全部聞こえているんだがな。

 思わず肩を落としそうになった私だったが、不愉快を覚えたワケではない。辟易は多少しているものの、『死神課のエース』として知られる私が他の課の連中からそういう目で見られているのは承知の上だったから。……噂の九割九分が根も葉もないという事実も含めて、な。

 それにしても……どういうことだ?

 連中は何故、私の登場に驚いているんだろう。コイツら、私が恋愛課の配属になったことを知らんのか?

 私の脳裏に疑問がよぎり、やりようもなく執務室の中央に突っ立っていると――

「おーっ! シレネくん! 我が『恋愛課』にようこそ!」

 背後ろからやけに快活な声がしたので振り向くと、私が先ほど引き開けた入り口扉の前、見覚えがあるようなないような……小太りで小柄な中年男性がニコニコと愛想のいい笑顔を浮かべている。……ええと、確かこの人は――

「――あっ、恋愛課のラブ&ピース課長。お久しぶりです。シレネです」

「おしいっ。ボクの名前はラブ&ポップ課長だよ」

「はぁ、はい、それは大変失礼しました」

 私はペコリと申し訳程度に背筋を畳み、ラブ&ポップ課長(※鬱陶しいので次回からはラブ課長と略す)は絶やぬ笑顔を崩す気配がない。

 周囲の忍び声が再び、私の耳に流れてきた。

(――えっ? 課長、今『ようこそ』って言わなかったか?)

(――ま、まさか、死神シレネがうちの課に……?)

 ザワザワ、ザワザワ、ザワザワ――

 不快指数がうっすらと身を纏い、流石に居所の悪さを感じた私は周囲に視線をやった。すると、(――ヒッ……)たまたま目が合った一人の女が窮すように身を縮こませてしまう。……睨んだつもりは、ないのだが。

「シレネくん」

 いつの間にか私の眼前に移動していた(※本当にいつの間にか)ラブ課長が私の肩をポンッと叩いたので、私は数ミリほど肩を震わせた。私より頭一つ分ほど背の低いラブ課長に顔を向けると、

「立ち話もなんだから、ちょっとボクについてきてよ」

 絶やぬ笑顔を崩さぬままに。私の肩から手を離したラブ課長は私の脇を横切り、テクテクと執務室内を壁沿いに歩きはじめた。

 幾ばくか呆気を取られた私ではあったが、後を追う以外の選択肢は与えられておらず、杓子定規に課長の背中についていく。

 私を遠巻きにする連中のささやきは相変わらず耳障りではあったが――まぁ、無視した。

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