書店の娘
両親を一言で表すなら、“本の虫”。
母は無類の本好きで、結婚する前は国内外の個性的な書店を巡るのが趣味だったらしい。そして父は東京で働いていたけど、自身の祖父、つまり私の曽祖父が亡くなったことを機に彼が営んでいた書店を継いだ。それから何年か経った頃に、母が父の書店にたまたま立ち寄ったことがきっかけとなり、本好きの2人は意気投合してそのまま結婚した。そんな両親から生まれた娘の私も遺伝によるものなのか、よく本を読む。ただ、いくら本に囲まれた環境でもお店の本は商品であるため、近所の図書館に学校帰りや休みの日によく通っている。好きな本のジャンルは“歴史”。それぞれの時代の出来事や生活に関わる文化について知るのがとても楽しい。かつて起きたであろう出来事は、今の時代を生きる私にとって、お伽話のような心地よさを提供してくれる。
中学に入ってからは、授業で古文に触れる機会が増えたことで、平安時代をはじめとした古典文学や古文書に興味を持つようになった。古文は原文に対して書き下し文や訳を作成しながら、ノートにメモして読み解いていくことができる。けれども古文書になると、字が達筆すぎたり、崩れ過ぎたりしているため、文字を判別することが至難の業となっている。一応、図書館にある幾つかの本と何度も睨めっこしてきたものの、やはり難しい。
* * *
* *
*
放課後、いつものように図書館に寄ってから家路についた。我が家は1階の半分が店舗スペースで、もう半分と2階が居住スペースとなっている。家の前に来ると、父と母がお店のなかで誰かと楽しそうに会話していた。
(誰だろう?……お客さんかな?)
「あ、
母が私に気付いた。
「こんばんは」
両親と会話していた男の人が私に挨拶してきた。一応、私も挨拶を返した。上下黒のスーツに黒い布マスクという全身“黒”が印象に残る目の前の男が少し奇妙に思えた。
「漆黒さん、娘の唯です」
母が私を紹介する。
「君が…。はじめまして、唯さん。薬売りの漆黒 黒衣と申します」
「…どうも」
漆黒と名乗る彼は、同級生の男子学生たちでは比較できないほど顔が整っていた。そんな顔立ちの彼が爽やかな笑みで自分に向かって自己紹介してくるもんだから、思わず声が小さくなる。
(薬売り?…薬剤師ではなく?)
「父さんも母さんも、漆黒さんに紹介してもらった薬にお世話になったことがあるんだよ。まあ、唯が生まれる前のことなんだけどね」
父が懐かしそうに話す。
(生まれる前って。この人、何歳なの?30代前半にしか見えないけど…)
彼の年齢を私が気になっていると、
「ねぇ、唯も漆黒さんにお薬を紹介してもらったら?」
「え?」
突拍子もない母の提案に思わず困惑してしまう。
(健康な人間に勧める薬って……)
「そうですね……。先程おふたりからお聞きした限り、唯さんはご両親と同じく本がお好きで、かつ歴史に興味がおありのようですから……」
少し呆れている私とは裏腹に、薬売りの彼は何やら考え始めた。そして、
「あっ…。ちょっとそちらに鞄を置かせていただきますね」
持っていた鞄をお店のレジがあるカウンターの上に置いて、何やら探し始めた。
(ドラマで町医者が往診に行くときに使っている鞄みたい…)
すると父が、
「あれ?鞄、変えました?漆黒さん」
「ええ。知り合いが贈ってくれまして。……あった。あった。こちらになります」
「…目薬?」
彼がカウンターに置いたのは、市販の目薬などでよく見かける容器に透明な液体が入っている物だった。
「こちらは『
まるで今の私が欲しくなりそうな効果を知っていたかのように薬を紹介してきたので、かなり驚いた。対して、
「へ〜。面白そう。私のときを思い出すなぁ〜」
「僕もだよ」
両親は2人とも興味津々のようで、カウンターの上に置かれた薬をしげしげと見つめている。
「お父さんとお母さんは、どんな薬だったの?」
「私のは、自分が探している本や興味を持ちそうな本が置かれている本屋さんが近くにあるかどうかを把握できる薬だったかな。まあ、それでお父さんと知り合ったんだけどね…」
「ああ、そうだったね。…僕のときは、ちょうど猫を飼いたいな、と思っていたときでね。ペンダントの形をしていたよ。それを身につけると猫と運命的な出会いをするっていう物で。まさか、買った翌日の朝に店の近くで“ブレ”を見つけるとは思わなかったけどね」
ニャオン。
父の足元で甘えるようにすり寄って鳴く猫がいた。“ブレ”だ。ブレは私が生まれる前からいる看板猫で、年齢的にはかなりのお爺ちゃん猫だ。
(まさか両親の馴れ初めにファンタジー要素があったとは……)
父と母は、2人とも普段から嘘を言わない人たちなので、妙な信憑性と説得力が感じられた。両親が彼に薬の値段を尋ねると、
「未来ある歴史好きの唯さんへのサービスとして、お代は結構でございます」
「⁉︎」
驚いた。胡散臭い物を紹介するから、それなりの値段を請求してくるもんだと思っていた。
「……いいんですか?」
「ええ。かつてのお客様の幸せそうな近況を伺えたことへのお礼でもありますから。それに…」
嬉しそうな微笑みを浮かべた彼は、私を見つめながら言葉を続ける。
「勉学に励む若人を導くのは、年上の特権なんですよ。私、そういうの好きなんです」
そう言って、カウンターに置いてあった鞄を手にし、
「では、このへんで失礼させていただきます。唯さん、そのお薬を使うかどうかは唯さんの自由ですからね」
両親からの夕飯の誘いを丁重に断った彼はそのまま店を出て、駅がある方向へと去って行った。
薬売りの彼が帰った後、半信半疑であったものの、薬を使ってみることにした。効果を確認するため、部屋にある古文書についての本を取り出し、適当なページを開いてみた。すると、彼の説明していた通りのことが本当に起きた。
「わ、分かる…」
達筆すぎることで読解が困難だったのに、本の注釈や解説を読まずとも古文書の文字に意識を集中しただけで、その意味が頭の中に浮かび上がってきた。まるで普段当たり前に使っている現代社会の日本語の文章を読むように…。
(…本当だったんだ)
しばらく呆然としていたけれど、やがて嬉しさが心の奥底から押し寄せてきた。喜びの感情を抑えきれない私は、部屋の本棚に並べていた「伊勢物語」や「平家物語」、「更級日記」などに関する本を机の上に並べて、それらの原文を夜通し読み耽っていった。
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