遺棄
車に轢かれた。
幼い娘を連れてカブトムシ狩りに行った帰りのことであった。気がつくと、ありえない角度に関節が曲がって血だらけになった自分と娘を眺めていた。そばでは、大学生くらいの若い4人組の男たちが車から降りて頭を抱えている。
(おそらく彼らが、私たち親子を弾いたのだろう)
直感的に自分が魂だけの存在になっていることに気付いた私は、なぜか他人事のようにその光景を見ていた。ふと、娘の安否が気になった。
(あの子も魂だけになったのでは…?)
そう思った私は周囲を見渡してみた。しかし、目の前で倒れている娘以外に彼女の姿はなかった。血の気が一気に下がる。
(もしかして…⁉︎)
私は急いで娘のもとへ駆け寄った。
『っ⁉︎』
血や傷で赤く汚れていたが、かすかに目が開いていた。それは死人の目ではなく、間違いなく生命力が感じられる瞳であった。
(そんな!)
すぐに彼女に手を伸ばした。けれど、
『え…⁉︎』
まるで娘がホログラムかのように、私の手は彼女の身体をすり抜けてしまった。
『なんで…。おいっ…‼︎』
何度試しても結果は同じであった。そこへ私たちを轢いた車に乗っていた若者たちが駆け寄ってきた。
「おい、そっちの足を持ってくれ。俺はこっちを持つ」
「せーのっ」
男たちは娘と私の身体を協力して持ち上げた。
(…助けてくれるのか?いや、でも普通は救急車を呼ぶだろ?)
今の自分ではなす術がないので、様子を見守るしかなかった。彼らの行動が娘の救助につながると信じて。
「
娘を抱えていた若者が車のそばにいたもう1人の男に言った。声を掛けられた青年は、ひどく怯えながらトランクを開けた。
「よっと」
娘はまるで荷物かのように扱われていた。そこに生命への尊厳などは微塵も感じらなかった。
「ちょっとどいてくれ」
ドスッ。
娘に覆い被さるように私の身体が置かれた。
『おいっ‼︎なにしてんだよ、助けろよ‼︎』
彼らを阻止しようと掴みかかったが、娘のときと同様にすり抜けてしまい、地面の上を転がってしまった。必死に何度も彼らに向かって叫び続けたが、私の声が届くことはなく、車は発進してしまった。
『あ゛あ゛…、なんで……』
突然の出来事に最愛の娘を連れてかれてしまった私は、天を仰いだ。すると、
ビュッ。
男たちが去った後の車道に立ち尽くしていたはずの私は、いつのまにか深い森のなかにいた。
『は…?』
全く見覚えのない場所であった。
ザシャッ。ザシャッ。
タン、タン。
背後で音がしたので振り返ると、先程の若者たちがいた。スコップを突き刺し、4人で地面を踏み固めていた。嫌な予感がした私は近くに駆け寄った。彼らが立っているところだけ、地面を掘り起こされた形跡があった。
(まさか……)
「なあ…、これ……やばくない?」
1人の若者が呟いた。
「まあ…、やばいだろうな」
他の者たちよりひと回り体格の良い男が静かに答えた。
「やっぱり、あの時に救急車を呼んでおいたほうがよかったんじゃ…」
「埋めたあとに言うなよ、馬鹿。呼んだところで間に合うわけねぇだろ。あんな田舎のど真ん中で」
(…埋めた?)
私は彼らが踏み固めていた場所を凝視した。
(まさか、この下に……)
「ほら、さっさと車に戻るぞ」
男たちは私たち親子を埋めるのに使ったであろう道具を集めて、その場を去る準備を始めた。娘がいるであろう場所に向かって、私は嗚咽した。すると、
「随分とひどいことをするもんですねぇ…」
「「「「っ⁉︎」」」」
森の奥から若い女性の声が聞こえてきた。男たちは幽霊でも出たのかと思い、その場で硬直している。かくいう肉体のない私も恐怖を感じていた。
(こんな夜中の山奥で声を掛けてくるとか、ホラーだろ⁉︎)
ガサ、ガサ、ガサ、ガサ、ガサ。
植物を踏み分けて近づいてくる音が聞こえてくる。声の主だろうか。
「……なあ、さっさと行こうぜ」
「そうだよ。これ、絶対にヤバいって‼︎」
「落ち着けっ‼︎…向こうは俺たちがやっていたことを見てたんだ。逃げたら通報されるぞ」
「いやいや、こんなところで普通話しかけないって‼︎逃げたほうがいいに決まってる‼︎」
ガサ、ガサ、ガサ、ガサ、ガサ。
ガサ、ガサ、ガサ、ガサ、ガサ。
男たちがパニックに襲われて騒ぐが、足音はどんどん近づいて来る。私は固唾を飲んで、何が来るのかと森の奥を凝視した。
「夜分遅くに申し訳ありません」
女性の声が再びあたりに響く。見ると、男たちが持ってきていた照明に照らされて森の木々の間に誰かが立っているのが見えた。顔はよく見えないが、シルエットとしては細身でスーツを着ているようだ。
(こんな山奥にスーツ?しかも女性が1人で……)
自分以外にも霊体となった人間に出会ったのかと考えてしまう。
「ひっ!」
若者たちが恐怖のあまり声を上げる。
「怪しい者ではありませんよ。私はただの“薬売り”でございます」
(…薬売り?)
若者の1人が声のする方向に照明を向けるなか、その者はこちらに近づいて来た。ようやく相手の顔が見えてくると、
「ひっ!」
「……マジかよ」
現れた声の主は人ではなかった。
(猫…⁉︎)
「やはり驚かれましたか。改めまして、私は薬売りで猫又のベルと申します」
英国紳士を思わせるスーツに身を包んだ猫又は品良くお辞儀をした。
「猫又?」
「薬売り?」
あまりのことに若者たちは呆然としていた。対して、ベルと名乗った猫又は微笑みかけている。
「この近くまでお薬の配達に来ていたのですが……」
彼女は私と娘が産められている場所に視線をゆっくりと移して、目を細めた。
「少し、おいたが過ぎたようですね……」
空気が重く冷えていく。
「「「「⁉︎」」」」
見ると、猫又の顔には先程までの温かみのある笑顔が消えていた。あるのは、怒りや憎しみ、軽蔑といった感情が極限にまで高められた冷酷な微笑であった。彼らにもその表情の意味が伝わったのだろう。
「なぁ…、もう行こうぜ」
「ああ、マジでやばい…」
「「「「「「「逃しませんよ」」」」」」
彼女と同じ声が四方八方から同時に聞こえてきた。若者たちが反射的に周囲を照らすと、
「「「「ひっ‼︎」」」」
それぞれの照明の先には、黒いスーツ姿の猫又たちが大勢いた。
「うそ……」
周囲を囲む猫又たちは、意図的に揃えられたかのように全員同じ背格好で、かなり不気味であった。
ニャオン。
最初に現れた猫又が合図かのように鳴いた。
アオンッ。
ニャッ。
フシャーッ。
取り囲んでいた黒スーツの猫又たちが一斉に飛び掛かった。
「ひぃっ‼︎」
「うおっ‼︎」
「あ゛あ゛っ‼︎」
「うあっ‼︎」
4人の若者たちの手足には猫又たちが次々としがみ付いていく。やがて、身動きが取れなくなると、
「こ、殺さないで…」
取り押さえられた1人が懇願する。
「暴れなければ殺しはしませんよ」
「今から皆さんにお薬を飲んでいただきます。それを飲み終えたら、すぐに帰しますよ」
彼女の背後から4人の黒服の猫又たちが新たに現れた。手には醤油差しに似た小さな陶器を持っている。おそらく、あの中に薬が入っているのだろう。
「く、来るな‼︎」
薬を持った猫又たちは、彼らの口元まで容器を近づけた。
ニャオン。
再び合図が出されると、若者たちの口は猫又たちによって力づくで開けられ、薬が注ぎ込まれていく。
「う、うお…おお…」
「ぐお…ぉおおお」
やがて注ぎ終わると、薬がこぼれ落ちないように顔を上に向けられた。そして口と鼻の両方を閉じられ、強制的に飲み込ませられていく。
ゴクッ。
ゴクッ。
ゴクッ。
ゴクッ。
全員が薬を飲んだことを確認すると、彼らを取り押さえていた猫又たちは離れていった。地面に倒れて解放された彼らは呼吸がしばらく荒かったが、やがて全員気絶した。
「この人たちを車のもとまで運んであげてください」
指示を受けた猫又たちは、彼らを担ぎ上げてその場を離れていった。
(……何が起こったんだ?)
若者たちが連れ去られた方向を呆然と眺めていると、
「お待たせしました」
『うおっ』
振り向くと、例の猫又が私を見つめていた。
『えっと……』
「ベルとお呼びください。薬売りのベルです」
『はあ……』
先程までの冷徹な微笑から打って変わり、今度は純粋に明るい笑みであった。
『見えているんですか、私を。……ベルさん』
「はい、はっきりと。昔から猫は霊が見えると言いますから」
彼女の言葉を聞いて、唖然とした。
(やっぱり、死んでいるのか……)
改めて娘と自分が埋められた場所を眺めた。
(信じたくはないが、これは現実なのか)
「助けが間に合わず、申し訳ありません」
ベルさんが私に向かって頭を下げた。加害者でも被害者でもない彼女が謝る必要はないのに。
『顔を上げてください。事故だったんですから。…まあ、遺棄されましたが』
沈黙が流れる。
『あ、あのベルさん』
私はまだ頭を下げる彼女に声をかけてみた。
「なんでしょうか?」
顔を上げた彼女が反応する。
『先程、彼らに飲ませたのは?』
「ああ、あのお薬ですか?あれは精神や記憶などに作用する『濁流』という
『濁流…』
「はい。殺人、窃盗、強姦、放火などといった犯罪を犯した者に飲ませると、毎晩のように夢で自身が犯した罪を被害者目線で苦痛とともに追体験するようになります。罪を認めて自首するか、精神を病んで自ら命を断つかしない限り、効果は永遠に継続します」
『うわぁ……』
(とんでもない薬を彼らに飲ませたもんだなぁ……)
『なんか…、私たち親子の恨みを晴らしてくれてありがとうございます』
「いえいえ、あなた様をちょうど探しておりましたので」
『え…』
「ちょっと、頼まれましてね」
ベルさんの目線が私の背後に移ったのに気付いたので、振り返ってみた。すると、
『あ、パパだ!』
『⁉︎』
娘だ。黒服の猫又と手を繋いで娘がこちらに向かってくる。
(どうして……)
「お薬の配達を終えた後、あなた方の事故現場付近の林でお見かけし、こちらで保護しました。おそらく、亡くなる直前まで記憶に残っていた場所に魂が引き寄せられたのでしょう」
(あ、カブトムシ狩りをしていたところか…)
『パパ〜!』
娘が駆け寄って来た。
『恵美!』
『猫さんたちが連れて来てくれたんだ!』
『そっか。良かったね…』
娘と再会できて嬉しい反面、彼女も私と同様に命を奪われて彷徨っていたという事実が胸に突き刺さる。
『ベルさん。娘を助けていただき、本当にありがとうございます』
「いえいえ、お役に立てて何よりでございます。では、恵美ちゃんがお父さんと会えたことですし、さっそく参りましょうか」
『行くってどこにですか?』
「おふたりが向かうべきところ、【
* * * * * *
* * * * *
* * * *
* * *
* *
*
「着きましたよ」
ベルさんが運転する車で訪れたのは、山から少し離れたところにある無人駅だった。
『駅?』
「ここからは電車となります」
車から降りてホームへ入ると、すでに1両だけの電車が停車していた。
『うわぁ。真っ黒だね、この電車』
見たことのない電車に娘は目を輝かせている。
『ベルさん。これは?』
「黄泉の国へ向かう電車です。おふたりが乗れば、すぐに発車します」
(あの世……か)
プシューッ。
ドアが開いた。温かみのあるライトが車内から溢れてくる。
「さあ、どうぞ」
私たち親子はベルさんに促されるまま乗車した。車内に他の乗客は誰もいなかった。けれども、和洋折衷の大正モダンな内装が寂しさや静けさをかき消し、現世からの旅立ちへの不安を和らげてくれる。
プシューッ。
ドアが閉じた。外を見ると、ホームにはベルさん以外に山で見た黒服の猫又たちが手を振っている。明るく見送ってくれる彼らに向かって、娘と一緒に手を振っていると電車が動き出した。
私は自分たちの身に起きた出来事にまだ理解しきれていないし、戸惑いもあるけれど、娘のそばを決して離れまいと強く誓った。
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