飲み会の敗者

「でも〜、料理が得意な男子とかぁ〜、彼氏にしたら面倒くさいよねぇ〜」


 彼女はそう言って、レモンサワーが注がれているジョッキを傾けながら今日の飲み会を無邪気に楽しんでいた。近くにいた俺は、その言葉を聞いて胸を痛めていた。密かに抱いていた恋心が急激に冷める歴史的瞬間だった。


* * *


* *



 その日は、大学で俺が所属しているサークルの活動日だった。サークル名は「外食産業研究会」。サークル内でお気に入りのお店や行ってみたい飲食店を紹介し合い、予定の空いているメンバーで集まってサークルの活動と称した飲み会を週に1回催す。とくに先輩たちや周りから参加や多量の飲酒を強要されるような“飲みサー”ではないので、とても気楽でいい。そして、このサークルで俺にとっての一押しポイントは彼女、『菊池 美穂』先輩だ。俺の2コ上の3年で、中学と高校でバスケをしていたこともあって引き締まった160cm代後半という健康的な身体の持ち主。加えてショートヘアで整った顔立ちにより、男女問わず高い人気を誇る。対して俺は160cm代前半の標準体型の平凡な顔立ちの小柄な人間だ。


(俺なんかが、菊池先輩の眼中に入れるわけなんかない…)


頭ではそう理解していても、サークルで会うたびに恋心にも等しい憧れをつい抱いてしまう。どうしようもなくなった俺は、『意中の相手を射止めるなら、まずは胃袋を掴め‼︎』という考えをもとに自炊するようになった。半年経った今では、友人たちになんとか披露できるレベルになったが、肝心の先輩にこの技術をお見せできる機会は今のところ無い。と思っていたのだが、今日のサークルの飲み会でメンバーの一人暮らしについての話題で盛り上がる場面が生まれた。その流れで俺の自炊の腕前の話となり、近くにいた先輩がそのことに興味を示してきた。まさに奇跡。そして、ここぞとばかりにスマートフォンに残しておいた料理の画像を近くにいたサークルのメンバーたちに紹介していく流れで、先輩になんとか自己アピールすることにした。周囲が俺のスマートフォンを覗きながら口々に褒めてくれたり、茶化したりするなかで、俺は菊池先輩の反応をひっそりと伺った。少し酔っているものの、いつもの無邪気な笑顔で先輩の口から発せられたのが冒頭で紹介した言葉であった。


『でも〜、料理が得意な男子とかぁ〜、彼氏にしたら面倒くさいよねぇ〜』


この言葉を聞いた俺はショックのあまり一時停止してしまったが、周囲が先輩の発言を自分たちと同様に俺を茶化しているものだと捉えて場の雰囲気が壊れることはなかった。それに伴って俺も急いで再起動して、バイト先で培った営業スマイルでその場を乗り切った。けれど、先輩への憧れが一瞬にして崩れ去った喪失感は大きく、しばらくサークルメンバーと談笑したあとに俺はトイレに向かった。店のトイレは男女別に分かれていたが、男性用は使用中であった。尿意を感じて訪れたわけではなかった俺は、サークルの人達と他の客たちがいるテーブル席から見えないようにトイレとテーブル席の間の廊下の壁に寄りかかった。店員や他の人に不審がられないようにトイレの順番を待っているように意味もなくスマートフォンをいじり始めた。


(久しぶりのどデカい失恋だな…。はぁ〜、冷めたわぁ〜)


先輩が俺に興味を持ってもらえるかもしれないと思って勝手に俺が頑張ってきたことだから、それで先輩を嫌ったり恨んだりするようなことは愚かなことだということは分かっている。俺がそうしてきたように、女性だって想いを寄せる相手に振り返ってもらおうと努力する。なのに、男の特技が料理だったら、自分の料理にケチをつけられるかもしれないという不安が生じてしまい、先輩が言った言葉が生まれるのも一理ある。あるけどさぁ〜。


(やっぱ、辛いって………)


店の賑やかな笑い声や明るい店員の掛け声が、ひどく虚しく響く。


「大丈夫ですか?」


突然声をかけられたので、反射的に振り返った。


「⁉︎」


そこには上下黒のスーツで、顔に黒いマスクを付けている男性が立っていた。


(誰?他のお客さんかな?)


「だ、大丈夫です…」


なんとなく気まずくなった俺は、その場を立ち去ろうとした。


「つらいですよね。恋心が冷めてしまったときの喪失感というのは…」

「えっ?」


(…なにをいきなり?)


「すみませんね、いきなり。職業柄、人間観察が得意でして」

「は、はぁ…」


(変な勧誘じゃないよな…?)


俺が怪しんでいるのを察してなのか、男は名刺を1枚差し出してきた。


『株式会社MASK製薬 営業係長 黒衣 漆黒』


(製薬企業…)


「今日は、仕事帰りに同僚と飲みに来ていたところなんですよ。近くのテーブル席が賑やかなものでしたので、なんとなく視線の先にいた貴方を観察してしまい、今にいたります」


(偶然俺を見かけただけだと…?)


「すみませんね。貴方にとってはいらぬお世話かもしれませんが…」


製薬企業の男は、そう言ってスーツのポケットから透明な袋に入った飴玉のような物を俺に見せてきた。


「これは【お焚き上げシリーズ:恋心キャンディ】というお薬でございます。お薬といっても弊社がキャンペーンで作ったような飴でございますが、きっと貴方の心の喪失感を埋めてくれますよ」


彼は俺のジャケットのポケットにその飴玉を入れると、その場をあとにした。


(不思議な人だな…)


サークルのみんながいるところに戻ると、今日の飲み会の幹事が参加費を集めて会計するところだった。幹事の先輩にお金を渡して、明日早いからと言って早めに切り上げると、俺は最寄りの駅へと向かった。駅のホームで電車を待っていると、ポケットに先程もらった飴玉が入っていることを思い出し、なんとなく口の中に放り込んだ。ちょうど酔いが少し冷めて、菊池先輩への恋愛感情の喪失による重さを再認識し始めたところだったから、良かったのかもしれない。一刻も早く先輩がいる店から離れてアパートに帰りたい気持ちでいっぱいだったけど、口の中で飴を転がすたびに不思議と心に余裕が生まれてきた。


(キャンペーンで作った飴と言っていたが、侮れない代物のようだ)


目的の駅に着くと、俺は近くのコンビニにふらっと立ち寄った。飲み直したい気分ではなかったから、お酒ではなく炭酸飲料やエナジードリンクを何本か買って帰ることにした。


 後日、サークルの活動で菊池先輩を見かけたが、以前のような恋愛感情による熱い眼差しで先輩を意識することはなかった。別に嫌いになったというわけではないのだが、ただ好意を寄せる対象ではなくなり、1人の人間として尊敬する対象になっただけのこと。あの日、飴を舐めて以降、俺のなかで失恋を引きずるような負の感情は全くと言っていいほど生じていない。あのスーツの彼にいつかまた会えたら、お礼を伝えたいものだ。


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 大学を卒業して6年が経過した。


 サークル活動を延長した流れで、全国各地の飲食店を紹介する雑誌の出版社に奇跡的に採用された俺は忙しい日々を送っている。プライベートでは、取材で訪れた都内の飲食店で知り合った女性と地元が同じだったことで距離が縮まり、昨年の秋に入籍した。式は未定だが、彼女の希望をできるだけ叶えられる式を挙げたいと考えている。


 サークルのメンバー達もそれぞれが公私共に自分達の道を進んでいる。とくに食品の卸関係の企業に就職した菊池先輩は、持ち前のカリスマ性とコミュニケーション能力を遺憾なく発揮して、驚異的な速度で実績を上げているそうだ。一方で先輩のハートを完全に射止められる人間は現れていないようで、最近はペット可のマンションで猫と暮らしているらしい。

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