4_逃がさない

 猫は良い。見ているだけで心が穏やかになる。俊敏に走り回るくせに時折間抜けな姿を見せて、そんなところがたまらなく愛おしくなる。

 そんなこんなで猫カフェに来た。気分転換するには最高の場所だ。


「きなこはほんとに良い子だねぇ」


 床に座ってぼんやりと猫たちを見ていたら、茶トラのきなこちゃんが膝の上に乗ってくれた。

 無防備な重みが何だか安心する。しばらく撫でていると、きなこちゃんは眠り始めた。通い詰めた甲斐があるというものだ。

 撫でていると、生き物の優しい温もりが伝わってきて固くなっていた心がほぐされていく。上がりっぱなしの口角のせいで、頬が引きつってきた。


「よし」


 きなこちゃんからもらった元気に後押しされて、通話回線を開く。


『何の用だ』


 数コールもしないうちに出たのは、博士。本名は知らない。低い男性の声だが、ボイスチェンジャーをかましているかもしれないから、性別も分からない。

 だけど、この人は大丈夫だ。パパが困ったら頼れと言った人だから。

 携帯会社の契約情報などから身元を特定することは簡単だが、していない。それはパパを疑うということだから。パパが私を裏切るはずが無い。


『……ちょっと、色々あってね』


『ちょっとなのか色々なのかはっきりさせてくれ』


 ぶっきらぼうな博士の口調を聞いて、なんだか安心する。

 良かった。いつも通りだ。このひとはきっと、勝手に居なくなったりしない。


『いつもながら面倒な人ね。ただ、まあ、ちょっと……夢を見てね』


『まあ、お前が通話して来るのは例の夢を見た時くらいか』


『ははっ。そうだね。……そうなんだけどね、違うの』


 あの夢を見るとどうしようもなく寂しくなって、誰かの声を聞きたくなる。

 マッチングアプリなどで匿名の人間を使う時もあるが、たいていは博士に甘えさせてもらう。博士は信頼できる唯一の人間だから。


『はっきりしないな。さっさと用件を言ってくれ』


 突き放すような言葉。だけど、ただ不器用なだけ。

 博士は私のことを心配してくれていて、何があったのか早く知りたくて焦っているだけ。

 最初は少し怖かったが、8年も付き合っていれば博士の優しさが分かるようになった。


『……組織の尻尾を掴んだ』


『本当か!?』


 博士が間髪入れずに尋ねてくるので鼻白む。


『あいつらの……あいつらが何者か分かったのか!? どこだ! どこにいる!? 今度は何を企んでやがる!?』


『落ち着いて! 話す。全部話すから、とにかく落ち着いてよ』


 矢継ぎ早にまくし立てる博士を窘める。こんなに取り乱した博士は初めてだ。

 そもそも、私は博士のことをよく知らない。パパの紹介だから組織と関りがあるのだろうとは思っていたが、これほどの確執があることまでは知らなかった。


『……すまない。取り乱した。もう大丈夫だ。続けてくれ。……頼む』


『本当に大丈夫? というか、やっぱり博士もあいつらと何かあったの?』


『昔、ちょっとな。だが、今は関係ない事だ』


 全然関係なくないだろう。喉まで言葉が出掛かるが、抑え込む。

 駄目だ。博士を疑っちゃいけない。それはパパを疑うことと同じ。パパへの信頼が砕かれたら、私はきっと幸せになれない。


『はぁ。まあ今は置いておくわ。信用してるからね』


『……分かってる。俺は裏切ったりしない』


 博士に念押しだけして話を戻す。


『話を戻すわよ。最近、日本の宇宙関係者の不審死が相次いでいるのは知っているわね』


『ああ。内閣の宇宙政策委員のメンバーが数人、脳内出血で倒れていたな。それから、JAXAの後ろ盾をしている議員の秘書が電車に飛び込み自殺をしたはずだ。これは昨日の朝のニュースだったか。衛星打ち上げ失敗と相まって、マスコミ連中が日本の宇宙開発は呪われてるんじゃないかと騒いでいる。だが、どれも刑事事件にはなっていなかったはずだ』


『どれも他殺の証拠は見つけられなかったみたいだからね。……現場からは』


『何か見つけたのか』


『不審な通信トラフィックがあった』


『トラフィック?』


『ええ』


 私は自分の生活圏のネットワーク上に常に網を張っている。いつ組織から刺客が放たれるか分からないからだ。

 そのうちで、議員秘書が自殺した駅がたまたま私の網に引っかかった。


『議員秘書の自殺事件。終電間際だったことも相まって目撃者はいなかった。証拠は防犯カメラ映像のみ』


『カメラに細工がしてあったのか?』


『たぶんね』


『多分?』


 歯切れ悪い私の言葉を、博士が咎めるように追及して来る。


『普通、カメラの映像に細工するなら、動画ファイルがまずあって、そのファイルを加工するのよ』


『だろうな。それ以外にやりようがない』


 普通ならばそうだ。だが、私は、いや、私たちは違う。


『でも、駅の防犯カメラ画像はそうじゃなかった。防犯カメラが撮影して、そのデータがサーバーに送られる最中。そこでフレームが上書きされていた』


『は?』


 博士から呆けた声が漏れる。確かに、荒唐無稽な話だ。


『防犯カメラ映像はサーバーまでイーサネットのフレームで送られている。だが、映像は分割されて、一つのフレームの情報では一枚の画像に戻すことすらできない筈だ。それを不自然なところが無いように細工したってのか?』


『そうよ。それも加工前後のデータとシームレスになるようにね』


『シームレスだと!?』


 博士が声を荒げる。


『フレームの上書きに時間がかかれば、加工された映像とそうでない映像のつなぎ目でリアルタイム性が担保できなくなる。シームレスということは、フレームの加工処理をほとんどノータイムでやったっていうのか!?』


『ええ。現場に残された痕跡を見るとそういうことでしょうね』


『ありえん……』


 博士からの通信は音声のみだが、頭を抱えているのが伝わってくる。


『犯人は魔法使いか何か。だが、その手法を使えば加工前のデータは一度も保存されていないから、復元される心配もない。そこまで出来る腕前があればログに足跡を残すことも無いか』


『ふふ。魔法使い。言いえて妙ね』


 フレームに格納された映像の断片を望んだとおりに加工する。それもリアルタイムで。どんなに優れた画像加工の技術者やハッカーを集めても、出来るものはいないだろう。


『今の技術水準からかけ離れたものは魔法でしかないわよね』


 つい自嘲気味に言ってしまう。


『……そうか。君のような存在ならば可能か』


『ええ』


 機械は抽象的な命令を解釈することができない。画像の中から人間を識別しろという場合は、人間とはどういうものか。色、大きさ、目や鼻といった部位の繋がり方。そういったものをすべて詳細に記述する必要がある。

 一方で、人を識別しろという課題は人間にとってはとても簡単だ。子供でもできる。人間は、抽象的な命令を瞬時に実行することができるのだ。

 そして、脳内にコンピュータを埋め込まれた私たちは、そういった命令を機械が解釈できるようにインタフェースすることが可能だ。


『多分、この防犯カメラ映像からは議員秘書を突き落とした犯人が消されている。……もしかしたら、議員秘書も加工されているのかもしれない。リアルタイムでそんな処理をさせるなら、抽象的な命令を瞬時に機械のために翻訳してあげる必要が出てくる。

 それができるのは、私のような電脳化された存在が絡んでいるとしか思えない。ちなみに、私はやってないわよ』


『分かっている。君でないのならば、別の電脳化された存在が居るということだな』


『ええ。そして、そんな馬鹿げたことやる組織が複数あるだなんて考えたくも無い』


 そうだ。人の頭をいじくりまわすようなところが他にあるわけが無いのだ。


『祐樹を……そしてパパを殺した組織。徹底した情報統制で名前も分からない組織。私たちの幸せを奪った奴ら。その尻尾をとうとう掴んだのよ』

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