2_幸福たれ

「こちら指令部。高橋、応答しろ」


 ザーという砂嵐音とともに、部屋の外で待機している高橋さんの無線が鳴る。そこから出る不機嫌そうな声は、警備主任の声を私が合成したものだ。


「はい、高橋です。感度良好。どうぞ」


『高橋さん、すげー嫌そうな顔してる。あの野郎、他の警備からも嫌われてんだな』


 廊下で待機している祐樹が楽しそうに報告して来る。警備主任は、所長にはへこへこするが、それ以外にはふんぞり返って当たり散らす小物の見本のような男だ。無理もないだろう。


「チッ。お前ら、どうせ子守で暇だろ。港に博士宛のクソでかい荷物が届いた。俺の部下は揃いも揃って愚図だから、少人数では精密機器を壊しかねん。給料から差っ引けばいいだけだが、所長に謝るのも面倒だ。手伝いに行け。いいな」


『なんだよ、今の!似すぎだろ!』


『でしょ』


 あいつの真似をするのは簡単だ。とりあえず舌打ちして、適当に嫌味を混ざておけばいい。ポイントは、反論は一切許さないと言わんばかりに投げっぱなしにして会話を切り上げることだ。


「はぁ。あの野郎、またこれだよ。これに返事したら、そんな暇あったらさっさと行動しろとか言って怒鳴ってくるんだよな。どうしてあんな奴が出世したのか、不思議だよ」


「はは」


 高橋さんが人好きのする声でぼやいて、祐樹が苦笑いする。高橋さんは、子供の写真を見せてきたりと、私達にも優しく接してくれる気の良いおじさんというような感じだ。

 彼を騙すようで気が引けるが、そんな気持ちを吹き飛ばす。優先順位を見誤ってはいけない。


「すみません、博士。ちょっとお呼びがかかっちゃいまして……」


 高橋さんが入口から顔だけをひょこっと出して声を掛けてくる。眉をハの字にして、申し訳なさが前面に出ており可愛らしい。


「聞こえとったから分かるよ。全く、あの男はどうしようもないな。私の荷物のせいで迷惑をかける」


「いやいや、そんな。これが仕事ですから。終わったら合流しますね。電波室でしたよね?」


「うむ。すまんが、よろしく頼む」


「はい。すぐ戻りますんで。よし大原、行くぞ」


 高橋さんがもう一人の警備を伴って、地下三階の港へ向かう。実際には荷物は届いていないが、主任の嫌がらせということで落ち着くだろう。そもそも、地下三階は広いから、それに気づいたころには私たちは脱出しているだろうが。


「よし。我々も動くか」


 警備の二人がエレベーターに乗り込んだころ合いを見計らって、パパが号令をかける。


「とっとと行くぞ」


 廊下でずっと待っていた祐樹が私たちのことを構わず歩き出す。


「全く、祐樹はせっかちだな。真由美、我らも行くか」


「うん」


 パパに促されて祐樹の後を追う。廊下を出ると、曲がり角で祐樹が私たちを待っていた。部屋からは見えなかったが、大きなリュックを背負っている。実験機材を運んだりはよくしていたから、目立ちはしないだろう。


『大丈夫だ。俺らを気に掛けている奴らはいない』


『オーケー。でも、変に焦らないでね。怪しまれたらおしまいだから』


『分かってるよ』


「もう、待ってるくらいなら一緒に行けばいいのに」


「ふん」


 私たちが追い付いたのを確認すると、祐樹がまた背を向けて歩き出す。だが、その足取りはゆっくりだ。歩幅を私にあわせてくれている。


「ふふ」


 最初は先に行くけど、待っていてくれて、合流したら歩調を合わせてくれる。いつも通りだ。思春期になって少し距離ができた気もするけど、なんだかんだいって優しい祐樹が大好きだ。


『準備は?』


『大丈夫』


 祐樹の問いかけを受けて状況を共有する。

 警備システムへの侵入は成功した。モニター室では警備主任が新聞を顔に乗せて居眠りしている。


『全く、あの野郎はどうしようもないな……』


『けど、クズ野郎で良かったよ』


 気兼ねせずに去ることができるから。高橋さんとは大違いだ。


『盆休みで警備の人数も少なくなってるね』


『ふん。ジジイもこの時機を見計らってたんだろ。とんだ狸だ』


『うん。さすがパパだね。……よし。監視カメラの映像を切り替えたよ』


『ナイス』


 モニター室は責任者しかいなかったから、少し早いが映像を数日前のものとすり替える。ついでに無線の宛先が全て私の端末となるように細工をする。


『よし。それだけやれば十分だな』


 祐樹の満足そうな頷きに誇らしい気分になる。


『ふふん。褒めてくれても良いのよ』


『さすがだよ。まあ、俺の方がもっと早くできたけどな』


『なによ、それ』


 最近の祐樹は本当に一言多い。祐樹は少し不安定なところがあるから私がシステムにハッキングしているのに、その言い草はひどい。


『いや、ごめん。悪かったって。俺でもできるのにって、ちょっといじわる言っちまった。ごめんて』


『ふん』


 不機嫌が漏れてしまったのか、祐樹が焦ったように謝ってくる。謝るくらいなら、最初から言わなければ良いのに。


『あ、ほら。エレベーターだぞ。準備はいいか』


 気がついたらエレベーター前に着いていた。助け舟が来たと言わんばかりに、祐樹が話題を転換する。


「おっ。今日は運が良いぞ。この階に籠があるから待たなくていい」


 パパが階の表示を見て嬉しそうに声を上げる。こんなことで喜ぶなんて、可愛い。


「あ、ほんとだ」


 実際は警備システムを操作して私たちのいる三階へ移動させておいたのだが、内緒だ。いや、さすがにパパも気づいているか。


「ふん」


 祐樹が下らないと言わんばかりに鼻を鳴らしてさっさと乗り込む。そんな調子なのに、律儀に開ボタンを押してくれている。完全には反抗しきれない祐樹の優しさが微笑ましい。


「はは。それじゃ、乗ろうか」


「うん」


 祐樹の様子を見て、パパが少し寂しそうに乾いた笑いをあげる。エレベーターに乗り込むと共に、警備システム経由で扉を閉じる。

 目的地は屋上階。プロテクトは既に解いてある。


「ふぅ」


 エレベーターが上昇し始め、警備システムをうまく欺けていることを確認した祐樹が息を漏らす。それにつられて私も肩から力を抜く。いつも通りを心がけていたけど、知らず知らずのうちに緊張していたらしい。


「ふふ」


 緊張の糸が一旦切れると、笑いがこみ上げてくる。


「ふふ、ふふふふふ」


 くすくすと肩を震わせていると、パパと祐樹が同時に私の方を見る。最初は二人とも目を丸くしていたが、私につられて笑いだす。


「はっはっは!だましてやったぞ!いい気味だ!」


 パパが気分よさそうに豪快に笑う。こんなパパを見るのは初めてだ。いつもは私たちに遠慮しているような感じがする。パパの新たな一面を見ることができて嬉しい。


「ははっ!さすがはマユだな!こんなうまくいくとは思わなかったぜ!」


 最近は難しそうな顔ばかりしている祐樹。そんな祐樹が昔のように無邪気に笑って肩を叩いてくるので、不覚にもドキッとしてしまう。

 体つきががっしりしてきたので別人のように思えて、少し戸惑うこともあったけど、ちゃんと祐樹だ。生意気そうに上を向いた鼻と、薄い唇の下にあるほくろ。少し棘を感じる顔つきが、笑った途端に柔らかくなる。ほんと、昔のまんまだ。

 妙なノスタルジーに浸っていると、エレベーターのベルが鳴り屋上へ到着したことを知らせてくれる。


「ほら、まだ施設から脱出したわけじゃないんだぞ。気を引き締めよう」


 ベルの音と共にパパが笑顔を引っ込め、注意を促す。でも、口角がわずかに上がっており、その表情は柔らかい。


「あんたが言うか?あんなに気分よさそうにしといてさ」


「ふっ。それもそうだな」


 祐樹が憎まれ口を叩きながらエレベーターを降りるので、パパと一緒にそれに続く。屋上への扉は目と鼻の先だ。


「!?」


 侵入していた警備システムに妙なトラヒックが発生する。私が張っておいた網をすり抜けてシステムの中枢に達した途端に、警備システムがシャットダウンする。


『何が起きた!?』


『分からない!けど、私たちがエレベーターを出た途端に妙なパケットが発生した。トリガーはきっと、屋上階に侵入すること』


『監視してなかったのか!?』


『してたわよ!けど、通常回線とは別の帯域だったからすり抜けられた。スロットの予約リストにも載ってなかったから見つけようも無かったのよ……』


「くそ!」


 祐樹が悪態を吐きながら、リュックを投げ捨てて屋上のドアに向かって駆け出す。警備システムが落ちる前に電子ロックは外しておいた。押せば開くはずだ。

 しかし、ドアに辿り着く前に警報がけたたましく鳴り響いて、屋上へのドアの前に分厚いシャッターが下りる。


「ああ、くそ!」


 祐樹がシャッターを蹴りつけるが、派手な音が鳴るばかりでびくともしない。


「何が起きた!?」


「分からない!けど、このフロアに入った途端、たぶん警備システムが切り替わった!元のシステムが落ちてるから解除できない!研究所のシステム全部が物理的にスタンドアロンに切り替わったみたいで、どこにもアクセスできない!」


 調べる程に悪化していく状況をパパにぶつける。

 システムに入り込めさえすればどうとでも出来るのに、肝心の入口が全て閉じられてしまっている。恐らく、物理的にコンソールを叩くしかアクセスができないようになっている。


 だめだ。詰んだ。解決の糸口が全く見つからない。


「全所員に告ぐ」


 スピーカーから不機嫌そうな声が流れる。警備主任だ。スピーカーとモニター室のインターフェースも電線で繋がっているだけで、干渉のしようがない。


「許可なく屋上に出ようとしたものがいる。そのせいでシステムが緊急モードに切り替わった。警備は緊急時のマニュアルに従って行動。他の職員はその場を動くな。警備の許可なく行動すれば、命の保証はしない。以上」


 心底面倒くさそうに、吐き捨てるようにして放送が終了する。


「どうするの!?さっきから入口を探してるけど、システムにアクセスできない!このままだと、警備主任が来ちゃう!」


「いや、でも非常階段の屋上への扉を開けられるのは、警備主任と所長だけなんだろ?警備主任一人なら、どうにかならないか?」


「いや、だめだ」


 祐樹の提案をパパがにべもなくはねつける。落ち着き払ったパパの声が、切迫した状況を理解してないように思えて、腹が立ってくる。


「どうしてよ!警備主任なんて、へこへこするしかできない小物でしょ!?私達だけでも大丈夫よ」


「そうだ!あんな奴、俺一人で十分だ!」


「いや、だめだ。だめなんだよ」


 パパが右手で頭を抑えながら、苦々しい顔で俯く。歯痒そうなその表情を見て、さっきまで怒りを感じていたことが恥ずかしく思えてくる。


「あいつは確か、国外の紛争地帯で活躍していたとかいう奴だ。本物の戦場を知っている戦士には敵わんだろうよ」


「そんな……」


 パパからもたらされた絶望的な情報に、膝が崩れる。


「祐樹、分かっているな」


「……ああ」


 パパの決意を固めたような頼りがいのある声を聞いて、縋り付くように顔を上げる。


「何か手があるのね!」


 さすがはパパだ。希望がわくと共に、冷静になる。当たり前だ。パパがこの状況を想定できなかったはずが無い。出口の前に何かトラップがあるなんて、ありきたりだ。きっと、事前に手を打っていたのだ。


「ああ、もちろんだ」


 パパが私を見てほほ笑む。そのままこっちに来ようと一歩踏み出すが、一瞬眉をしかめて、屋上への出口に向かって歩き出す。

 パパのどこか諦めたような笑顔を見て胸がざわめく。だが、喉がつっかえてうまく言葉が出てこない。


「頼んだぞ」


「……任せろ」


 その間にパパが屋上への扉に辿り着き、祐樹の肩を叩く。パパの励ましに、祐樹が一瞬泣き出しそうな顔をするが、すぐに表情を引き締めて絞り出すように応える。


「マユ、こっちだ」


 祐樹が私の腕を取って乱暴に立たせながら、エレベーターホールの隅に誘導する。屋上への扉から一番遠い場所だ。


「え?なに?」


 何をしようとしているのか飲みこめず、パパと祐樹を交互に見る。

 パパは屋上への扉に背中を向け、片膝を立てて座っていた。その姿はどこか哀愁が漂っていてかっこいい。普段なら連射してストレージに溜めておくところだけど、どういう訳かそんな気分になれない。

 祐樹は放り投げたリュックを拾ってくると、壁にするかのように私の隣に置く。そして、壁とリュックで挟み込むようにして、私に覆いかぶさる。


「祐樹?突然どうしたの?」


 困惑。何が起こっているのか分からない。パパの方を見ようと身をよじると、祐樹が手で抑えつけてくる。


「ちょっと祐樹、やめてよ」


 不満の声をぶつけても、祐樹はどいてくれない。それどころか、手に力をこめてくる。変に力みすぎて、祐樹の手が震えているくらいだ。


「真由美、祐樹」


 パパがどっしりとした重い声で語り掛けてくる。渋くて優しい、安心する声。


「お前たちには随分ひどいことをした。私の研究のせいでこんなところに閉じ込めて、悪いと思っている。科学の前進のため、これまで犠牲にしてきた子供たちのため。そんな大義名分を振りかざして私は非道な研究を続けてきた。

 ……いや、これはどうでもいいことだな。真由美、祐樹。許してくれとは言わない。だが、お前たちはただの研究成果じゃない。私は、お前たちのことをいつからだか本当の子供のように思っていたよ。贖罪になるとは思わないが、私がお前たちに贈ることのできる最期の贈り物だ」


 しんみりと、噛みしめるようなパパの言葉。それが何だか遺言みたいで、頭に入ってこない。


「自由になれ。こんなところのこと、そして私のことなんか忘れて幸せになれ。お前たちはもう十分苦しんだのだからな」


 パパの声から私たちに向けられる柔らかさが消えてきて、段々固くなってくる。自由。幸せ。最後の贈り物。なんだか大仰なことばかり言っていて、おかしくなってくる。これは、あれだ。なに大げさなこと言ってるのって、突っ込まなきゃいけない奴だ。パパの渾身のボケをちゃんと落としてあげなきゃいけない。


「コード、アッシュトゥアッシュ」


 パパの言葉を聞いて、時間が止まる。


 アッシュトゥアッシュ。


 聖書の引用。灰は灰に。そのコードの内容は自爆。機密保全のために、この施設の職員には爆弾が仕掛けられている。

 それを起動するためのコード。それがアッシュトゥアッシュ。


「いや、ダメ!!なんで!!」


「マユ!!」


 コードを止めようと、パパのもとへ駆けつけようとする。だが、祐樹が押さえつけるせいで動けない。


「やめて!放して!!」


「真由美、祐樹」


 鋭いパパの声。反射的に動きが止まってしまう。


「二人とも、自慢の子だ。最期にお前たちが居てくれて、これ以上のことはない。お前たちもきっと、幸せにな」


 満足げに噛みしめるようなパパの声。警報が鳴っているというのに、パパの声だけが浮いているような不思議な感覚。


 だが、そんな感覚もパパの言葉が終わると共に起きた爆発で吹き飛ばされる。


 轟音とともに耳が空気で蓋をされて、その後に衝撃波が続いて壁に押し付けられる。反射的に首を内側に曲げて頭を保護するが、体が押しつぶされて空気を強制的に吐き出さされる。


警告!強い振動を感知

機器の状態をスキャン・・・・完了

異常なし

システムオールグリーン


「異常……な、し?」


 頭の中に鳴り響く合成音声の場違い響きに現実に引き戻される。

 異常なしだと?

 ふつふつと怒りがこみ上げる。何を見て言っている。異常だらけだ!


「パパ!パパ!」


 現実を認めたくなくて、身をよじりながらパパを呼ぶ。祐樹の拘束から這うように抜け出す。


「……うそ」


 膝から崩れ落ちる。

 見覚えのある腕が落ちていた。私の頭を撫でてくれた優しいごつごつした手。温かくて、その熱が伝わってくるだけで私の胸までポカポカさせてくれる魔法みたいな手。

 パパの手だった。パパの腕だけがぽつんと転がっていた。

 腕だけじゃない。焦げたような服の切れはしや、肉片。骨があちらこちらに散らばっている。細切れになったそれらの中に、足や手がぽつんと落ちている。


「い、や……」


 火薬の匂いが薄れていって、鉄臭い吐き気がするような臭いに上書きされる。

 受け入れたくなくて、ただ茫然とうずくまっていると、潮の香りが頬を撫でる。顔を上げると、そこにあったのは青い空。十年ぶりくらいに見る空。壁に空いた穴から、嘲るように空の青がこちらを覗いていた。


 ドサリ。


 その青がどうにも気に障って、奥歯をギリッと噛みしめると、後ろから柔らかいものが落ちたような音がする。


「ゆう……き……」


 その音の発生源は祐樹。床に崩れ落ちて、息を荒げている。


「祐樹!いや!どうして!」


 一人になってしまうのが怖くて、祐樹に飛びついて肩を乱暴に揺らす。私の中で冷静な部分は、庇ってくれて怪我をしたのかもしれないだとか、破片が内臓を傷つけているかもしれないから丁重に扱わなきゃいけないだとか言っているが、届かない。

 一人になってしまう。

 祐樹まで私を置いて行ってしまう。

 そう。祐樹も。


「いやああああああ!!!!」


 パパのことが頭をよぎって、パニックになってしまう前に声を上げて塗りつぶす。


『落ち着けよ。ばか』


「祐樹!祐樹!!」


 弱弱しい声が脳内に響いて、それに縋り付く。


『俺はもうだめだ。こんな時に発作が出ちまった』


 発作?

 祐樹の言っていることを理解できてなくて疑問符が浮かぶ。確かに、祐樹は機械との相性が悪くて投薬を行っているから、その副作用で発作が起きることがある。

 でも、いま、こんなに大変な時に発作が起こるはずが無い。

 だって、今そんなことが起こったら一緒に脱出できなくなる。そんなときに発作なんて起こるわけがない。


『罰が当たったのかもな。一瞬でも、あいつが居なければって。そう思ったから』


 独白するように祐樹が言う。でも、頭に入ってこない。


「いや!あんたも一緒に……!」


「マ……ユ」


「祐樹!大丈夫!大丈夫だから!」


 けほけほと咳をしながら、祐樹が声を絞り出す。祐樹が目を閉じて気合を入れなおすと、力強く私と目を合わせる。再度、口を開く。


「管理者コード、幸福たれ」


 さっきとは全然違う、しっかりとした祐樹の声。

 管理者コードは解除したはずだとか、早く手当てしなくちゃいけないだとか、色んな考えが駆け巡るが、塗りつぶされる。


 幸福たれ。


 頭がクリアになって、私の一番深い部分に命令が刻み込まれる。


 幸福たれ。


 そうだ。私は幸せにならなければいけない。管理者の命令だからではない。幸せになるために生きることを決められているからだ。

 命令のおかげで現状を打破するために不要な情報が一時的に排除される。


「祐樹、行こう」


『だめだ。お前ひとりで行け。俺を背負っては逃げられない』


 諦めたように、それでいて何かに酔いしれるように言う祐樹に笑いかける。


「だめ。私の幸せは、パパが、祐樹が隣にいることが大前提。二人が居ないと私は幸せになれないから、置いていくなんて論外」


「そう……か」


 私の言葉を聞いて、祐樹が寂しそうに、それでいて嬉しそうに笑う。その顔を見て、私の言い分を分かってくれたのだと嬉しくなる。

 そして、祐樹がゆっくり時間をかけてまばたきをしてから、口を開く。


「コード、アッシュトゥアッシュ」


「え……?」


 脳が理解を拒否する。アッシュトゥアッシュ。自爆コード。一度起動すれば、解除はできない。

 そんなことが頭をよぎると共に、私を無視して体が動く。


 祐樹も、パパももういない。祐樹がいないなら、この施設に残る意味は無い。幸せになる可能性は脱出した方が高くなる。


 私の冷静な部分で弾き出された答えに従って体が動き出す。


 管理者コードで刻まれた命令は絶対。私は幸せにならなきゃいけない。


「いやあああああ!!!」


 私の意思を無視してヘリに向かう体に抗おうと声を上げる。だが、足を止めることはできない。


『そうだ。それで良い。お前は……お前だけは幸せになるんだ。俺のことは覚えててくれると嬉しい。……いや、やっぱいいや。多分、マユの幸せに俺は邪魔になる。忘れてくれ』

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