異世界にメートル法を作る


「はあはあ……あの、さっきキノコを毒抜きした方は……いったい誰ですか……?」


 シャルがたどり着いたキッチンは、まるでお通夜状態だった。

 それもそうだ、危なく大事なお客様を死なせてしまうところだったのだから。


「……私です……」

「シャルさん、どうしたんですか?」


 若そうな料理人が一人手を挙げるのと、後ろから追いかけてきた貴族の男が声をかけるのが同時だった。


「あの、毒抜きの時、どれぐらいの水を使ったのか聞きたいんです」


 シャルのその言葉に、若い料理人の顔が途端に曇った。

 両手は震え、呼吸が荒くなっているのが誰の目にもわかる。


「……新入り、どうしたんだ?」

 後ろから、シャルについてきた年老いた料理人――ここの料理長らしい――が声をかける。


「……キノコ10個の毒抜きを任されたので、10リテーラの水を大鍋に入れて……」

「10リテーラの水、もう一度大鍋に入れてくれません?」


 シャルの言葉に、若い料理人の顔が青ざめる。

 ――もしかして、この人には自分がやってしまったことが、もうわかっているのだろうか。

 

 そして同時にシャルは、自分の想像が正しいことを確信した。

 これは事故になるのか、事件になるのか。

 ――どちらにしろ、きっとこれは、防げた出来事だ。


 「新入り……」


 年老いた料理長の言葉に反応することはなく、若い新入りの料理人は黙って大鍋を持ってくる。

 そしてシャルの下半身が余裕で入りそうな水がめから、木製の大きなひしゃくで水を汲んで移し始める。


 一杯、二杯、三杯……



「これで、全部です」

「全然足りないじゃないか!」


 料理長が驚く。

 大鍋の中に入った水の量は、鍋全体の4分の3ぐらい。


 シャルの見立てでは、この鍋をいっぱいにして、水10リテーラのはずだ。

 料理長も、その想定だろう。


 ――でも。

 セーヨンやデールでそうだったとしても、他の街に行けば……



「申し訳ありません!!!」

 新入り料理人は、頭を深く下げた。それはもう、腰が直角よりも曲がったぐらいに、深く。


「10個だから10リテーラだと思って、つい……私の出身である東部地域の感覚で測ってしまい……」

「……この分量の水で、キノコを煮込んだのか?」


「はい、これでは、毒抜きになりませんよね……申し訳ございませんでした…… このお詫び、いったいどうすれば……」

 新入り料理人は顔を覆う。漏れる声が、声になっていない。


「……どうするかは後で決める。とりあえず、後片付けをしてくれ」


 貴族の男がそう言うまで、誰も何も言い出せなかった。



 ――モーリスの予定は、全て1日ずつ繰り越しとなった。

 約束した相手が全員、日時変更を了承してくれたのが、不幸中の幸いだった。


「……そうか、それで……」


 モーリスが目を覚ましたのは、医者の言った通り陽が沈んだ頃。

 シャルが、キノコの毒抜きができてなかったこと、その原因が新入り料理人の分量間違いだったことを伝えると、モーリスは大きく息を吐いた。


「ということは、シャルもあれを食べていたら危なかったということだな。いや、子供は大人より身体が弱い。もしかしたら……」


 ――わたしの、転生して手に入れた新たな人生は、ここで終わっていたのかもしれない。


「――リテーラも、場所によってかなり量変わりますよね」

「ああ。東部の国境付近の地域では、だいたいこっちの4分の3だ」


 料理長は、10リテーラとだけ伝えた。

 この屋敷で使われる単位は、当然デールでの基準による単位だ。

 でも――東部の故郷から出てきて雇われたばかりの若い新入り料理人は、うっかりそれを自分の故郷での単位で測ってしまった。


 ――結果、毒抜きするには足りない量の水で毒キノコを煮込んでしまった。


「4分の3も違うなんて……」

 さすがにあの水の量で4分の3では、許容できる誤差を大きく超えている。


「……いや、しかしシャルや、他の人たちが被害に合わなくて助かったよ。私も幸い、この通り今は大丈夫だしな」


 そう言って、モーリスはベッドの上で上体を起こし、腕を軽く回す。

「何なら、今からでも仕事は可能だ」

「ダメです、お父様。お医者さんの方も、一晩ゆっくり休んだほうが良いと……」


 シャルはそう言ってモーリスの肩を押さえる。

 

 ……それでまた寝転がるモーリスを見て、シャルはようやく心が落ち着いた。



 モーリスに付き添って、シャルたちペリランド商会一同はもう1日、この貴族の屋敷に滞在することとなった。


「単位を間違えたから、毒抜きできなかった……」


 夜、ベッドの上でシャルは、誰に言うでもなくつぶやく。


 結局、あの新入りの料理人は責任を取って、屋敷を辞め地元に帰るという。

 雇い主である貴族の男は、幾度となく謝罪のため、モーリスの元にやってきた。

 モーリスが『もう自分は大丈夫だから』と言っても、何度も何度も。


 ……でも、一つ間違えればモーリスは死んでいたかもしれない。

 あるいはあのキノコを口にしていれば、シャルだって……


「それだけのことに、なっていたのかもしれないのよね……」


 うっかり、違う単位で計算してしまったために。


 そして、多分これは、今後も起こり得る。

 同名の単位で間違えて、全然違う計算をしてしまったりとか。

 あるいは、もし数字だけで数量を伝えてしまって、違う単位で解釈してしまったら。


 次は本当に、死人が出かねない。

 

 ――いや、シャルが知らないだけで、そういうことは起きてるんじゃなかろうか。



 ――シャルの決意は、固まった。


 これは、商売の世界でどうとか、街の、国の発展とか、それだけの問題じゃない。

 人命に関わる問題なのだ。

 取り返しのつかないことになってからでは、もう遅い。


 やっぱり、単位は統一されるべきなのだ。

 どれだけの時間がかかっても、きっといつかは誰かがやらなきゃいけなくなることだ。


 なら、わたしがやる。

 

 わたしには、野乃の記憶という大きな武器がある。

 物理学を学んだ中で、欠かせない単位の知識も少しは頭に入っている。

 

 それを総動員して……この世界に、統一された単位制度を作るんだ。

 

 日本で使われているものと同じ――異世界版『メートル法』を。

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