食べられるのに、もったいない


 朝早くセーヨンを出て、デールに着いたときにはすでに夜。


「今回はわざわざお越しいただきありがとうございます」

「いえいえ、毎度ペリランド商会をごひいきにしていただきありがとうございます」


 取引先の貴族の屋敷に泊まらせてもらい、翌朝からさっそく商談開始。


「それで、こちらが新商品の……」

「はい。食用のリコピナスです」


 ペリランド商会の新商品、食用リコピナス。

 ……野乃の世界で言うところの、トマトだ。


 この世界において、リコピナスは観賞用植物だった。

 原色に近い真っ赤な実やその青臭さから、食べると身体に良くないことがある、と信じられてきたのである。


 しかし野乃の記憶を取り戻したシャルは、商会のお手伝いさんにリコピナスを料理に使うことを主張。

 その料理がモーリスにも受け入れられ、こうして商会の新商品として売り出すにまで至ったのだ。



「……美味い」

 

 

 最初は怖がっていた貴族の男だったが、モーリスがあらかじめリコピナスをスープに入れたものを用意させて試食させたことが上手くいき、購入の話はトントン拍子でまとまった。


「いやあペリランドさん、ありがとうございます。こんな買い物ができるなんて」

「いえいえ。また何かご入用の際はぜひ」 


 その言葉に、シャルも心のなかでガッツポーズする。

 自分の――野乃の知識が商会の役に立って、嬉しくないわけがない。

 

「食用リコピナス、また機会があればご購入したいです。……ペリランドさん、よろしければ昼食も一緒にどうです? 次の御用まで時間があるとお聞きしたので」

 書類契約を交わすと、男はそう言って立ち上がる。

 

「そうですか? では、お言葉に甘えて……シャルも良いよな?」

「はい。ぜひご一緒させていただきたいです」


「では、こちらへ」

 モーリスとシャルは、男についていく。

 そこは大広間になっており、商会のシャルの寝室が何部屋入るんだろうという広さの中に、すでに料理が置かれたテーブルが鎮座していた。


 パンの焼けた匂いが香ばしく、シャルの鼻をくすぐる。

 隣の皿には、まるごと焼かれた魚が乗っている。

 セーヨンやデールのような海から距離があり、大きな川や湖も無い街では、食材としての魚は塩漬けや干物になった状態でのみ見ることができる。

 それでもシャルたち平民にとっては、お祝いごとのときぐらいしか食べない高級品だ。

 

 ――お刺身とか、海岸沿いじゃないと食べられないのよね……そろそろ寿司、醤油、だしの味が懐かしいわ……

 野乃の記憶が戻ったら、日本食を食べたくなってしまったシャル。

 しかしそれが叶うのはまだまだ先だなと思いつつ、シャルは案内された席につく。


 

「ペリランドさんとのこれからの良好な関係に感謝して……乾杯」

「乾杯」


 席に着いた男とその妻、モーリスとシャルの四人がガラス製の透明なグラスを掲げる。

 シャルのグラスには果実を絞ったジュースが、大人三人のグラスには麦を絞って熟成させた飲み物――要はビール――が注がれている。

 

「お父様、午後もあるんですから、飲みすぎるとダメですよ」

「分かってるよ。……おや、これは……」


 グラスの中を一気に飲み干したモーリスは、フォークでキノコを刺して上げる。

 頭が少し膨らんで、しわのついたキノコが他の野菜とともに炒められている。

 

 ――野乃の記憶の中にはないキノコ。

 だが確かこれは、お父様の書斎で盗み見した本の中で、毒があると紹介されていたような……


「食べられるとは聞いていましたが、実際に出されたのは初めてです」


「あの、これって毒があるんじゃありませんか?」

 恐る恐るシャルは聞いてみる。


「シャルさん、よくご存知ですね。確かにこの種類はそのまま食べると猛毒なのですが、1個に対して1リテーラの水で半ジョアぐらい煮込んでやると毒が抜けるのです。美味しいですよ」

 貴族の男が答えてくれる。

 

 それは初耳だ。

 というかこちらの世界でも、毒のある食べ物を毒抜きして食べる習慣があったのかと、シャルは勝手に感心する。

 

「私のふるさとの味なのです。毒抜きしてから炒めると、癖になる歯ごたえと塩味がしますのよ」

 男の妻から言われて、モーリスは興味深そうにそのキノコを眺める。

 炒められてくたくたになったそれを、モーリスは口に運んだ。



 ゴクリ


「……ほほお、これは確かに面白い味ですな。キノコというより、葉物の野菜を食べてるような気がします」


 へえ。シャルもつられて匂いを嗅ぐが、なんだか刺激臭がするような気が……


 

「美味しいぞ。香草の味付けともよく合っている。シャルも食べてみな……さ……」


 

 ――その言葉を最後まで言い終わらないうちに、モーリスの顔が豹変した。


 頬が伸び、両目を白目が見えそうなぐらい見開き、咳込み……



 バタッ



「キャッ……」

 そばで控えていた女性の召使いから、声にならない悲鳴が漏れる。


 フォークを持ったまま、モーリスはひっくり返って床に倒れ、そのまま動かなくなった。


「……お父様!?」


 どうしよう。シャルはモーリスに駆け寄って、身体を揺する。

 モーリスの目は見開かれたまま、口からはまるで蟹のように泡が出ている。


「お父様!?」


 シャルが小さな手で、どれだけ強く身体を動かしても、モーリスはピクリともしない。


「シャルさん落ち着いて! ……おい、医者呼んでこい!!!」


 貴族の男が大声で召使に指示を出す。

 そのまま、男とその妻がモーリスの隣でしゃがみ込み、耳をそばだててモーリスの呼吸音をチェックする。


「……まだ息はあるな。……ただ、いったい何が……」


「……毒……」


 毒?

 シャルは、妻の言葉に反応する。


「わからないですけど、これは……キノコ毒の症状に、似てます」


 キノコ毒。

 なら、原因は一つしか考えようが無いじゃないか。


 毒抜きされたはずの、あのキノコ。

 ……刺激臭がしたような気がしたのは、やっぱり毒が抜けてなかったんだ。


「しかし……」


 

「御主人様、どうしたのですか……!?」


 その時、白衣の男が入ってきた。

 お医者さんだ。そう判断して、シャルはモーリスの隣から離れる。


 白衣の医者は倒れているモーリスに近づき、手元に抱えたカバンから道具を取り出す。


 ――あれは魔石だ。

 医者が手のひら大の魔石を軽くモーリスの上に置いて、魔力を込める。


 ……あれで分かるのだろうか。

 野乃の知識を持ってしても、医療についてはよくわからない。ましてやこの世界でのことなんて。



「――間違いなく、毒にやられてますね……」


 ほんの少し間があって、医者は別の魔石を取り出す。


「お父様は大丈夫なんですか!?」


「とりあえず、手は尽くしてみます。ですが、かなり中毒症状が……」

「お願いします!!!」


 今は、医者に頼るしかない。

 シャルは半泣き状態で両手を組んだ。

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