半年前、呼び覚まされる記憶


 前世のことを思い出したのは忘れもしない、半年前、春先の夕暮れだ。

「シャル、学校までまだ時間あるでしょ? エルビットの面倒ちょっと見ててくれる?」

「わかったわ、お母様」


 商品の織物をチェックしていたシャルは、母親のメリーファに言われて顔を上げる。

 住み込みで働いてくれている店員さんに仕事を引き継ぎ、店内のお客さんに会釈をしながら店の裏へ引き上げる。

 

「シャル姉ちゃん、ママは?」

 ドアを開けた先の中の部屋で、指を加えながら見上げているのは、シャルの弟、3才のエルビットだ。

 シャルが母譲りの金髪なのに対し、エルビットは父譲りの茶髪。

 顔も、なんだか父親寄りの気がする。

 

「ママは今ね、お客様とお話中なの。お姉ちゃんが学校行くまでの間、一緒に遊ぼうか」

「うん!」

 シャルがしゃがんで視線を合わせると、エルビットは嬉しそうに首を縦に振る。

 

 ……家の仕事の手伝いで疲れても、この弟の笑顔を見ればすぐ元気になれる。

 弟の障害は、わたしが全部取り除くんだ。


「あっ、エルビット、そっちはお店だよ! ママやパパの仕事の邪魔しちゃダメ!」

 商会の店舗へと通じるドアに向けて走り出すエルビットを後ろから抱きかかえ、二階へ上がる階段の方へ向かう。

 

 五階建ての店舗兼住居。

 一階は一般の人向けに、ペリランド商会で取り扱う品物を展示したり、一部のものは直接販売を行う店舗。

 二階は貴族など、大口の顧客向けの応接室と、品物の倉庫。

 三階は雇っている店員さんの休憩室、寝室。

 四階、五階はシャルたち商会長一家の住居。

 

 フランベネイル王国の地方都市であるセーヨンの街において、役所や貴族の屋敷を除くと最も高い建物の一つだ。そのことが、商会の規模の大きさを物語っている。


「シャル姉ちゃん、またお話読んで!」

「はいはい。今日は何がいい?」


 そんな話をしながら、二人は階段を上がっていく。

 階段にそってある、装飾された窓の向こうの空はどんよりと曇り、にわか雨がザーザーと降り続いている。


 この雨だと、学校行くまでの間に濡れちゃいそうね。地面もぬかるんでるから注意しないと。

 そう頭の片隅に入れつつ、今日の学校の内容は何だったかしらと思い出す。

 

 シャルが通う学校は、彼女のように家の手伝いをする平民の子供のために、夜に授業が行われる。

 7才から、成人する15才までの間、読み書き計算やこの世界について、簡単な歴史や法律を学んだり、魔力についての授業もある。

 

 昼は実家の手伝い、夜は学校で座学……それがシャルの一日だ。


「えっとね……あ、リニュ王さまの話しがいい!」

「あれ、それって前も読まなかったかしら?」

「面白かったから、また聞きたい!」

 

 エルビットは小さな両手をブンブンさせながら、シャルの隣で急な階段を上がる。


「わかったわよ。でもお姉ちゃん、あと2マイントぐらいで学校へ行く準備しなきゃいけないから、きっと話の途中になっちゃうかも……」


 優しい声でシャルが答えた、その時。



 ピシャーン!!!



 突然、外から鳴り響く巨大な音。

 思わず、シャルの肩がすくむ。

 どこかに雷が落ちたのだ、そうシャルが思考した次の瞬間。


「あ……」

 目の前で、びっくりしたエルビットがバランスを崩し、足を踏み外すのが、スローモーションのように見えた。


「危な……」

 シャルは両手を伸ばし、エルビットを抱えようとする。

 しかし、エルビットの体重が両手に伝わり、同時にシャルが踏ん張ろうと力を込めた右足の先に、床は無くて。

 シャルの視界がぐるりと回転、頭の方に重力がかかる。


 あっ……わたし、死ぬのかな。


 

 全身への衝撃とともに、シャルは目をつむる。

 

 

 ――なにこれ。

 

 何階建ての建物……なの?

 王都で見た城よりも、ずっと大きい銀色や白の、箱のように真っ直ぐな建物。

 しかも一つだけでなく、周り中の建物がみんなそうだ。

 

 ……これ、何かの本で読んだわ。走馬灯ってやつ?

 あれ、でもそれならなんで見たこと無い景色なのかしら。

 それに周りを歩いている人の服装も変だし、馬車なんかよりずっと速く移動している乗り物がたくさん……


 ――違う。

 

 見たことある。

 これは、わたしの記憶の中の光景。

 ビル。自動車。スーツ。遠くに見えるのは……電車。

 

 

 ……わたしは、高瀬たかせ 野乃のの。日本の、東京の大学で物理学を学んでいる、20才。

 志望する研究室の飲み会に参加したら、チャラ男の先輩にめちゃくちゃ飲まされて、いつしか記憶がなくなって、それで……



「……ル! シャル!」

 

 目を開けると、メリーファが、長い髪と顔をぐしゃぐしゃにして叫んでいた。

「お母様……わたし……」

「シャル! ……良かった……」


 ベッドに寝かされているシャルの身体を上から抱きしめるメリーファ。

 抱きしめられながら、シャルは理解していた。


 ……異世界転生。

 その言葉が野乃ーーシャルの頭に浮かぶのに、時間はかからなかった。


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