第2話 奈落の悪魔

「その……ありがとう」


「別にいいのである!!」




 廃ビルから落下寸前で引き上げられた私はフェンスの内側まで入り込み座りながら、素直にソイツに、命の恩人……に感謝する。


 死のうとしていたのに、助けられるのは、少し気まずい。


「さて! じゃあどこかに遊びに行くのである! どこがいいであるか!? お金ならあるのである!」


「待って!」


 そう言う私に、目をぱちくりと開閉させる太っちょのソイツは明らかに驚いていた。それもそうだ、でも私はまだ自殺を諦めたわけじゃない。


「私、まだ死にたくないわけじゃない」


「ふむ」


 身勝手なことを言っているのに、助けてもらったのにソイツは私を責めもしなかった。それどころか真摯な感じで腕を組み頷いた。

 でもそうだ、私は確かにまだこの世に希望を持てるほど楽観的ではないのだ。決意を新たに私は言う。


「私は、さっきは生きたいって、貴方にそう頷いたけど、でもまだ……死にたくないわけじゃないっていうか……私! やっぱり──」


 ──ジュウウウウウウ!!


 あ、いい匂い。お肉の焼ける匂いだ。いや待て!


「じゃなくて! なんで! 肉焼いてるの! 貴方!」


 いつのまにか、スキレットとガスバーナーを取り出して肉を焼いていた黒尽くめのソイツに私はびっくりする。

 だって結構上等そうなお肉を焼いているじゃないか。


 じゃない、なんだ唐突に私が真剣に話しているのに!


 ──グゥゥ。


 最悪だ。お腹が鳴った。


「まずはご飯を食べてから、それからでもいいであろう? ほら国産牛である!」


 そう言ってソイツはサバイバルナイフをどこから取り出したのか切り分けて紙皿の上に肉をたくさん置き私に差し出してきた。


 くっ! こんな肉に負けるほど──


「食べないのであるか?」


「……いただきます」


 私は欲に負けた。


 ─────────────


「美味し……かった」


 なんだか悔しい、そう思いながら、私は口を拭いた。アイツからもらったポケットティッシュで。


「それで、結局貴方、誰なの?」


 私は肉をご馳走になったコイツにようやく、その質問をした。ていうかもっと早くにするべきだった。

 いろいろと動転していたのでしょうがないことなのだが。


「ふふ、ようやく聞いたのであるな!!」


 するとソイツはお腹がいっぱいだと座っていたところを、急に立ち上がって宣言した。


「吾輩は!奈落よりきたりし悪魔! 奈落の悪魔ラフメイカー!! 笑顔を届けるものである!」


「ラフメイカー……? 奈落?」


 私は首をかしげる。

 そして思わず笑ってしまった。


「笑っているのである! やった!」


 ラフメイカーは大喜びだ。


「だってそんなの信じられるわけないじゃん!」


「むぅ、それは心外なのである、何か証拠でもあれば……」


「本当は、なんか自殺防止をするどこかの福祉の人なんでしょ? それか……物好き?」


 それを聞くと、ガーンという効果音が出そうなほど分かりやすく、落ち込むラフメイカー。

 そんなにショックだったのか。


「だいたい悪魔だったらなんで私を笑わせに来たの? おかしくない? なんか悪魔って感じじゃないじゃんそれ」


「それもいい質問であるな!」 


 急に元気なったラフメイカーは目を輝かせる。よく見れば、この自称悪魔の目は満月みたいな色だ。カラコンか?

 そんな疑問を差し込む前にラフメイカーは話し始めた。


「吾輩の故郷! 奈落という場所にはずぅっと! 雨が降っているのである!」


「雨?」


「そう! しかもただの雨ではない!」


「酸性雨ってこと?」


「そうそう、そのせいで銅像が……って違う!!」


 結構、面白いなこの人。


「そこには涙の雨が降るのである!! 比喩ではない! 本物の涙が集まって降るのである! それも世界中の涙が!」


「なんだか想像できない……けど、それって絶え間なく雨が降ってるってこと?」


「そう! その通り!」


 ラフメイカーは嬉しそうにそう叫ぶ。


「故に! 吾輩たちは! 冷たい涙の雨を止める! 又は! 嬉し涙から生まれる暖かい涙を求めて暗躍しているのである!」


 へぇーそうなんだっていう、感想だ。それが正直な私の思いだった。なんていうかラノベ……いや、絵本にありそうな設定だと思った。


「なんか、なおさら信じにくいよ」


「ガーン!」


 ついに口に出してそう言ったぽっちゃりなラフメイカーは、あからさまに肩を落とした。


「ま、まあ、そんな気を落とさないでよ、きょ、今日は自殺やめるから!」


「本当?」


「本当!」


「やった! なのである!」


 キャラ作ってるんだ……。

 後付けされる「なのである」を聞いて私はそう思った。


 ─────────────


「はぁ、だるいなぁ、十階分降りるのかぁ……」


 私はそう呟きながら、廃ビルの階段を降りる。


「あ、吾輩空飛べるからおぶって行こうか! なのである!」


「い・や!」


「すみません」


 私の前方にいる、ラフメイカーはそう言って肩を窄めた。

 自殺を決行していれば、ここを降りる必要もなかったのだと思うと少し複雑な気分だ。

 喜べばいいのか、それとも、嘆けばいいのか。


 まあ、いいか。


「どうせいつか死ぬし……」


「そんな……ダメである!」


 ラフメイカーは立ち止まってそう言った。思わず私も立ち止まる。


「別にいいじゃん、私の勝手なんだから、それにラフメイカーには関係ないでしょ!」


「あるのである!」


「何が? 何があるの?」


「君が死んだら悲しい! のである!」


「……そうなの? 私たち友達でもなんでもない、さっき知り合ったばかりなのに」


「え、友達じゃないの」


 また彼はへこんだ。あ、ちょっと繊細なのかこの自称悪魔は。

 少し申し訳なくなった私は、思わず口走ってしまった。


「あ、ちょっとへこまないで! その……じゃあ今から友達! 友達で!!」


 そういえば、一つ大事なことを忘れていた。


「ねぇ、貴方、名前はなんていうの? ラフメイカーは多分……種族名? ぽいよね! 本当の名前を教えてよ!」


 その言葉に満月の色の目を輝かせたラフメイカーは言った。


「吾輩の名はジンドー! ジンドー・ビックハッピーなのである!」


 その名前に思わず吹き出す私。


「あ、笑った!」


 と喜ぶジンドー。


「ごめんなさい……フフッ!」


 だってビックハッピーなんておかしい名前!


「いや、いや! イチ笑い、獲得といったところである」


 ジンドーはなんだか、誇らしそうだ。


「私は堺ヒナタ、よろしくねジンドー!」


「……そうか! よろしくなのであるヒナさん!」


「ヒナさんはやめて」


「はい! 界さん!」


 ─────────────




 ──見つけたよ、見つけたよ。


 ──生贄の娘だ。


 ──殺そう、殺そう!


 ──皮を剥いで、首を捻じ切って、臓物を撒き散らしてやろう。


 ──フヒヒヒヒヒ!!


 ──全てはあの方に捧げるために。

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