第五夜 メリーさん 4
しかし、その勝利の余韻も長くは続かなかった。
駅まであと少しだ。そこまで逃げればもう大丈夫だろう。
歩調を緩めた『メリーさん』のスマホがちろちろと鳴っていることに気付く。
そうしている間も絶え間なく通知音が鳴るスマホを起動させて、『メリーさん』は青ざめた。
『今どこにいるの?』
『どうして逃げるの?』
『逃げたら死ぬって言ったよね?』
『どこ?』
『迎えに行く』
『ごめん』
『死にそう』
『なにかいやなことあった?』
『僕になにかダメなところあった?』
『ねえ、どこにいるの?』
『行かないでよ』
『どこ?』
『今どこにいるの?』
lineを開いている間にも、次々とメッセージが送られてくる。トーク画面には着信履歴もたくさん混じっていた。鬼電鬼lineだ。
今もまた、通話がかかってきた。『メリーさん』は、ひ、とスマホを落としてしまった。
気を取り直してスマホを拾い、そしてなぜかなんの迷いもなくlineに返信してしまう。
『私メリーさん。今〇〇駅にいるの』
送信ボタンを押してしまってから、はっとする。
完全に『怪異』、『メリーさん』の習性で居場所を教えてしまった。このすべての行動は自動的であり、『メリーさん』自身に律することはできない。
『メリーさん』は己の特性を呪った。
「やべーやつに関わっちまったの……!」
ともかく、一刻も早く駅について電車に乗り込まなければ。
いまだに鳴りやまないスマホをマナーモードにすると、『メリーさん』は駅へ向けて走り出した。
急げ、急げ、急げ急げ急げ……!
「待ってよぅぅぅぅぅぅぅ!!」
背後からオッサンの声がする。追いつかれてしまったか。
チ、と舌打ちをして、『メリーさん』は構わず走り続けた。
「置いてかないでよぅぅぅぅぅぅぅ!!」
オッサンの叫びは涙交じりである。いい大人が泣きながら走る光景は周囲の注目の的となった。
しかし、もうすぐ駅だ。ラストスパートをかけようと、『メリーさん』は足にちからを込める。
それがいけなかったのか、足がもつれて転んでしまった。
「あっ……!」
盛大に膝から地面にダイブして、その勢いでスマホがすっ飛んで行ってしまう。
とにかく商売道具のスマホを回収せねば。なんとか起き上がった『メリーさん』が遠くへ飛んで行ってしまったスマホを手にした、そのときだった。
「……やっとつかまえた……」
背後から、荒い呼吸と共にオッサンの声がかかる。
「……ひぅっ……!」
いびつな笑顔を浮かべながらも、涙でぐしゃぐしゃになったオッサンの顔を見て、『メリーさん』は顔を引きつらせた。
「ダメじゃないか、勝手に外に出たら」
「……あっ、うっ……!」
「ほら、転んじゃって……痛いでしょ?」
そう言うと、オッサンはかがみこんで『メリーさん』の擦り剥けた膝小僧をぺろぺろと舐め始めた。
生ぬるい舌の感触があると、ようやく痛みを思い出す。
公衆の面前で少女の膝を舐めているオッサンは、完全に変質者だった。
「やっ! やなの!!」
「ほら、帰ろう? 傷の手当てをしないと」
「いやなのー!!」
「大丈夫だよ。こわいことなんてなにもないよ。僕に悪いところがあったら直すから、ね?」
「うううううう!! おまわりさーん!! 助けてなのー!!」
とうとう『怪異』が言ってはいけないことまで言ってしまった。
不幸中のさいわいというやつで、近くを歩いていた警察官がその様子を見とがめ、近づいてくる。
「ちょっと失礼、あなたがた、どういうご関係?」
「恋人です!」
オッサンが言い放った言葉に、
「違うの!! ストーカーなの!!」
すかさず『メリーさん』が訂正を入れる。
警察官は困ったような顔をしながら、
「えーと……とりあえず、身分証明書見せてもらってもいいですか?」
職質を開始しようとしたその隙を突いて、『メリーさん』はその場を走り去った。
「あっ! ダメだよ!! 行かないでよ!!」
「ちょっとあなた、落ち着いて!」
警察官がオッサンを押さえている今がチャンスだ。『メリーさん』は脱兎のごとく駆け出し、駅へと入った。
モバイルSuicaで改札を抜けると、そのままホームに停まっている電車に飛び乗る。行先はわからない。
「待ってよぅぅぅぅぅぅ!!」
ホームから悲痛な叫びが聞こえてくる。早く出ろ早く早く早く……!!
そう念じていると、オッサンが電車に入り込んでくる直前にドアが閉まった。ぎりぎりセーフだ。
車窓に張り付いて追いかけてくるオッサンを、今度は駅員たちが取り押さえている。電車がスピードに乗り、オッサンが遠ざかっていった。
『メリーさん』は心底安堵すると、その場に座り込んでしまった。走りづめのせいなのか恐怖なのか、膝が笑ってしまって立っていられなかった。
やっと逃げられた……! これでもう、オッサンとは関わり合いにならずに済むだろう。その事実が本当にうれしかった。
マナーモードにしておいたスマホが鳴り続けている。どれどれ、負け犬の遠吠えでも聞こうかとlineを開くと、やはり鬼line鬼電の嵐だった。
しかし、『メリーさん』の特性は今は反応しなかった。移動中はどこにいるのかを知らせずに済むらしい。
『お願いだから帰ってきて』
『謝るから』
『でないと僕死んじゃう』
『怒ってないから戻ってきて』
『死にたい』
『君がいないとダメなんだ』
『会いたい』
『今どこにいるの?』
すべてが『メリーさん』を求める文言だった。
それを丸っきり無視するのはこころが痛んだが、我に返ってみると、少女ひとりを監禁するオッサンなどマトモではない。
改めて、ヤバいのに関わってしまった。今度からは獲物を厳選しなければ。
シートに座り込みながらぼんやりと考えている『メリーさん』に、またひとつlineが来た。
『君しかいないんだ』
そう、孤独なオッサンには『メリーさん』くらいしか相手をしてくれるひとはいないのだろう。ずっとひとりで、ようやく見つけたぬくもりで。
そう思うと、なぜだか胸がずきずきと痛んだ。
これは良心の呵責か?
それにしてはなんだか濁った色をした感情だった。
正体不明の感情に支配されて、『メリーさん』はこころをかき乱される。
がしがしと頭をかき、もうスマホは見ないことにした。
移動中は居場所を伝えなくていい。これが分かったのは僥倖だった。
このまま終点まで乗ってやり過ごそう。
『メリーさん』は夜になりつつある電車の車内アナウンスを聞きながら、いつの間にか寝入ってしまった。
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