第37話 ようこそ異世界旅館えるぷりやへ
エルプリヤさんと姉さんの機転で、僕は晴れて旅館の従業員となれた。
とはいえ、まずは初出勤前に身だしなみを整える所から。
二人にはちょっと待ってもらって、お風呂やら色々と済ませる。
それで体を洗うのも済ませ、今は髭を剃って整え中だ。
伸びた髪はこの際縛ってまとめておこう。
あとで異世界散髪屋にでも行くとしようかな。
働くとなると多分、そう簡単には帰って来れなさそうだから。
「いえ、普通に帰れますよ?」
「え、ちょ、エルプリヤさん!?」
――だなんて洗面所で呟いていたら裏からエルプリヤさんが現れた!
どうやら放置していた洗濯物をまとめて持って来てくれたらしい。
でも今、僕パンイチなんでとても恥ずかしいんですけど!?
本人はまるで気にしないで洗濯機に放り込んでいるけども。
というか、やたらやり慣れてる感あるね彼女……。
「一応伝えておきますと、就業規則は従業員の世界に準拠します。例えば夢路さんですと労働時間は一日八時間。残業ありで給与も出ますが少な目で強制もしません。ですので定時退勤が原則ですね。週休二日制です」
「かなりホワイトな旅館だった」
「仕事の後は帰還しても構いません。時間管理は私達の方でやっておきますので、あまり深い事は気にしなくて平気です」
「施設利用の方は?」
「休憩時間になら構いませんが、原則は従業員用を使う事をお勧めします。お客様との必要以上の接触は余計なトラブルにもなりかねませんから」
「あー確かに、従業員さんは浴場にもいなかったしね」
そんなパンイチの僕の横で彼女がしっかり概要を伝えてくれた。
でもその視線、チラチラと動いているのが鏡でバレバレだけどわかってる?
……あれ、エルプリヤさんってそういうキャラだったっけ?
「ですが従業員用施設も優秀ですのでご心配なさらないでくださいね」
「わかりました。それはそれで楽しみです」
「ふふっ、ではリビングに戻っておきます」
き、きっとこの半年で色々と思う所があったのだろう。
そうだよね、時代は常に変わっているって話だし!
――という訳で僕も準備を済ませ、あとはもう旅館へと向かうだけだ。
その間に姉さんが出前を受け取ってくれたみたいだから、憂慮はもう無い。
まぁお寿司はすでに九割が消えていた訳だけれど。
大トロ・中トロだけが全滅していたのは解せない。
「夢君、気が利くじゃないですか。久しぶりに帰還した姉にこんなご褒美なんて」
「ごちそうさまです、夢路さん!」
「ギリィ!!!!!」
しかしエルプリヤさんの手前、何も言い出せなかった。
クッ、姉さんめ、エルプリヤさんの扱い方が上手くなっているッ!
仕方ないので僕も残りをかけこみ、それでササッと食事を済ます。
それで外へとやってきたのだけど。
相変わらず、この謎のファンタジーバイクがすごい。
パッと見はピザ配達用バイクなんだけどね。
「では夢君、バイクの荷台に入ってください」
「僕はピザじゃないんですけど。どう見てもピザかヘルメットしか入らないサイズですよねこれ?」
「つべこべ言わないで入りなさい」
ひとまず言われるがまま荷台の扉を開く。
すると待っていたのは真っ暗な空間で。
「お手伝いしますね。えいっ!」
「うおあああっ!?」
しかもエルプリヤさんが僕を半ば強引に荷台へと押し込んだ。
たまらず暗闇に転がる僕の体。
もはやどこが天地さえわからない。
――だったのだが。
「え? あれ、ここって、旅館えるぷりやの玄関……?」
気付けばなんかもう既に旅館にいた。
それも玄関に転がるような形で。
「よっと!」
「え、うわ、エルプリヤさん!?」
しかもそんな僕の頭上をエルプリヤさんが跨ぐ形で降りてくる。
なんてこった、着物の中が深淵で何も見えなかったァ!
というか、今のはバイクの能力か何かなのか!?
意思に関係無く旅館まで来れちゃうなんて……。
「そんな訳で夢路さん、旅館えるぷりやへの帰還おめでとうございます!」
「……うん、ありがとう!」
「従業員となった事でもう夢路さんにペナルティは無くなりました。後はこれを使う事で自由に行き来する事ができますよ」
そう戸惑っていた僕をエルプリヤさんが引き上げる。
そしてさらには、何やらワッペンのような物を渡してくれて。
「えるぷりやの従業員章です。どうか移動時は片時も手放さないようお願いしますね」
「はい、わかりました女将さん!」
「ふふっ! でも普段はいつも通りでいいですよ。ゆ、夢、さん」
「あ……」
それどころか、僕を愛称呼びしてくれるなんて!
じゃ、じゃあ僕も愛称で呼んだ方がいいのだろうか?
「うん。わかったよ、じゃあ僕は……エル、さん?」
「私はエルプリヤのままでお願いします」
「あ、はい、そうですか」
しかし世界はまだまだ世知辛かった。
まぁきっと名前に意味があるんだろうからね、仕方ないね。
「ゆめじーーーっ!」
「夢路様ぁ~~~!」
「うじゅじゅ!」
「あ、皆!?」
そうガッカリしていた時、こんな声と共に皆が走ってやってきた。
彼女達だけじゃない、他の従業員達も。
皆が僕を出迎えてくれたんだ……こんなに嬉しい事はないよ!
「皆、ほんと懐かしい……! 元気だった!?」
「「「もちろん!」」」
「本当に良かった……あれ?」
でもそんな時ふと、とある存在がいた事に気付く。
小さな角と黒い鱗を備えた小さな子の着物姿が。
そうだ、あの子はあの雪の中で僕達が助けた子だ。
まさか旅館に残る事を選んだのか!?
「彼女の名はフェロ。あのあと色々とありまして、結局ウチが引き取る事になったんです。もちろん彼女の意思に任せたので安心してください」
「ボク聞いたヨ。あなたが見つけてくれたから助かったんだっテ。だからずっと待っていたんダ!」
「そうか、そうなんだね……ありがとう、待っててくれて」
「ウン!」
それにしても元気そうでなによりだ。
なんだか明るそうだし、ピーニャさんと背丈が似ているし。
というか二人は今すでに友達みたいに仲良さそうだし、いい感じじゃないか。
そうかぁ、こんなに変わっていたんだな、この旅館。
「でも今はボクが先輩だヨ! だからちゃんと僕の指示は聞かなきゃダメ!」
「そうなんです、彼女も実は良い適正を持っていまして。ですので先に雇ってみました!」
「そっかぁ……じゃあよろしくね、フェロ先輩!」
そんな旅館に僕は帰ってきた。
従業員としての再出発という形で。
まだまだ何をしたらいいかもわからない。
いつか担当者として仕事をする日が来るかもしれない。
けどもう不安なんて無いさ、この旅館でならね。
「「「(せーの)ようこそ秋月夢路! 私達の家、異世界旅館えるぷりやへ!」」」
むしろ何をさせてくれるのかって、楽しみでしょうがないんだから!
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