第21話 疲れきった僕に最上の癒し人を

 あれからまた一ヵ月が過ぎた。

 旅館での出来事もすでに懐かしく、思い出すとついふけってしまう。

 嫌な事もあったけれど、それでも良い事の方がずっと思い出深かったから。


 でもそんな思い出が逆に僕の心をやたらと強く引っ張っている。


 無性にあの旅館へ行きたくてたまらなくなっているんだ。

 エルプリヤさんやピーニャさん、あわよくばレミフィさんやアリムさんにも会いたいなぁって。

 もちろんゼーナルフさんにもロドンゲさんにもね。


 そんな想いのせいで最近は溜息が止まらない。

 おかげで同僚から「もしかしてお前、失恋した?」なんて言われてしまった。

 仕事の能率も格段に落ちているし、もしかしたら的を得ているのかもね。

 僕は知らず内に旅館えるぷりやに依存していたのかもしれないって。


 そして今日、僕はそのせいで大失敗をやらかした。


 会社にとって見逃せないほどの損失を出してしまったのだ。

 顧客との連携をしくじり、約束の期日までに商品を納入できなくて。

 僕がうっかりぼーっとして、期日設定をしくじってしまっていたのである。


 おまけに発覚直後には部長から二時間の説教をくらって散々だ。

 リカバーのためにすぐ動きたかったのに、そのせいで更に初動対応が遅れてしまったし。

 代わりの対応をしていた同僚にこっそり聞くと、顧客も「早く僕にも対応して欲しい」って訴えていたみたいだ。

 なのにそうさせてもらえなかったのがとても理不尽だと思う。


 ――という訳で今はそのすべてをやり切り、帰路に就いている。

 電車に揺られながら、今日の失敗を後悔しつつ。


「はぁ……旅館の皆にまた会いたい。でも明日も忙しいだろうし、依存し過ぎるのも良くないよね」


 そしてまた溜息を洩らし、開いた扉から一歩を踏み出す。

 ガックリと首と肩を落としたままに。


 するとそんな僕の頭に、ぽむりとした柔らかな感触が伝わる。


「あら夢路さん、そんなに気を落とされてどうなされたのですか?」

「えっ?」


 それで咄嗟に頭を上げて見れば、すぐ目の前にエルプリヤさんの姿が!

 どうやら僕はまた無意識に旅館へと来てしまったらしい。


「あ、ど、どうもエルプリヤさん、お久しぶりです」

「はい、お久しぶりです夢路さんっ!」


 きっと心が本当に追い詰められたからなのだろう。

 それで心の奥底で訴えていたのかもしれない。「もう限界だ」って。

 だからかな、今日はエルプリヤさんの素顔はこのままずっと見ていたいって思えるくらいにずっと眩しい。


 ……とはいえ、泊まるかどうかと言えば少し悩ましいけど。

 金銭的には問題無くても、時間的余裕が無さそうだし。


「でもすいませんエルプリヤさん、実は明日も仕事があって。それも早急に片付けなければいけないのでゆっくりもしていられないんです」

「あら……」


 いっそ温泉だけ浸かっていくのもありかもしれないけどね。

 でもそれを楽しめるほどの気持ち的余裕は今の僕には無いと思う。


 だからせめて今の問題を片づけてから改めて訪れよう。


「でも、ダメです」

「へっ……?」

「夢路さんの顔に書いてあります。今すぐ癒して欲しいって」


 そう思っていたのだけど、逆にエルプリヤさんに袖を掴まれてしまった。

 それにこうも言われて、つい自分の顔を手探りしてしまったし。疲れてるのかな。


「ここに来られたという意味を考えれば、おのずと理解もできましょう。夢路さんはきっと相応に追い詰められ、心が弱っているのだと思います。だから旅館がその想いと干渉し、ここへ来る事ができたのでしょう」

「そうなのか……ううん、きっとそうなんだろうね」

「私どもには夢路さんの悩みはわかりません。しかしきっと助けにはなると思います。それがこの旅館えるぷりやの本来の役目ですから」


 確かに、こう断っておいておきながらも後悔が沸々と湧いていた。

 少しでも癒されたいって思えてならなかった。

 依存してはいけないってわかっていてもね。


 ならもういっそ、今だけは言葉に甘えようと思う。

 せめて今日叱られて追い込まれた分だけでもいいから。


「……わかりました。ならまたピーニャさんを指名してもいいですか?」

「あ、実はピーニャさんは……ええーっと、今とても忙しくてですね」

「ならロドンゲさんとか?」

「す、すみません! ロドンゲさんも今ちょっと手が離せなくて!」

「……そ、そう」


 けど会いたい人はいない。

 ずっと思い悩んでいた事が叶わない。


 そうも思うと、自然と僕はとんでもない事を口走っていた。


「なら僕は、エルプリヤさんを指名したい」

「えっ……」


 疲れていて、考える事もおっくうだった。

 だからただ思うがまま、願うままにこう出してしまったのだ。

 寸後には「あ……」って自分で唖然となってしまうくらいに恥ずかしい。


 するとエルプリヤさんは頬を赤らめ、顔を逸らしていて。

 ほんのわずかに開いた桃色の唇も何か言いたそうに小刻みに震えていた。


「その、申し訳ありません……私は指名できないのです」

「うん、ごめん。困らせちゃったかな」

「い、いえ、でも嬉しいです」

「えっ?」

「あ、言葉を間違えました! 頼ってくれて嬉しいなぁ~なんて! あははー」

「そ、そう」


 とはいえそう上手くもいかないらしい。

 となると知り合いは全滅、この調子だと客側の友達もいなさそうだ。


「ですがご安心を。今の夢路さんにぴったりの従業員がおられますので、その方を手配いたします。どうか存分に癒されてください」

「今の僕にぴったり、か。どんな人なんだろう?」


 エルプリヤさんが自信満々だから心配はいらないのだろうけどね。

 ロドンゲさんの時も容姿が問題だっただけで、サービス自体は最高だったし。

 きっと今回も信頼していいのだと思う。


 案の定、対応からして早かった。

 ものの数分後にはもう、奥から一人の人物が姿を現したのだから。


「セラピングがお得意の、メーリェさんです」

「メーリェですぅ~。よろしくぅおねがいいたしますねぇ~」


 それはとてもふくよかな女性だった。

 レミフィさんよりもずっと肉付きが良くて、しかし背は僕ほどくらいか。

 体格までは着物でわからないけど、口調からしてふんわりしていそう。

 顔の輪郭も丸めで、ゆるりとした半目の笑顔がとても優しいし可愛い。

 カールの掛かった桃色の髪からは黄色のうねり角らしきものも伸びていて、雰囲気はなんとなく羊とかを連想させてくれるかのようだ。


 そんな綺麗な女性が僕にそっと手を差し出して誘ってくる。

 まるで本当に女の子と遊ぶお店のような感じで。

 それだけ寄せた笑顔が艶やかで、ドキっとしてしまうくらいに色っぽかったんだ。


 だから少し怖さもある。

 だけど癒しを求める心がたまらず僕の腕を伸ばさせた。


「あらぁ……なるほどねぇ、うっふふふっ」


 ただ手に触れた途端、こんな意味深な言葉が返ってきて。


「え? なんです?」

「ううん~こっちの話ぃ~」

「そ、そうですか……あっ」


 でも訳を問いただす間も無く、彼女は僕の手を掴んで引いていた。

 思わず土足のままで通路へ上がってしまうくらい急に。

 それでつい、勢いのままメーリェさんの豊満な胸の中へと飛び込む事に。


 う、嬉しいけど人前でこれはーっ!?


 さすがに引かれるかなと思ったけど、エルプリヤさんはむしろクスクスと笑って僕を見送ってくれていた。

 メーリェさんも何も言わずうっとりした笑顔のままだし、も、問題無いのだろうか?


 それからはいつも通りの道を通り、客室へと向かう。

 メーリェさんの歩き方は気品を感じさせるすり足で、エルプリヤさんを彷彿とさせてくれた。

 やっぱりこの旅館の従業員さんは基本的に皆こう丁寧なのだろうね。ピーニャさんやロドンゲさんのような人が特殊なだけで。


 そう思いつつ、角を曲がった時だった。


 ふと、視界の先に見知った姿が見える。

 触手だらけの肉塊――あれは間違い無い、ロドンゲさんだ。


「あ、ロドンゲさん!」

「うじゅ?」


 僕に気付いた途端に黄色へと変わったし、間違い無くあの人だろう。

 良かった、会えないかと思っていたけど幸運にも再会できたぞ。


 それでロドンゲさんも触手を振りながら僕へ振り向いてくれた――のだけど。


 振り向いた肉塊の真ん中に、なんかピーニャさんの頭があった。

 それも絶望的な表情のまま白目を剥いているとか。


「ピーニャちゃんねぇ、おいたしすぎてぇ、ロドンゲさんに捕食されちゃったのぉ~」

「捕食!? 捕獲とか捕捉じゃなくて!? 大丈夫なのそれ!?」

「うん~。でもぉ、あと数日くらいはぁお仕置きが続くからあのままかなぁ~」

「あの中で一体何が起きているのか想像もつかない……!」


 迷宮ストアから一ヵ月で脱出できたのは良い事だけど、さらなる災難が待ち受けているとは思わなかっただろうなぁ。

 ま、自業自得だから仕方ないんだけどね……。


 ロドンゲさんは仕事があるからか、そのまま触手を振って去っていってしまった。

 なので僕は担当のお客さんがピーニャさんの顔を見て驚かない事を祈りつつ、先に進むメーリェさんの後を付いていったのだった。

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