第38話 バレンタインデー

 放課後。

 いつもならシノは誰かに引っ張られて行くのだが、生徒会長の座を譲ってからはその回数も減ってきた。周りが受験勉強に忙しくなってきたのもある。


 ということで、最近はシノと下校することが多い。下駄箱に行くと、シノのところにはたくさんのバレンタインチョコが。男からも女からも、それはそれは大量だった。手作りも高級チョコもどちらもあった。

「流石だねー」

 下駄箱に突っ込まれたそれはもう溢れんばかりだった。もう既にシノの手提げはチョコで一杯で、今日だけでも何回も告白されたことがわかる。


「そんなことはないですよ。みなさんが優しいのと、私は知名度があるだけですから。それ以上でもそれ以下でもない」

「やっぱりドライだね……一つくらい告白、受けても良かったんじゃない?」


 以前も話をしたことだ。シノは誰からの告白も受けないことで有名だった。だから我こそは! なんて告白する輩が絶えないのだ。適当によさげな人と付き合えば、告白は減るだろうに。


「そんな適当な理由じゃ、相手に失礼ですよ。それに……私は、」

 そこでシノは一回言葉を区切った。ちらと周囲を見遣った。他にも下校している生徒がちらほらといる。

「……ここでは何ですし、場所を変えて話をしませんか。そうですね……この後予定がなければ私の家に来ませんか」

 そっと微笑むシノ。

 シノは、ずっと前に自分が呟いたことを覚えていたのかもしれない。ヨウの家に招いたとき、シノがいつか私の家にもお呼びしたいですねって言っていたことを。


「いいの? じゃあ、遠慮なく」

 お茶菓子とか持っていく方がいいのだろうかと思ったけれど、お茶菓子の買えるお店はシノの家までの道にはなかった。結局そのままお邪魔させてもらうことになった。


 歩いていて思った。シノとヨウの家は学校を挟んで逆側にあった。ヨウがあまり行かない場所でもあった。しかし、知らない方面に向かっているはずなのに周囲が見慣れた風景だった。

 ――そう、深夜のアルバイトの近くだ。もう来ることはないと思っていたのに。


 少し緊張が走ったがそれもすぐに吹き飛んだ。


「こちらが、私の家です」


 ありえないほどの豪邸がそこにはあった。多分、ヨウのアパートが丸々一つ入ってしまうくらいの広い土地。庭には芝生が敷かれていて、植物はどれも整えられていた。それから聳え立つお洒落な邸宅。


「これが豪邸……シノはやっぱりすごいね」

「私の親が買った家なので、私はすごくないんですけどね」


 ドアを開けて中に入る。そこには執事のおじ様がいて、「お帰りなさいませ、お嬢様」みたいな出迎えられ方をするのだろう。

 なんてものは幻想、妄想だった。ドアを開けても中には誰もいなかった。


 そのヨウの思考を読み取ったのかシノは苦笑した。

「ふふっ、ヨウ。今日は人払いをしているんです。少し親が忙しくしていて。だから、ヨウをお呼びするのに至適かと思いまして」


 なるほど、なんて相槌を打ちながら、視線は壁に飾ってある絵画やら高そうな絨毯に目移りするのに忙しくてあまり話が頭に入っていなかった。美術館見たいな内装にヨウはひたすら驚いていたのだ。

 玄関だけでヨウの家が一つはいってしまうほどの大きさだった。


 ♢


「ここが、私の部屋です」

 思ったよりもシノの部屋は質素だった。ひらひらのレースの天蓋だとか、ピンクを基調とした高そうな雑貨が置いてありそうだったけれど、高級そうではあるがシックなベッドに飾り気のない勉強机、本が敷き詰められた本棚。埃一つ落ちていないくらい整頓されていた。

 シノの内面を表しているのではあるまいか、なんて妙に納得した。


「荷物は適当なところにおいてくださいね。本当に、どこでもいいので。取り敢えずくつろいでください」

 そこでシノは不意に笑った。

「ふふ、自分の部屋にヨウがいるなんて、なんだか慣れませんね。これでも人を私室にまでお呼びするのは初めてなもので」


「ヨウも前、同じこと思った。なんか不思議な感じだよね」

「ええ。でも初めて呼んだのがヨウで良かったと思いますよ」

 そう言い捨ててシノは徐に手提げを掴んだ。件の、バレンタインチョコが一杯に詰まった手提げ。

 

「ヒュー、人気者だねー」

 シノの顔があまり明るくなかったので茶化してみせる。シノは笑った。

「ええ、困ってしまいます」

 心底困っているような顔だった。一つ目のチョコに手を伸ばし、封を切った。


 甘ったるいチョコレートの香りが部屋に広がった。

「それ、高級チョコじゃん。すごいやつ。食べきれなかったらヨウに頂戴よ」

「ふふ、ダメです」

 悪戯っぽい笑みでシノは答える。


 それからシノは一つ一つ封を開け、何が入っているか確認している様子だった。手紙が入っていたらそれを読んでいた。でも、チョコに一切口はつけなかった。ただ誰からのチョコがどんなので、手紙に何が書いてあったかを暗記しているようだった。


「やっと終わりました……」

「お疲れさまー。それ、どうするの」

 シノは清々しい表情で言った。


「捨てます」

 

 ごめんなさい。

 ちっともそう思っていない表情でシノはチョコレートたちをゴミ箱に捨てた。ドサドサと重いような軽いような音を立ててチョコレートたちはゴミ箱の底へ沈んだ。最後に、蓋が閉じられる。もう彼らが日の光を見ることはないのだろう。


 ヨウが唖然として見ているのに気が付いたのだろう。

「少し言い訳をさせてください。私だって、無碍にしたくはないんです。だから、全てお手紙だって読みましたし、どのチョコが誰からかも覚えました。でも食べられないんです」


 本気で困っているような表情。あるいは恐れているような表情。でもね、とシノは続ける。

「以前、毒を盛られたことがあって。学校の知人からではないんですけれど、やっぱり苦しくて。それ以来貰い物が怖くなってしまったんです」

「毒……?」

 シノに一番似つかわしくないなと思った。立ち回りの上手な彼女は、人に好かれこそすれ恨まれるいわれはないはずだ。


「ふふっ、そんな心配そうな顔をしなくても大丈夫ですよ。実家があまりよろしくないので、それに巻き込まれたという形ですね。でも、やっぱり人からもらったものに口をつけるのは少し抵抗があって……」


 ――ヨウの薬は抵抗なく飲めたのに。多分、バレンタインチョコより数倍怪しいやつを。


 なんて言わない。あまりにも子供じみている。でも少し嬉しかったのは事実だ。シノは思っていたよりもヨウのことを信頼してくれているのかもしれなかった。


「そっか。人気者も大変なんだね」

「ええ。人に殺されるのだけは嫌ですね。もし死ぬのなら自分から死にたい」

 物騒な発言に些かぎょっとするが、ヨウはおくびにも出さないようにする。それがシノにとって必要な反応だと思ったから。


「そうだね。でも、ヨウはシノに長生きしてほしいよ。そうやって努力している分、幸せに長生きしてほしい」

 シノは泣くように笑った。

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