卒業式

第40話 卒業式での回想

 今日は卒業式。桜が舞えばムードも出たのだろうが、実際はそんなことはない。ただ風がそよそよと吹いて、ヨウたちの髪の毛を優しく弄んでいった。


 二人のいる渡り廊下には、他に人の気配なんてない。どこか遠くから喧騒が聞こえてくるのみで、ただ静まり返っている。輪郭のない柔らかな日差しがヨウたちを包んでいた。



「ねえ、ヨウ」

 いつもに増して美しいシノの可憐な唇から言葉が紡がれる。鈴のような透き通った声が静謐な空間に響き渡った。


「これで卒業ですね。長かったような短かったような。何だかわからない感情に襲われています。……ふふっ、今日でが終わるなんて、なんだかあっけない」


「へえー、を知っていたシノもそう感じるんだ。まあ、そういう約束だったからね」

 にこにこと笑みを浮かべて答えてみせる。シノも満面の笑みだった。お互いこの場を愉しんでいた。その裏に潜む哀しみに蓋をするように。


「だって、この一年は全部ヨウが仕組んだことだったんだから。ただ魔法をかけただけ。でもどんな魔法にも期限があるもんね。ヨウの魔法も一年間でおしまい。シンデレラの魔法も深夜零時には解けちゃうんから」


「ふふっ、ヨウらしいですね。全く意味がわからない」

 笑顔で否定するシノは存外毒舌だ。これもこの一年で知ったことだ。

「記憶をいじったせいで頭までおかしくなったんですか? しっかりしてくださいよ」

 思わず笑ってしまう。シノは今日も今日とてシノだった。それに安心したのかもしれない。


「あはは、面白いことを言うね、シノ。頭がおかしいから自分に魔法をかけたんだよ。忘却の魔法をね。忘却はプレゼントなんだから」

 そう、忘却はプレゼント。これは揺るがない。


「あら、魔法を誰よりも信じていなかったヨウが言うと真実味がありますね」

「よくわかってるじゃん、シノ。この世界に魔法なんて存在しないからね。全ては科学で解明できるんだよ」


「流石ヨウ、矛盾していますね。では、そのヨウがかけた魔法とやらを解いていきましょうか。卒業式の日に答え合わせをする、そういう約束だったでしょう?」


 もう記憶云々に慌てたりだなんてみっともない真似はしない。一年という期間はヨウに全てを受け入れる準備を十二分にさせてくれた。もう大丈夫。

「うん、そうだねー」


 ――でも、その前に。

 シノは囁くように問う。どこか甘ったるい響きのある少女の声はヨウの耳をさらりと撫でてゆく。


「ヨウは愉しかったですか?」


 そう言って一際美しい笑みを浮かべる。そこに非難の色もなければ称賛の色もない。シノの瞳からも感情を読むことはできなかった。そこにあるのは、つくりものめいた完璧な笑みのみ。


「あは、面白いことを訊くね、シノ」

 美少女の精巧な笑みにもヨウは少しも動揺しない。そんなことで動揺するくらいなら、今ここにはいないのだ。


「愉しかったに決まってるじゃん。シノは?」

「勿論、今までで一番愉しかったですよ。少なくとも羽目を外してしまうくらいには」


 ふふふ。あはは。二人で愉しく笑う。嗤う。わらう。


「――じゃあ、答え合わせをしようか、シノ。魔法が解ける時が来たんだよ」

 そのために一年間を共に過ごしたんだから。濃密な一年間を、二人で。魔法を解く薬がさらさらと音を立てる。これを飲んだら全ての記憶が帰ってくる。

 

 風が通り過ぎて行く。もう帰ってこない。まるでこの一年間みたいだ。


 その先に残ったものはなんだろう。

 ――多分、それは記憶とか思い出。



 ♢


 今こそ薬を飲む時だ。魔法が解ける時。指先から伝わる薬包紙の重さが記憶の重さ。

 そんな訳はない。記憶とは概念であり、実体も重さもあるはずがない。これはただの比喩だ。


「ねえ、シノ。……過去のヨウが忘れた記憶って、忘れておいた方がいい記憶なのかな」

 シノは苦笑を浮かべた。でも一抹の慈愛が含まれていて、それにヨウは安心したのだ。


「大丈夫ですよ、ヨウ。過去のヨウは、心の奥底ではその記憶を忘れたくないと思ったのでしょう。だから完全に記憶を抹消するのではなく、時間制限のある魔法という形で残したんだと思いますよ」


 やっぱりシノは欲しい言葉をくれる。いつだってそうだった。この一年はシノに救われてばかりだ。ヨウもシノを少しは救えたのだろうか。

「そうだね。ありがとう」


 感謝を述べて、薬を一息に飲み干す。それが毒なんて一ミリも思わなかった。過去の自分が創った薬。それが毒なら、もうとっくにヨウは死んでいる。

 シノが毒を盛る可能性は無きにしも非ずだったが、シノを信じられなければこの世界の何者も信じられない。だって、シノもヨウを信じてくれていたから。


 それに、ここで死んでも別に構わない。

 それくらい未練も後悔もなかった。……これは少し嘘。シノという面白い人間の行く末を見届けられないのは少しだけ勿体ないと思った。

 

 ――薬が、異様に甘い。これは……多分ただの砂糖。修学旅行の出来事が思い出された。そうだ、創った人間だからわかる。これは紛うことなき偽薬魔法を解く薬だ。


 そう、自分は解毒剤という名の魔法を解く薬を飲んだ。だから、全ての記憶を思い出す。思い出してもいいんだ。だって、今はシノがいるから。


 封印された記憶が蘇る。

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