忘却を夢見た天才少女の話

淡青海月

第0話 卒業式

 今日は中学の卒業式。桜が舞えばムードも出たのだろうが、実際はそんなことはない。ただ風がそよそよと吹いて、二人の少女の髪の毛を優しく弄んでいった。


 二人のいる渡り廊下には、他に人の気配なんてない。どこか遠くから喧騒が聞こえてくるのみで、ただ静まり返っている。輪郭のない柔らかな日差しが彼女らを包んでいた。



「ねえ、ヨウ」

 類まれなる美少女シノの可憐な唇から言葉が紡がれる。鈴のような透き通った声が静謐な空間に響き渡った。


「これで卒業ですね。長かったような短かったような。何だかわからない感情に襲われています。……ふふっ、今日でが終わるなんて、なんだかあっけない」


 それに応えるようにどこか間延びした声が響き渡る。天才少女ヨウの声だ。


「へえー、を知っていたシノもそう感じるんだ。まあ、そういう約束だったからね」


 ヨウは感情の読めない曖昧な笑みを浮かべる。その瞳に映るのは過度な好奇心。どこか狂気的にも見える。


「だって、この一年は全部ヨウが仕組んだことだったんだから。ただ魔法をかけただけ。でもどんな魔法にも期限があるもんね。ヨウの魔法も一年間でおしまい。シンデレラの魔法も深夜零時には解けちゃうんから」


「ふふっ、ヨウらしいですね。全く意味がわからない」

 笑顔で否定するシノは存外毒舌だ。

「記憶をいじったせいで頭までおかしくなったんですか? しっかりしてくださいよ」


 そのシノの言葉に一切気分を害した風もなくヨウは笑う。

「あはは、面白いことを言うね、シノ。頭がおかしいから自分に魔法をかけたんだよ。忘却の魔法をね。忘却はプレゼントなんだから」


「あら、魔法を誰よりも信じていなかったヨウが言うと真実味がありますね」


「よくわかってるじゃん、シノ。この世界に魔法なんて存在しないからね。全ては科学で解明できるんだよ」


 二人とも満面の笑みなのが、どこまでも異常だ。もし第三者がいたら疾うに立ち去っていただろう。ここは危険だ。でも同時にどこまでも安全でもあった。


「流石ヨウ、矛盾していますね。では、そのヨウがかけた魔法とやらを解いていきましょうか。卒業式の日に答え合わせをする、そういう約束だったでしょう?」

「うん、そうだねー」


 ――でも、その前に。


 シノは囁くように問う。どこか甘ったるい響きのある少女の声はヨウの耳をさらりと撫でてゆく。


「ヨウは愉しかったですか?」


 そう言って一際美しい笑みを浮かべる。そこに非難の色もなければ称賛の色もない。シノの瞳からも感情を読むことはできなかった。そこにあるのは、つくりものめいた完璧な笑みのみ。


「あは、面白いことを訊くね、シノ」


 美少女の精巧な笑みにもヨウは少しも動揺しない。そんなことで動揺するくらいなら、今ここにはいないのだ。


「愉しかったに決まってるじゃん。シノは?」

「勿論、今までで一番愉しかったですよ。少なくとも羽目を外してしまうくらいには」


 ふふふ。あはは。二人で愉しそうに笑う。嗤う。わらう。


「――じゃあ、答え合わせをしようか、シノ。魔法が解ける時が来たんだよ」

 そのために一年間を共に過ごしたんだから。濃密な一年間を、二人で。


 魔法を解く薬のがさらさらと音を立てる。これを飲んだら全ての記憶が帰ってくるのだ。

 

 風が通り過ぎて行く。もう帰ってこない。まるでこの一年間みたいだ。


 その先に残ったものはなんだろう。

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