第2話 賢いヒロイン登場


 動く者のいないスナック。その凄惨な現場を見て、ベテラン捜査官達も顔色を変えた。気の弱そうな新入り婦警は、鮮血でじっとりと湿っている絨毯の上の遺体を見た瞬間に、口元を抑えて廊下に飛び出す。

 その遺体を屈み込んで観察する、二十代の女性がいた。薄い灰色の修道服に黒いブーツ。金髪碧瞳の彼女は、喰い千切られた遺体の欠損部分をマジマジと見つめている。


「どうです? シスター・ユリア」


  顔色一つ変えずに冷静な調査を進める美女に、鼻白むベテランは肩を竦めた。

「恐らく一連の事件と同じ内容でしょう。店内に防犯カメラ等はありますか?」

 振り返った彼女は、流暢な日本語で答える。

「残念ながらありません。経費節減もあるのでしょうが、この店は怪しげな取引なども行う場所のようで。映像記録を残したくないのでしょう」

「加害者の遺留品などは見つかりましたか?」

「この現状では、ちょっと判別に時間が掛かりそうです。何か分かりましたら、ご連絡をさせていただきますが」

「宜しくお願い致します」


 彼女は消毒液入りのウエットティッシュで、丹念に指先を拭取ると店の出口に向かった。ふと、何かに気が付いたように振り返る。

「それから、遺体は早急に火葬する事をお勧めします。調査員の方も調査後は直ぐにシャワーを浴びて、血や汚れを落としてください。……念の為ですが」

 それだけ言うと、静かに店を出て行った。入れ違いに廊下で吐いていた新人がフラフラと店に戻ってくる。

「愛ちゃん、大丈夫かい?」

「もう、吐く物は無いんで平気です。それより先ほどのシスターは何者なんです? こんな生き地獄みたいな現場で顔色一つ変えずに、仕事するなんて普通じゃないですよ」


 愛ちゃんと呼ばれた新人は、負け惜しみのセリフを口にする。そうである事は分かっても、ベテランは彼女を責めない。こんな現場で冷静でいられることは、普通ではない事が分かっているからだ。


「彼女はバチカン市国の怪異調査員です。今回の様な異常な事件で、オブザーバーとして助言をくれる事があるんですよ。私らと違う何かを調べているようで、上からも絶対に揉めない様に、厳命されてましてねぇ」

「バチカン市国って、ICPOインターポールに所属してましたっけ? 何で警察組織に入り込めるんですか」

 新人の質問に、ベテランは肩を竦めて答える。

「さてね。身分は警察官ではなく、文化調査員になってますし、ICPOは無関係でしょう。ただし彼女は優秀ですよ。日本語の他に英語やイタリア語などにも堪能だし、頭の回転もすこぶる速い」

「まだ二十代前半の美人さんなのに凄いですねぇ。私とは出来が違うんでしょうね」

「私らの積み重ねてきた経験だって、彼女の知識には敵わないでしょうね。本当に優秀で賢い人間ってのは、性別や年齢とは無関係みたいですよ」


 さて、仕事だとベテランは遺体に向き合う。新人も死にそうな顔をしながら、作業に加わっていった。



 シスター・ユリアは殺人者の僅かな形跡を辿って、鶯谷のラブホテル街を歩いていた。形跡とは常人では分からない、血の匂いや雰囲気の様なものである。だが、それも徐々に薄くなり始めていた。

 深夜二時の夜空には、満月が輝いていた。流石に、この時間になれば辺りも人気が途絶え静かになる。シスターはラブホテル街の真ん中にある公園で立ち止まった。

 殺人者の気配を探るべく、目を軽く閉じて立ち留まる。彼女の身体から、目に見えない糸のような気配が伸び始めた。しばらくすると美しい眉が顰められる。何かを感じたらしい。


「馬鹿野郎〜!」


 どこからともなく怒鳴り声が聞こえてきた。しかし公園にはユリア以外、誰もいない。彼女は首を傾げた後、二歩ほど後ろに移動した。


 バキバキバキッ!


 公園に植林されたケヤキの大木の枝を折りながら、今まで彼女が立っていた所にトレンチコートの大男が落ちてきた。

 大男は公園の芝生でワンバウンドすると、近くにあった滑り台に派手な音をたてて激突する。ユリアは顔色ひとつ変えずに、右手を前に出した。大男から遅れて数秒後、彼女の手にヒラヒラと中折れ帽が着陸する。


「うっ…… カメラ、カメラは無事か?」

 大男は地面を這いずり回り、何かを探し始めた。男の体格は飛び抜けて良い。百六十五センチのユリアより、二十センチは高かった。オールバックにした髪の下には、筋肉質な高田純次のような顔が付いている。


「ごめーん、礼。大丈夫?」


 公園の入り口から、十五、六歳に見える美少女が走ってきた。ユリアより少し背が低い。長い黒髪は複雑に編み込まれていて、異国的な雰囲気があった。

「あ、お姉さんも怪我は無いですか?」

 パッチリと大きな瞳をシスターに向ける。彼女に長時間見つめられていたら、同性でもドキドキしてしまうに違いない。だがユリアは美少女を平然と観察していた。


「お前達、何者だ?」


 全く動じてないユリア。何か調子が狂ったように、美少女が小首を傾げる。それから思い出したように大男に向かって歩き始めた。

「礼、大丈夫?」

「マロウが手を放すからいけないんだろう! カメラはどこだ?」

「え! 帽子に仕込んでおいた小型カメラを無くしちゃったの? あれ高かったんでしょう」

「高いと言えば高いが、これに比べれば……」

 礼と呼ばれた大男は、ボロボロになったスーツを見降ろしてため息を付いた。


「折角アメ横で買った、本物のブルックスブラザーズが台無しだ」

「平気平気。どうせ偽物だよ」

「これは本物だ! 店の親父の太鼓判付きなんだから」

「礼は直ぐ騙されるからなぁ…… 幾らだったの?」

「聞いて驚け。上下で二万円だ」

 礼は大いに胸を張った。マロウと呼ばれた美少女は、目敏く彼のスーツの裏地を眺めて肩を竦めた。

「タグがBrook Brotherになってる。sが抜けてるよ、偽物だ」

「クソ親父が! 今度見かけたら覚えとけよ」


「小型カメラというのは、これの事か?」

 二人の茶番に付き合っていられなくなった、ユリアが口を挟んだ。帽子の中心部に目立たない位の穴が開いている。恐らくここにレンズが組み込まれているのだろう。

両手を上げて、美少女が帽子を受け取ろうとする。しかしユリアが手を引いた。


「お前達、何者だ?」


 全く声のトーンが変わらない。クールなのも、ここまでくると気味が悪い。マロウは口をパクパクさせてから、肩を落とした。

「僕達はケチな私立探偵です。今は浮気の調査中で、カメラには証拠画像が入っている筈なんですけど、返してもらって良いですか?」

 せめて印象を良くしようというのだろう。『ボクっ娘』の美少女は営業用の素晴らしい微笑みを浮かべて、小首を傾げた。感情が読めない顔つきのシスターは、首を振る。


「そんな事を聞いているのではない。人外じんがいの者達が、どうしてここに居るのかを訊ねているんだ」

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