6.きみの名前は
それからあとは、なにをしていたか覚えていない。
いつの間にかクラースは帰っていた。食事に手をつけていないところを見ると、なにも食べずにそのまま寝てしまったのだろう。
気が付くと朝になっていて、おれはのろのろと起き上がり、ふと顔を上げたら見知らぬ美少女がいた。
そして、今に至るわけだけど……。
「アサギは、運命を信じていないの?」
顔色ひとつ変えずに、女の子は首を傾げた。
さっきの会話の続きだとすぐに気付いた。
――運命なんてコトバ、もううんざりだ!
たしかにおれは、そう彼女に言い放ったんだ。
「おれだって昨日までは信じていたよ。でも、もう運命なんて信じられない」
そうだ。もう信じるものか。
自分の力ではどうしようもない今の状況で、どうやってがんばればいいっていうんだ。
味方は誰もいない。周りは敵だらけ。おれが逃げようとすれば、すぐに捕まえるに決まってる。
「大丈夫だよ、アサギ」
女の子はきんいろの両目を和ませて、近づいてきた。
一歩、また一歩と足を踏みだす。そして彼女は、おれの前までくるとしゃがみ込んだ。
「他の誰がキミの敵でも、ボクだけは味方だよ。あきらめないで。あきらめてしまうと、このままキミの運命は定まってしまう」
「口にするのは簡単だよな」
どうしろって言うんだ、この子は。
城の中には大人の兵士と、城を守るキメラ。そして海に囲まれた魔力を打ち消す結界が張られた島。
どうやったって逃げられっこないというのに。
「人には運命をつかみ取る権利がある。キミにしかできないことなんだよ、アサギ」
記憶に新しい言葉だった。
どこかで最近、似たようなことを聞いた。
ジェパーグだ。さらわれる直前、シルが言っていたことだ。
「そしてボクなら、キミがつかみ取った運命を切り開く手伝いをすることができる」
「きみは、一体……」
誰なんだ。
ううん、違う。何者なんだ、と聞いた方が正しいのかもしれない。
おれの口から問いかけるよりも早く、藍色の髪の少女はにっこりと花が咲いたように微笑んだ。
「そう、ボクは人族じゃない」
小さな手がおれの手に触れた。
直後、驚きで目を見開いて、女の子の顔を見つめる。
だって、彼女の手のひらは、父さんや母さんと違ってあたたかくなかったんだ。
「ボクは精霊クルゥーメル。キミに会うために、ここでずっと待っていたんだよ」
「せ、いれい……?」
たどたどしいおれのおうむ返しに、可憐な少女は頷いた。
「そして今、こうしてキミとボクは出会った。ボクはキミのために力になる」
両手に包んだおれの手を握って、そのまま彼女は立ち上がった。続けて、ぐいっと引っ張られる。
クルゥーメルはそうやって、おれを立ち上がらせてくれた。
ひとの姿をしていて、ひとと同じように言葉を流暢に話す精霊。
前に本で読んだことがある。彼女は、滅多なことでは姿を見かけることさえない、中位精霊だ。
「そのために、アサギ。キミにして欲しいことがあるんだ」
「何?」
そっと、彼女はおれの手を離した。それから可憐な少女の姿をしたクルゥーメルはにかんだ笑みを浮かべた。
「ボクに名前をつけて」
たぶん、照れているんだと思う。
彼女の白い頬がうっすらと、朱く染まっていた。見上げるきんいろの両目は期待に満ちていて、おれにまっすぐ向けている。
「名前?」
「そ。ボクたち精霊には名前がないんだ。だから、キミがつけてよ。ボクは今までキミが考えた名前をもらえる日を心待ちにしていたの」
精霊に名前をつける、だなんて。
そんな話、今まで聞いたことがない。たしかに今まで接してきた下位精霊達には名前なんてなくて、そのまま火トカゲとかシルフって呼んでいた。それに、精霊の方から名前を要求されたのは初めてだった。
「どうして、おれなの?」
「だって、アサギがボクの運命のひとだから」
また、それか。精霊のくせに運命、運命って……。なんだか不思議な子だ。
「と、急に言われてもな」
名前は大事なものだ。よく考えてつけなければならない。それはその人のことを表すコトバになるんだし。
「いくらでも待つよ。だからアサギ、ボクに名前をつけて」
「分かったよ。そうだなあ」
幸い時間はたっぷりある。
おれは改めてベッドに腰を下ろして、うんうん唸りながら考えた。
藍色の髪ときんいろの瞳。彼女の両目はまるで宝石みたいにきれいだ。今もキラキラと輝く目で一心におれを見つめてる。おれのどこが良くて、この子は運命のひとだなんて口にするのかな。
「……コハク」
ふと、頭に浮かんだ。
琥珀というきんいろのきれいな宝石の絵を、ジェパーグの図書館で見たことがある。
ジェパーグに馴染みのある色の名前からとられたおれの名前と、ある意味お揃いかもしれない。
「コハクって、どうかな?」
クルゥーメルの顔色を伺うように見る。
彼女は、目を丸くして固まっていた。口をぽかんと開けたまま。
やっぱり気に入らなかっただろうか。
そう頭の中で考えた時、彼女はふるふると首を横に振った。
忘れてた。そういえば精霊って、心の中で考えていることが分かるんだっけ。
「うれしい……! ありがとう、アサギ」
きんいろの瞳をうるませて、彼女は両手を胸のあたりに当てて顔を綻ばせた。途端に、その華奢な身体から淡い光が放たれた。
「ちょっ……コハク、大丈夫!?」
弱かった白い光が増していって、輝いていく。彼女の身体がみえないくらいに、強く。
こんなの普通じゃない。精霊に名前をつけるだなんて、やっぱりおかしなことだったんだ。なんてことをしてしまったんだ。もし、取り返しのつかないことになったら――!
あわてて、おれはコハクに駆け寄った。
小さな身体から放たれる光は、次第に弱くなっていく。
ひとまず彼女の顔色を見なくては、と覗き込んだ時。ぐるりと、世界が回った。
「ほんとにありがとう、アサギ。一生大事にする! ボクはこれからコハクと名乗るからね!」
勢いよく抱きつかれたせいで、おれはそのままベッドに押し倒されてしまった。
なんだこれ。コハクが平気ならいいんだけど、さ。
でも、いくら子どものおれでもこの状況はどうかと思う。
「あのさ、コハク。この体勢ってまずくない?」
「え、なんで? 全然まずくないよ。これからコハクが、アサギの力になるからね」
分かってるような、分かってないような。まるで、下位精霊と会話しているような気分になってくる。
まあ、コハクも精霊なのはたしかみたいだし、他意はないんだろうけど。
ため息をつきつつ、おれは仕方なく抱きついてくるコハクの身体に腕を回した。
やっぱり体温は感じられなかった。だけど、女の子の姿をしているだけに、身体の感触はやわらかくって。
正直、心臓に悪かった。
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